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名を馳せようとする心をなくす


文/中国の大法弟子・小渓

(明慧日本)長い間、私が法に同化することを阻害する何かがあるような気がしていましたが、内に向けて探しても、一部の執着心を探し当てただけで、根本的な執着が何か分かりませんでした。自分の根本的な執着心は一体何なのかといつも思い続け、自分が当初、大法の修煉に入った時の動機を考えてみましたが、ずっと分かりませんでした。
 
 ある日、私は同修と交流した時に、自分が以前「保証書」を書いた事実を、人に話したくないという心があることに気付きました(編集者注:「保証書」とは修煉をやめるという書面資料で、中国共産党当局の迫害に妥協したということ)。その同修は、この背後には強烈な私心があるので、きちんと探してくださいと私に警告しました。私はこの言葉に衝撃を受けました。確かにその通りです。どうして、私はこのことに向き合う勇気がないのでしょうか。この背後にはきっと何かがあると思いました。私は絶対にそれを探し出して、解体すると決めました。
 
 まず私は、自分の中に名を馳せようとする心があると思いました。以前、私は同修によく褒められることがありました。しかし今回、私はこのようになってしまい(保証書を書いたこと)とんでもないことです。同修たちはこのことを知っているものの、そのことを敢えて自分から言い出したくありませんでした。恥を感じるためずっと黙って、明らかにしませんでした。
 
 名を馳せようとするこの心は、修煉の中でさまざまな所に現れていました。私は修煉を始めたのは遅いのですが、学法をよくしたため、いつも同修に悟性が高く純粋だと褒められていました。これはもちろん、同修からの励ましであり、歓喜心を引き起こさず修煉に精進するべきです。しかし私は、徐々に自分が同修より悟性が高いかもしれないとの念が生じ始め、次第に褒められることを当然のように受け入れるようになりました。褒められる言葉ばかり聞きたくなり、名を馳せようとする心が生まれました。
 
 同修が私の家をキレイだと褒めてくれるので、私はわざわざ同修が来る前に家をキレイに片づけました。同修が私の身なりをキレイだと言ってくれるので、私は同修の家に行く前に、毎回衣装を選んで、身なりをキレイに氏ました。同修が私の悟性が高いと言ってくれるので、毎回交流の時に師父の話を引用して自分を証明し、たまに自分が間違ったと思っても、それを言い出したくありませんでした。このような心には、虚栄心、メンツを重視する心、闘争心、自我を実証する心、嫉妬心、仕事ばかりやりたがる心なども含まれています。さらに探してみると、私は自己保護の意識が強く、最大限に自己を保護する行動をしていました。たとえば自分の執着心が暴露された時、どうしてこのような執着心が自分にあったのかわざわざ言い訳をして、同修の理解と寛容を求めていました。また、同修を助ける時も、なるべく柔らかく角が立たないように行い、和気あいあいに感じさせて、同修から恨まれたくない心がありました。
 
 それでは、どうして私には名を馳せようとする心があったのでしょうか。これは、自分がよく修めていることを実証したいからです。最近、私には、大法のことをどれくらいやったかを修煉の善し悪しの判断基準にしてしまう傾向がありました。三つのことをやっていますが、単にたくさんやればしっかり修めていることになるのだと勘違いしていました。『明慧週刊』にある、同修が大法を実証する文章を読んで、彼らのことを羨ましく思いながら自分の修煉がまだまだ足りないと焦っています。自分が法を正す進展に取り残されるのを心配して、自分が円満成就できないかもしれないと恐れていました。私は、自分がなぜ円満成就できないかもしれないと恐れているのかを内に向けて探し続けました・・・。
 
 私は内に向けて、何度も深く探し続けて、今度こそ理由が分かりました。私は、自分が自由自在になれないことを心配していたのです。これこそ私のずっと隠れていた根本的な執着心です。この執着心は、私の空間場にいて、ずっと私を戸惑わせていました。この修着心、全てが自由自在である神仙の生活への憧れは、修煉者にとって間違いではありませんが、円満成就ばかりに執着してはいけません。特に、常人の中での素晴らしい生活に憧れる執着心は、法を正す時期の大法弟子にとってあってはならないことです。ここまで悟って、私は師父への感激を言葉で言い表すことができませんでした。本当に「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)ということです。今回、私はこの執着心を暴露して、取り除き、旧宇宙の私心私欲の観念を破って、純粋に法に同化して、師父に按排された三つのことをやって行きたいと思います。
 
2011年04月28日


(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/4/8/124283.html
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