日本明慧
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師父のご加護の下で真相資料を配る


文/中国河北省の大法弟子

(明慧日本)私は1999年に法輪大法の修煉を始めました。この十数年にわたる修煉の道はでこぼこ道で、今日まで歩んで来ました。私は大法の素晴らしさと不思議さを、身をもって体験しました。はじめて煉功した時、私は一種の独特な感覚を覚えました。その後しばらくの間、煉功の音楽が始まると涙が流れ出し、煉功が終わるまで止まりませんでした。当時は原因が分かりませんでしたが、功法の素晴らしさを私の本性の一面が分かったからでしょう。
 
 ある日の夜中、激しい腹痛で立ったり、座ったり、身の置き場がなく、一晩中眠れませんでした。その時は秋の収穫期で大変忙しく、1日も休むことはできませんでした。夜が明けて、私は痛むお腹をかかえて起き上がった瞬間、あの激しい痛みの感覚はまったくありませんでした。一晩中眠れず、痛みに苦しめられましたが、仕事には何の影響もありませんでした。
 
 夜になって眠ろうとすると、また痛み始めました。師父は私のためにすでに大きな業力を滅してくださっており、また師父にご迷惑をおかけするわけにはいかないと思いましたが、あまりにも痛くて、師父にご加持をお願いしました。しばらく経って、痛みが治まりました。師父は私が作った業力をまた滅してくださったのです。ここまで書いてきて、私は涙が止まらなくなりました。イエスは一部分の人を済度するため、十字架の苦しみに耐えました。しかし、私たちの師父は全宇宙を救い済度されるので、師父が担われる苦しみは一体誰が分かるでしょうか!
 
 1999年7.20、中共(中国共産党)は法輪功に対する残酷な弾圧を始めました。中共のデマに騙された人々に真相を伝えるため、私は手紙を書くことにしました。ある日の夜、真相の手紙を書いているうちに、いつの間にかテーブルが見えなくなり、便箋も見えなくなって、目の前に一面の花園が現われてきました。ペンを持っていた両手の下には、花々がそよ風に揺れていました。本当に不思議でした。これは師父が私を励ましてくださっていたのです。
 
 地元の銀行に真相の資料を送ろうとした時、銀行に長年勤めている同修が、銀行には監視カメラがあると、私の安全を考えて教えてくれました。当時、私は監視カメラなど見たこともありませんでした。銀行には多くの人々が出入りするので、多くの人々が資料を見ることができると考えました。大法弟子の体は高エネルギー物質に転化されており、カメラには映らないと思い、私は資料をテーブルの上に置いて銀行を出ました。私は何ら問題がないのを見て、今後も銀行に資料を配ろうと思いました。その後、私は同修にそのことを話しました。すると同修は、同僚が私が資料を置いた映像のビデオを持って通報しようとした時、他の人が「たかが1人のおばあさんではありませんか。もういいでしょう」と言って、うやむやになったと話してくれました。私の修煉に漏れがありましたが、慈悲なる師父は私を守ってくださったのです。
 
 ある日、私はバス停の壁に大法のスローガンを貼り付けようと思いましたが、道路の向こう側に人が立っていて、ずっと私の方を見ていました。私はその人が離れてから貼り付けようと思いましたが、その人はなかなか動きませんでした。私がスローガンを貼ることは人を救うことで、誰も邪魔をしてはならないと発正念をしました。すると、その人はすぐに去って行きました。このような例は本当に多くありました。
 
 一瞬が千金万金に値する偉大な歴史的時期です。私は師父と共にいて、法があり、光り輝く時期に、師父がおっしゃった通りに行い、師父が要求されたように円融すべきです。三つのことをしっかり行い、もっと多くの、もっと多くの人を救い、ただ精進し、精進し、ひたすら精進することで、師父の慈悲なる済度と洪大な佛恩に報いるべきです。 
 
2011年05月18日

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