忙しくても慌てない 文/中国大法弟子
(明慧日本)最近、忙しい同修は2種類に分かれています。一つは家庭、生活、仕事などに没頭して、三つのことをめったにしない人。もう一つは、心で三つのことばかりを考えて、家族さえかまわず、仕事も適当にやっています。
上記の二つの例はともに極端です。前者は人心が強く、常人の事ばかりして、時間と精力を費やしてからやっと学法、煉功をします。往々にしてこのような事は効果もあまり良くなく、ただ学法、煉功をしたという自己満足だけです。
後者は、見た目は精進しているのですが、実際に法を理解しておらず、学法をしっかりしていないことが原因で、理知的に三つのことをしていません。このような状態で、家庭および職場のことを適当にしており、ただやっているだけです。たいてい、このような状態は長く続くことはありませんが、トラブルを引き起こしてしまいかねません。
忙しいと言うことで心を静めて学法ができず、これは法を実証することにも良くありません。学法ができないと、心性もついてこれず、三つのことをしっかりすることができません。忙しくてばたばたし、これだと逆効果が現れます。慌てた心を抱えて、まず自分の気持が落ち着かず、人にも良い場を与えられません。
しかも、しっかり着実に修煉しておらず、大法の仕事ばかりをして、これによって、人心や漏れが生じ、隙に乗じられることもあり得ます。
ある同修は一人で学法し、内に向かって探し、三つのことをしっかりして、10年来絶えず自分の地元で資料を配っています。同時に、家族のことをもしっかり世話して、各方面で上手に行っています。煉功を毎日して、体も良くなりました。60歳ですが、しわがなく、白い肌に赤みがさしています。知り合いはみな彼女が元気だと褒めて、どのようにして良くなったのかと尋ねたりします。ちょうど自分の体験から話し始め、大法についても話しやすくなります。こうして、大法の素晴らしさと大法への迫害事実を話して、衆生を済度することにとても効果があります。
現在の特殊な歴史時期に当たって、大法弟子が世間を離れないままで修煉して、学法、煉功の他に三つのことをこなし、仕事、家族、社会などもろもろの事に当たって、限りある時間と精力を使って忙しいことも当然です。しかし、仕方がないわけではありません。大法が無限の知恵を与えてくれるので、学法して自分をしっかり修めるならば知恵が出てきて、いろいろと上手くこなせるはずです。合理的に時間を段取りして、上手くこなすことは難しいですが、できないことはありません。自分の家庭環境、仕事などの条件に基づいてしっかりバランスを取れば、きっとできるのです。その前提は、しっかり修めることです。
いかなる極端なやり方も、師父に按排されたことに影響を与えます。慌てると間違いがちです。旧勢力とマイナスの要素がこの慌てた状態を欲しがるのです。慌てた状態になったら、修煉者は理知を失い、知らず知らずのうちに旧勢力の按排された道を歩んでしまいます。
忙しくても慌てない、これはたくさんの同修が突破してきたのです。これは、修煉により得られた状態なので、学法をしっかりして、人の執着心を捨てて、初めて三つのことをしっかり行い、衆生を済度することができます。
わずかな体験ですが、慈悲にご指摘してください。
2011年04月25日
明慧ネット:jp.minghui.org
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