日本明慧
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修煉の中で感じたこと(二)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)寂しさと孤独を感じるとき、心の奥深くにある根本的な執着をつかみ、依頼する心を見つけます。私は小さい頃から臆病者で、他人に頼る癖があり、責任を取りたくありませんでした。しかし、すべてのことを他人に頼れるわけではありません。大人になれば、自分の事は自分で決めなければならず、大人になってからは、助けくれる人がいないと感じました。このような依頼する心が私に孤独を感じさせ、さらに恐怖や苦しみを生じさせました。この執着心の根本が分かったとき、「私の生命は大法が造ったのです。師父のご加護があり、私は修煉者の純粋な心で、良くない心や良くない人心、観念と執着に対処します」と、強大な正念を発しました。すると、良くない感覚が消え、私の心は大法に包まれました。依頼する心を取り除いたあと、根本から寂しさと孤独を解体しました。今は、心がとても落ちついていて、毎日三つのことをしっかり行い、とても充実しています。
 
 二、自分を実証する心を取り除く
 
 私は名利に淡白で、すべてを自然に任せていると思っていましたが、明慧ネットに自分の体験談を投稿する時、自分には顕示心、歓喜心、名利に執着する心がまだ強く存在していることに気付きました。文章を書いているとき、自分を実証する心が強く現れ、書き始めの時は正念が強かったのですが、書いていくにつれて、顕示心、歓喜心が現れ「私が法を実証した体験をすべて書き出し、全世界の大法弟子に見せてやる」と強く思いました。投稿して数日後、再び自分が書いた文章を読み直してみると、私には多くの執着心があることに気づきました。とても恥ずかしく思い、すぐに消去してほしいと思いました。師父は「相由心生(相は心から生じる)」の法理を語られました。外の一切の表現は、自分の心が反映したものです。文章を書くときも同じです。心が純粋ではなく、自分自身にいつのまにか執着し、自分を実証し、自分にうっとりしていたため、書いたものは純粋ではなく、説得力がなく、人の心を動かすことができません。何の執着も持たず、大法を実証するという基点に立ち、初めて師父が要求する水準の文章を書けます。文書を書くことは大法を実証することになります。
 
 今の時間はとても貴重です。自分は大法弟子であり、師父に手伝って法を実証し、衆生を救い救済することはとても神聖なことです。師父は、私の命を地獄から掬い上げてくださいました。私はこの世で師父の話をすべて聞き、しっかりと学法し、邪悪を解体し、衆生を救い救済します。常人の仕事をしっかりと行ない、幸せな家庭を保つことは修煉の一部であり、それが修煉者としての保証です。要するに、無条件で師父の要求に従い、完全に宇宙大法「真・善・忍」に同化し、正々堂々と師父と一緒に家に帰ります。
 
 (完)
 
2011年04月13日

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