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何をしても人のことをまず考えるようにする


文/中国黒竜江省の大法弟子

(明慧日本)師父は私に心を修め、徳を重んじ、「何をしても人のことをまず考えるように」(『転法輪』)と教えてくださいました。そのため、私は私心をなくし、他人のことをまず考えるようになり、正々堂々とした人に変わりました。私はかつて、多くの重病を患っており、心臓病に悩まされ、大病院で「死」を言い渡されましたが、法輪功を修煉してから、奇跡的に万病がなくなり、健康な人になりました。さらに、広い度量と純粋な心、軽やかな体を持つようになり、私と面識がある人はみな「法輪大法は確かにすばらしい!」と言ってくれました。ひいては、私と面識がない人も私の無私無我で善良な行為を目にすると、自ずと「あなたはもしかして法輪功の学習者ですか」と聞いてくれます。
 
 私は1999年1月から法輪大法を修煉し始めました。「真・善・忍」の法理の指導の下で、絶えず自分の言動を正し、少しずつ中共邪教により注ぎ込まれた「偽、悪、闘」の邪党文化を無くすことができ、後天的に形成されたすべてのよくない思想と間違った観念を修め、それによって本当の自分を取り戻し、先天的な本性—「真・善・忍」を取り戻しました。
 
 中共が法輪功を迫害する十数年の間、この是非が転倒している時代に、真に修煉する弟子が現した正しい態度により、数多くの賢明な世間の人は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と理解し、中共こそ本当の邪教であると、認識することができました。なぜなら、事実は雄弁であり、一正が百邪を圧することができるからです。これは大法を実証することであり、民衆を広く救う最も素晴らしい方式です。はっきり言いますと、大法弟子は自分をよく修めてからこそ、本当に周りの人々を救い済度することができます。ここで例をいくつか挙げます。
 
 私はある会社で食堂の炊事係りと清掃担当をしています。社長は最初の2回くらい帳簿を確認しましたが、その後、確認しなくなりました。彼は「私はこれほど長くやってきたが、それは、はじめてあなたのような人(誠実、正直、善良)に会った」と言いました。私は社長に「私は法輪大法を修煉しているから、これほどよく行うことができました」と説明しました。それを聞き、社長は笑いました。
 
 2002年、私の母が治療を受ける際、医者の不注意で薬を間違ったため医療事故に遭い、母は重篤な薬物中毒に陥り、亡くなるまではっきり話すことができず、食べるのも困難になりました。そのため、私が母を看病し、苦痛と負担がのしかかりました。当時、多くの人が私の家族に「関連部門に通報し、医者を逮捕すべきだ」と言いました。家族とこの件について相談した際、私は大法弟子として、師父の教えを忘れてはいけないと思い、「このことはこれでお終いにしましょう。なんと言っても、医者はわざと人を害そうとしたわけではなく、誰でも失敗するときがあります。もし事件を関連部門に通報することで、彼が逮捕されて判決を言い渡されたり、あるいは莫大な罰金を課されたとしても、ただ彼の家族に害を与えるだけではないですか」と話しました。その結果、家族は私の考えに従い、関連部門に届けることをせず、また医者に一銭も請求しませんでした。このことは現地でとても大きな反響を呼び起こしました。
 
 2004年の冬、真相資料を配っていた際、私は真相を知らない人に通報されて、留置場へ強制連行されました。当時、留置所の頭目は、憎憎しげに私に労働教養処分を科そうとしていました。しかし、私は彼に対して少しも恨みがなく、ただ彼が中共に利用されていることを悲しく思うだけでした。そして私は、私の横にいた彼に向かい、「××警官、あなたが真相を知って、無事になってほしいです」と言いました。それを聞くと、彼はなんと笑顔になり、「私が無事になってほしいって」と繰り返し言っていました。結果的に彼は悪の状態から、善に変わり、私に対する態度も変わり、22日後、私を無条件に釈放しました。また、私が監禁されている間、16歳の少女がひとり監禁されていました。彼女は着ている服がとても少なく、しかも留置場には布団がありませんでした。当時、監房のすべての人は彼女を助けようとしませんでした。私は、「私は大法を修煉しているので、他人が彼女を助けなくても、私は助けないといけない、私は自分の実際の行動で大法を実証しないといけない」と思いました。こうして、私は彼女のために、寒さに耐えなければなりませんでした。その間、受刑者たちは、「このことは素晴らしい。さすが法輪功だ」と言っていました。
 
 私は、師父の説かれた三つのことの中の一つ、学法について、「学法の目的は法をもって自分をしっかり修めることである」と認識しています。ですから、私は普段いくら忙しくても、法から離れないようにし、常に自分が修煉者であることを忘れることなく、すべての利益の前で、「他人を先にし、無視無我」、「何をするにしても、他人を先にし、他人のために思いやらなければならない」と思い続けていました。
 
 精進している同修と比べると、私にはまだ多くの足りないところがあり、精進の度合いも足りません。私は奮って彼らを追いかけ、師父の大きな期待に背かないようにし、そして自分の約束を実現できるように頑張ります。
 
 以上、正しくないところについては、同修らの慈悲なる指摘を願います。 
 
2011年05月28日

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