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隠れた孤独の心を修める

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は修煉を始める前、数カ月外出しなくても人と一言も話さなくても、1人で楽しく過ごすことができて、寂しさとは無縁でした。しかし数日前、私は同修と交流する中で、驚いたことに孤独を恐れる心があることを発見しました。
 
 私が未婚の女性で、色と情に対する執着心をきれいに取り除いていないことが原因かもしれません。たとえばある時期、私は異性に好感を持ち、極端な考えを持ったこともありました。先日、会社のある同僚の事が気になるようになり、落ち着いて学法することがきませんでした。これはとても重大な問題だとわかり、内に向けて探して執着心を見つけました。例えば、私がその人の見た目に好意を持つことは色欲の心であり、関心を持ってほしいと思うのは男女の情で、私に関心を持つよう望むのは私(し)の心で、その人が落ち着いて行動していると感じるのは依頼心です。
 
 同修は「若い女性の同修が1人で生活するときは、依頼心が生じやすいのです、家族と一緒に住んでいないため、他人から関心を持って欲しく大事にされたいと望んでいるのです。言い換えれば、これは孤独を恐れる心です」と指摘してくれました。
 
 同修の言葉に目覚めました。私は自分に孤独を恐れる心があると考えたこともありませんでした。朝から晩まで落ち着きのない人だけが孤独を恐れていると思っていました。師父は『ヒューストン法会での説法』でバラモン教の弟子が孤独に絶えられず鹿を育て、その結果情が生じ、長年の苦しい修煉を無駄にしたという話をされました。私は師父が、動物に対する執着心、かわいそうに思う心、情に対する執着心などを話しておられると思っていました。その修煉者がそうなったのは孤独を恐れる心があったからだと、その時は認識しませんでした。
 
 私は修煉する前、小説が好きで、自分に関心を持って欲しいと思い、落ちついて行動する異性に好感を持っていたのです。これらは孤独を恐れる心が引き起こしたものでした。
 
 師父はおっしゃいました。「寂しさは人間の全てを台無しにしてしまうことができるということを皆さんは知らないのです」、「しのぎ難い寂しさは人間にとって最も危ういことであり、修煉の中の最大の難でもあります」(『北米第一回法会での説法』)。
 
 師父の啓示に感謝します、今、私はこの問題を認識することができました。この体験を同修と分かち合いたいと思います。
 
2011年06月04日


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