心性の試練の中、師父の慈悲により目覚める
文/インドネシア・ジャカルタの大法弟子
(明慧日本)私はインドネシア・ジャカルタの修煉者です。2000 年の暮れに大法 の存在を知りましたが、当時はまだ修煉しようと思っていませんでした。2003 年になってから、私は煉功し 始め、それから『転法輪』を読み始めました。この功法は他の功法と違うと感じつつも、私はあまり真剣に学んでいませんでした。しかしその数年間に、法輪大法は私の知らないうちに、私の生命に大きな変化をもたらしていました。特に大きな変化として、私は健康になり、そしてさらに丈夫になりました。
私は本当に自分がとても幸運だと感じています。なぜなら、私の家族全員が修煉者で、修煉しているからです。もうすでに8年が経過しましたが、私は真相を伝える活動になるべく多く参加するようになりました。中国大使館前での発正念や、腰鼓隊に加わったりしました。現在は天国楽団に参加しています。
心性を向上させる面において、私は大法修煉者として精進しながら、様々な執着心を放棄しましたが、まだできていない部分があります。例えば、気性が激しいことや、怠惰であること、他人の指摘を受入れられないこと等です。
ある日、私は末っ子を学校へ送り、子供が下校するのを待っている間、『転法輪』を読んでいました。その時、第三講の三段落目を読んでいました。「毎日幾つかの動作を行なうだけで、法輪大法(ファルンダーファ)の弟子と言えるのでしょうか? そうとは限りません。 本当に修煉しようと思えば、われわれの言う心性基準に基づいて自らを律し、本当に心性を高めなければならず、それこそが本当の修煉です。 ただ動作だけをやっても、心性は向上せず、一切を加持する強いエネルギーがなければ、それは修煉とは言えず、われわれもあなたを法輪大法 の弟子として認めるわけにはいきません。毎日煉功をしていても、法輪大法の要求に従わず、心性を向上させず、常人の中で元通りに振舞っていては、そのうちに、なにか厄介なことに遭うかも知れません。 もしかすると、あなたは法輪大法をやっているからおかしくなったと言いだすかも知れません。 そういうことはいずれも起こりうるのです。ですから、皆さんのやることがわれわれの心性基準の要求を満たしてこそ、はじめて本当の修煉者であると言えます」(『転法輪』)
私が学法していると、突然友人がやってきて、「あなたは何の本を読んでいるの? どうして泣いているの?」と私に尋ねました。その時、私は気分がとても落ち込んでいて、友人の問いかけに答えられませんでした。その日の夜、家族と一緒に学法する時、また第三講から読み始めました。私はまた同じような気分になってしまいました。学法を終えた後、皆で一緒に読んだ内容について、共に交流しました。その時、私は涙を流しながら、家族に話しました。「私は本当に、法を正す時期の大法弟子にふさわしいと言えるのでしょうか?」 私が手放せないすべての執着心と、よくない行為を私はとても恥ずかしく思いました。また法をもって、しっかり自分を律することができなかったことも、恥ずかしく思いました。
大法弟子として、常に強い正念を持ち続けることは、とても難しいことだと思います。特に、絶え間ない心性の試練に直面する中で、私は自分の無力さを感じていました。しかし、トラブルは私の修煉の過程で次々と現れてきました。
夫はいつも私に、大法弟子として必ず行うべき三つのことをしっかり行うように、とアドバイスしてくれましたが、私はいつもそれを素直に受け入れることができませんでした。なぜなら、私はいつも、自分も大法弟子だから、大法弟子としての義務と責任をきちんと理解していると思っていたからです。ある日のこと、私は2006年の師父の『マンハッタン説法』を読んでいた時、まるで師父から啓示をいただいたかのように、私の心は目覚めました。
ある日、私は発正念の時、突然悟りました。それは、師父が夫を通して、私に啓示を与えて下さったのだということです。私は修煉の過程で、本当に正念を強くもたなければ、旧勢力の罠に陥りやすいと思いました。
それから、私はインドネシアの天国楽団が設立された当初のことを思い出しました。私の家庭の経済状況からみて、私が天国楽団に参加することなど、夢にも思っていませんでした。しかし、同修の応援もあって、家族全員が楽器を持つようになり、天国楽団に参加することになりました。私はその時、ある台湾の同修が私に話してくれたことを思い出しました。それは、「大法弟子にとって、できないことはありません。ただ私たちが、常に強大な正念を持つことができれば、師父は私たちの面倒を必ずみて下さいます」ということでした。
「大法弟子は、みな自分の道を歩んでいる」と言います。この一言はある一時期、ずっと私の心の中をかけめぐっていました。そして、私も大法弟子であり、私の歩むべき道は何なのだろう? とずっと自分自身に問いかけていました。私は英語があまり得意ではありませんでしたが、思い切って翻訳グループに参加してみようと思いました。
数人の同修の励ましのもと、私はやっと大法弟子の運営するウェブサイトの翻訳グループに参加することができました。正直に言って、自分にはまだまだとても多くの欠点があると思っています。しかし、心から大法に同化したいという願いを持ち続け、また同修たちが、ずっと私を励ましてくれたおかげで、私は強い意志を持ち、精進し続けることができるようになりました。
師父は2009年に発表された『ヨーロッパ法会へ』という経文の中で、「時間はあなたにとっても、宇宙の無量の衆生にとっても差し迫っており、師父の話が厳しいようですが、長い間愚かになっている学習者は本当にこれからどうするのかを真剣に考えなければなりません。厳しい言葉で目覚められればと思いますが、それはあなたのためであり、師父である私のためでも、あなたの機嫌を損なった学習者のためでもありません。精進しましょう! それはあなたの誓約、あなたの責任、あなた自身が圓満成就に向かっていく道なのです!」と説かれました。
師父のこの厳しい棒喝は、私を完全に目覚めさせました。私は、師父から授かった全ては、私たちの一生の中で最も素晴らしいものであると、堅く信じるようになりました。修煉の過程で、絶えず自分自身の執着心を放下し、よくない行為を改めることは、大法修煉者として必ず行うべきことです。
私は幸運にも、法輪功の修煉者になることができました。これはとても貴重な機縁であり、師父は、「これが万年もめぐり合えない、天地開闢以来かつてなかったことです」(『スイス法会での説法』)と説かれました。 今、私は師父が法を正し、衆生を救い済度される時期に生きています。私は常に自分に三つのことをしっかり行い、心性基準の要求を満たせる大法弟子になるよう、自分自身を律しています。幸運にも大法を得たことを私は心から誇りに思い、幸せだと感じています。このすべては、師父の慈悲なる按排によるものです。
修煉の過程は、確かに難しく、容易なものではありません。苦難に満ちた過程ですが、ただ私たちが一緒に修煉する環境を失わず、かつ同修が互いに指摘しあえば、魔難の中にあっても、正念を強めることができます。もし、修煉の環境を失えば、ますます法から遠ざかっていき、最後には堕ちてしまいます。常人社会のよくない影響を受けて、方向を見失い、修煉をますます緩めてしまい、時間が経つと、私たちの先史からの誓約もこれまでの苦労も水の泡になってしまいます。
同修の皆さんが私の体験から何らかの教訓を汲み取り、さらによく精進されることを望んでいます。もし大法に符合していないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いいたします。
師父、有難うございます。同修の皆さん、有難うございます。
2011年05月29日
|