いかなる人心も衆生の救い済度に影響する
文/中国・重慶の大法弟子
(明慧日本)また週末がきて、仕事が終わり家に帰って来ました。夕食後、外に出て縁のある人に真相説明をして、三退を勧めようと思いました。しかしその時、私はQQ(中国で普及しているコミュニケーションツール)に登録しているメールを開き、友達や同僚の伝言があるかどうか確かめようと思い、コンピュータを開きました。ネット上では、世界のいかなるものも見ることができます。私は、古代の武術をモチーフとしたアクションドラマをちょっと見てみようと思い、一つを選んで開きました。
少しだけ見ようと思っていたのに、映画の内容につい引きつけられ、30分ほど時間が過ぎました。しかし、心の中では映画の視聴は良くないとことだと分かっており、最初からこの執着に利用されていると、自分自身わかっていました。常人のドラマを見ることは自分の正法時期の修煉を邪魔し、衆生を救うための時間を浪費し、縁のある人を救うことができないようにさせ、自分の空間場に黒い物質を増やしていると分かっていながら、結局そこから抜け出すことができませんでした。
その時、窓からそう遠くない所で、何人かの10代の少年たちがバスケットボールをしているのが見えました。私の正念は「この少年たちは自分が救うべき人であり、時間を無駄にしてはならない」と教えていました。しかし、もう一つの人心は「ドラマを見ていたい」という考えでした。自分の中で、このように理性的な考えと執着が行ったり来たりしていました。
結局、とても意気地がないことに、人心の執着を優先してしまい、それを抑えることができず、ドラマを2時間も見てしまいました。最後、私は頭がくらくらして、気分が悪くなりました。以前の頭脳の明晰さと、人を救うという正念は完全になくなりました。時間は人を待ってくれません。9時が過ぎて、窓を開けて見ると、通行人は既にまばらで、バスケット場はがらんとして、少年たちの姿はすでになくなっていました。
心の中で、自分の無責任さと、衆生を救う使命を果たすことができず、生命を無駄にしたことをとても悔しく思いました。その前の2回は、バスケットボールをしに来た小・中学生に真相を説明し、三退をさせることができました。自分の修煉状態が良い時は、職場でも、店でも、道路上でも、どんな場所でも積極的に真相説明ができます。知人でも、見知らぬ人でも真相を説明して三退を勧めることができ、80パーセントの人が真相を知った後には三退するのです。三退は完全に自分の心性の状態とかかわりがあり、今回の過ちは、自分の執着心により、救われるべき人に影響を与えたのです。
自分をよく修め、人を救う機縁はますます少なくなっています。大法弟子はいたる所で縁ある人と出会い、真相を説明し、その人を救う機会があります。しかし、世の人々にとって、すべての人が都合よく大法弟子と出会う機会があるというわけではありません。このような機会は、彼あるいは彼女にとって3回、2回あるいはただ1回だけかもしれません。彼らは何回も生まれ変わる中で、この世の迷いの中で、無数の苦をなめながら、やっと今、大法の福音を聞くことができ、私たちの真相説明を聞く機縁に出会うのかもしれません。もし私たちの執着心により、その機会を逃したならば、彼らは永遠に助かる機会を失うのではありませんか。もし私たちがこの機会を大切にせず、時間を無駄にしているなら、救われるべき生命が救われなくなります。このように気付いたとき、私たちのいかなる人心や執着も、世人を救うことに影響を与えるので、徹底的にそれらを修めて一掃しなければならないと悟りました。
ここまで書いて、私は自分自身が再び俗世間のうわべの現象に惑わされることなく、気を緩めず、機縁を大切にして、三つのことに影響を与える一思一念の中の全ての人心、執着心、雑念を取り除き、自分の修煉のために責任を負い、衆生を救うために責任を負い、師父の慈悲深い済度に背くことなく、かつて自分が創始者の前で立てた誓約を果たさなければならないと思っています。
2011年05月04日
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