日本明慧
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修煉は一念の差によるもの


文/中国華北省の大法弟子

(明慧日本)私は住んでいる地区のある老年の同修にとても深刻な病業の妨害が現れ、私は数人の大法弟子とともにお見舞いに行きました。私は学法が少ない上、悟性が悪い為、誤って彼の難は自分の難だと思ってしまいました。その結果、邪悪に隙を与えてしまいました。
 
 その日の夜12時の発正念の時、突然座る事ができなくなっていました。私の腰と足は激痛に襲われ、座る事も、横になる事もできません。私は内に探し始め、同修も協力してくれました。全員が「旧勢力の按排を認めたことが苦しみに耐える根本的な原因」だと思いました。道理から言えば問題点が分かれば、この難も半分は解決したに等しいことになります。しかし、現実は好転しませんでした。私は繰り返し考えてみました。私は自分がこの難を乗り越えられると信じていましたが、しかし旧勢力の按排を根底から否定しませんでした。その後18日間耐え、休む事も出来ず、背もたれのある椅子に寄りかかって仮眠するほかありませんでした。学法も集中出来ず、歯を食いしばって動功はやり遂げましたが、静功はまったくできませんでした。
 
 18日目の午後5時、頭の中でぱっと師父の言葉が出てきました「私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。」(『二〇〇三年旧正月での説法』)。その時私は考えを改めました。18日間、私はただ消極的に耐えて、学法も煉功も出来ず、師父が按排してくださった道を歩いていなかったのです。これは旧勢力の按排した道を歩いていたのではありませんか?これでは師父の弟子と言えるでしょうか?
 
 「駄目だ!私は修煉したい!煉功したい!」と思い立ちすぐに座禅を組みました。すると結跏趺坐できないほど苦しんでいたのに、簡単に禅定の中に入ることができました。卵の殻の中に座っているようなすばらしい感覚が現れました。1時間後、足腰の痛みは完全に消えてなくなり、歩いていても全身が軽いと感じるほどでした。私は師父に対して感謝の気持ちは言葉では言い表すことが出来ません。座禅を組む前に師父の手引きのもとで私は正念を持つことができました。師父は私の正念を加持してくださいました。そして、邪悪の妨害を全て取り除くことができました。これは本当に「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)。私は今回のことで、正念の持つ強大な威力を身を持って体験しました。
 
2011年05月21日

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