日本明慧
■印刷版   

着実に修め、法を正す道をしっかり歩む(二)

(明慧日本)
 
  二、他人に求めず、自分を修める
 
 自分を修めず、いつも他人ばかり見ていれば、修煉の道で方向を見失ってしまいます。他人を見るとき、いつも他人の良い面と悪い面の表れに惑わされ、自身の不足が見えず、内に向けて探すことができず、人心と執着心をなかなか取り除くことが出来ません。執着が多く積み重なれば、修煉の道がいばらの道となってしまいます。
 
  また、自分を修めなければ、全体にたくさんの漏れをもたらしてしまいます。人から学び、法を学ぶことをせず、他人の良いところを尊敬せずに、他人の不足を見て軽蔑し、それを責めていれば、邪悪に隙に乗じられてトラブルが引き起こされます。
 
 また、このような状態に陥ると、自分が同修の上にいると思う心が生じやすいのです。以前、同修は私に「法理の認識がはっきりしており、弁舌の才もある」とよく話しました。私は、自分が他人を指導できると思い、よく目上の人のように振る舞い、他人を指導し他人を傷つけました。A市にいるときは、皆よく協力し合って、同修の理解と寛容があったため、この問題は強く表れませんでした。しかし、B市に来ると、この問題が強く現われました。私に他人の不足を見る癖があったため、他人の間違いを掴んで放さず、よく愚痴をこぼしましたが、私は同修を助けていると思っていました。
 
 同修の不足ばかりを大きく見ていると、他人を軽蔑する心が生じ、それが言葉と行動に現われます。ある同修は、これによって我慢できなくなり、旧勢力から多くの難や誤解、トラブルをもたらされました。この問題について、私も多くの苦しみを嘗め、大きなショックを受けたと感じました。ある時期、私は何を見ても何も言いたくなくなり、意気消沈していました。私は挫折した後、内に向けて探し、表面的上はますます謙虚になりましたが、まだ正面からこの問題に向き合えず、完全に教訓を汲み取れていませんでした。私の表面上の現れは、常人のずるさや人の感情を損ねたくないと思う心や、自分を守るためのものでした。結局、人心が覆い隠され、完全に取り除くことができませんでした。
 
 師父は私たちに、自分を修めることを求められました。これは他人の修煉の不足を見ても助けないという意味ではなく、私たちの内に向けて探さない観念、または問題に遭うとまず他人に原因を求める習慣を変えるように指摘されているのです。他人の良くない部分が見えたとき、私になにか修めるべき点があるのではないか、と考えてみるべきです。同修の良くない部分が見えたら、同修と全体のために、善意をもって指摘し、同修の執着と交流の結果に執着しないことも自分の修煉なのです。
 
 また、自分を修め、他人を見つめず、黙々とやるべきことをしっかりやれば、嫉妬心も生じず、どんな環境でも他人とよく協力することができます。実際、同修間の協力は常人の職場での協力と同じです。以前、私は自分の能力が高く、なんでもできると思い、同僚からもよく褒められていました。それで、私はよく自分を勤め先の部長と比べ、彼は多くの面で私に及ばないと思っていました。口ではなにも言いませんでしたが、頭の中では彼に「取って代わる」と思う念がよく現われました。その後、部長はよく私に注意を促すような話をするようになり、私を警戒するようになりました。
 
 私は『転法輪』の嫉妬心についての一篇を勉強したとき、自分がいつも人と比べ、他人を見下していたことに始めて気がつきました。私の嫉妬心はとても強かったのです。師父が私に人の良くない部分を見せていたのは自分を修め、嫉妬心を取り除くためでした。その後、私の主意識は「取って代わる」という念を強く排除し、謙虚で誠意をもって他人を尊敬し、協力するようにしました。
 
 自分の心が正された後、再び部長を見てみると、部長の良い部分が多く見えてきました。私は、部長が意見の異なる社員をよく管理できており、大した人だと思いました。私が変わると、部長も変わり、部長は私を信頼するようになりました。ある日、会社のパーティーで、彼は私の能力を認め、私に「あなたはとても謙虚な方ですね」と褒めてくれました。私は幸いに大法で自分を正すことができました。そうしなければ、大法弟子は「野心が強く」て「文句ばかり」いう人と見られてしまいます。
 
 (つづく)
 
2011年05月14日

■関連文章
着実に修め、法を正す道をしっかり歩む(一)
謙虚の仮面をかぶった嫉妬心をなくそう
法理をはっきり理解すると修煉に迷いがなくなる(一)
内に向けて探すという法理は、修煉者にとって真の宝である
病業と色欲について
法に相応しい大法小弟子になろう
修煉は内に向けて探す以外にない
落ちついて学法して経験したこと
師と法を信じていれば、必ず魔難を乗り越えられる(二)
同修に対する嫉妬心を認識する