東北の被災地で大法を広める 文/日本の大法弟子
(明慧日本)関西地方の京都、大阪、関東地方の東京、埼玉、千葉、神奈川、および被災地の宮城県仙台市などの同修達は2011年4月2日以来、車で福島県と宮城県の各避難所を訪れ、避難中の人々に法輪功の動作を教え、大法を広めました。得られた効果はとても良く、避難者と管理責任者に歓迎されました。
多くの同修は仕事をしているため、平日に被災地へ行ける人が少なく、週末になると比較的増えます。一番多いときは50人近い同修が各避難所で法輪功の動作を教えました。参加した同修は皆、人を救う緊迫性と、衆生がいかに大法を必要としているかを感じ、大法を広く伝えられるこの時期に衆生を救い済度できることは、いかに光栄なことかと感じました。
普段仕事で忙しく、豊かな生活をして、性格が比較的内向的な日本人は、大法が素晴らしいと分かっていても、煉功場所を訪れる人数は限られていますが、今は違います。彼らはより大法を必要とし、煉功を通して健康な体を得て、ストレスを解消し、同時に大法の真相が分かることによって、自分の未来のために、素晴らしい基礎を築くことができます。
これらの活動の中で、感動的な出来事がとても多くあります。私たちは避難所として使われている体育館の中で、法輪功の動作を教えました。こうするメリットは、多くの年配者も、場所を移動せず、自分の居場所に立って煉功できます。一部の高齢者は足が不自由でも、真剣に動作を学んでいました。動作を学んでいる人の中には90歳、86歳、また幼い子供もいました。最初から多くの人が立って学ぶところもあれば、最初は数人しか学んでいなくても、私たちが功法を実演し、動作を教えるに従って、どんどん多くの人が立ち上がって学ぶところもありました。
煉功するにつれて、彼らの表情は穏やかになり、少しずつ笑顔が現れました。あるお婆さんは「胸もとがずっと何かに塞がれているようで、とても苦しかったが、法輪功をやってみたら、胸もとを押えていたものがなくなった」と言いました。ある人は「煉功してから、体が熱くなり、とても気持ちが良くなった」と言いました。また、ある人は「胃がとても辛かったが、煉功してから心地よくなった」と言いました。
足が不自由な人は、自分の居る場所で学んでいました。ある80歳近い人は、第二式の法輪椿法を学ぶ時、法輪を抱く動作をするのに、とても苦労しました。同修は彼に「辛かったら、途中で手を下ろしてもいいですよ」と言いましたが、彼は依然として、他の人と一緒に最後まで頑張りました。3才くらいの、まるまる太った可愛い男の子は、非常に真面目に動作を学んでいました。体育館はとても大きく、私たちの一部の同修が前で動作を教え、他の同修は人々の中を行き来しながら、動作を正しました。ある高齢者は一番後ろにいましたが、「遠いと見えないから私の前に来てやってください」と言いました。一部の管理責任者とボランティアも法輪功を一緒に学びました。また、私たちがちょうど法輪功の動作を教えている最中に、体育館に20数人のボランテイアの人たちが入ってきましたが、彼らもみな学び始めました。
ある日、私たちが法輪功の動作を教えている最中に、地震が起きました。体育館はガタガタと音をたてて揺れましたが、私達には何の影響もありませんでした。教える側も、学ぶ側も真面目に学びました。私たちが教えた避難所は、福島の原発から一番近いところで38キロしか離れていませんでした。私たちが数百キロ離れたところから、彼らに気功を教えに来たと聞き、被災地の人々はとても感動していました。
私たちが法輪功を教えているとき、一人の高齢者が外から入ってきて、多くの中国人が体育館の中にいるのを見て、私たちに「何をしているの?」と聞きました。私たちは「東京からやって来ました。人々に気功を教え、みんなに元気になってほしいです」と答えると、彼らはとても感動して、私の肩を叩いてくれました。私たちの中には日本語のできない同修もいましたが立派に大法を実証しました。ある日本人の高齢者は、同修の手を握り、涙を流しながら、「ありがとう・・」と言い続けました。
また、ある政府幹部のグループが避難所に状況把握のために訪れたとき、私達が法輪功を教えているのを目にしました。私達は彼らに、「今、法輪功を教えています。みんな元気になって、共に災難を乗り越えてほしいのです」と紹介すると、喜んで、「中国(中共)は法輪功をあまり歓迎しないそうですが、私たちはあなたたちを歓迎します」と言ってくれました。
一部の日本人は動作を完全には覚えられないので、多くの人たちが、私たちがまた訪れることを望んでいました。まだ訪れていない避難所がたくさんあります。しかし、私たちは避難所からとても遠く、往復するのにとても時間がかかります。ある同修は、土曜日の夜中1時過ぎに帰宅し、日曜日の朝4時過ぎには自宅を出て被災地へ向かいました。運転できる同修が見つからないときは、まだ修煉していない同修の家族に運転をお願いしました。往復で1日10時間以上かかります。
被災地で、法輪功の洪法に参加して同修が人を救う過程で、みな積極的に協力し合い、自分の意見を固持せず、とても強い場を形成しました。ある同修は「自分の意見を放下したとき、目の前に多くの法輪が現れた」と言いました。同修が法輪功を教えるとき、多くの人が非常に強いエネルギーの場を感じました。1時間、1時間半という時間は、あっという間でした。私たちはそこを離れたくなく、法輪功を学んでいた多くの日本人も続けて学びたい様子でしたが、私たちは管理責任者と約束した時間を守りました。
法輪功の動作を教えることが終り、私達は管理責任者の同意を得た上で、避難所の人々に真相資料を配りました。資料配りが困難な時は、資料を公共の場所に置き、縁のある人が自由に取れるようにしました。常人の受け入れ能力を考慮し、常人の状態に符合しながら、着実に行えば、人を救うことができます。相手の気持ちを考慮せず、自分勝手に良いと思うように行ってはいけません。また「法輪大法はすばらしい」と書いた、しおりを付けた手作りの蓮の花は大変人気がありました。時には、お守りもとても人気がありました。私達が離れる時、あるいは私達が蓮の花をプレゼントする時、何人かの日本人は感謝のあまり、正座をして合掌しながら、お辞儀をしてくれました。
私達が困難を克服し、この世に来るときの大願を実現し、もっと多くの衆生が救われ済度されることを願っています。
2011年04月21日
明慧ネット:jp.minghui.org
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