日本明慧
■印刷版   

テレパシーについて


文/中国大法弟子

(明慧日本)テレパシーは存在するものですか? 生まれる前の生命は、愛と憎悪を感じ取ることができるのでしょうか? 以下の物語はこの問いに示唆を与えてくれます。
 
  病院で生まれたばかりのある赤ちゃんは、どうしても母親の母乳を吸おうとしませんでした。医者たちは赤ちゃんにアレルギー反応があると考えて、粉ミルクを飲ませました。しばらくして同じ病院に入院していた産婦が「私の母乳で試してみましょうか」と言って、赤ちゃんに母乳を飲ませてみました。すると、赤ちゃんは彼女の母乳を吸いました。他の産婦も試してみると、この赤ちゃんは皆の母乳を吸いました。しかし、ただ自分の母親の母乳だけを吸おうとしませんでした。医者は不思議で仕様がなく、お母さんに尋ねました。「なんでこうなるのですか? この赤ちゃんはどうしたのですか?」と質問すると、お母さんは「もともとこの子が欲しくなかったのです」と一言言いました。結局、赤ちゃんは生まれてすぐ母親との距離を置いてしまいました。
 
 この物語の意味するところは少なくとも二つあると思います。一つは、母親のお腹の中にいる赤ちゃんは感情を感じ取ることができ、しかも正しいのです。もう一つは、生まれたばかりの赤ちゃんは自分の直感で判断することができ、見えなくても判断できるのです。
 
 テレパシーは実際に存在しています。修煉者にとって、発した念が善か悪か、正か邪か、何かを考えているとき、高次元の生命はそれを知っているし、周りの物質もそれを感じとっているのです。いかに騙そうとしても、その念は隠すことはできないのです。
 
 ある修煉者は長年、自分の父親に恨みを抱えていました。父親に対して優しくしなければと分かっているものの、数十年来の怨念を捨てられず、その心を放下できませんでした。いかに表面上、不満と怨念を見せずに取り繕って父親に笑顔で対応し、食べ物や生活用品などあげても、父の機嫌は悪くなるばかりでした。彼は些細なことでも怒鳴られ、叱られました。この修煉者はとても不平に思って、怨念も次第に大きくなり、悪循環に陥りました。しかしある日突然、彼は自分の父親に対する不満と怨念に気付き、自分が父に対する理解と寛容がなく、自分の念が善念でなかったため、このような対応されたのだと悟りました。表面上、親孝行をしているように見えても、心の中では冷たくて、偽りの心を持っていれば、これこそ親不孝なのです。表裏の不一致は修煉者にとって恥ずべきことだと悟ってから、自分の後天の良くない念、不満を一転しなければならないと思いました。修煉者は常人に対して恨みをもってはいけないのに、まして自分の父親に対しては尚更のことです。この修煉者はただちに心中の怨念を無くして、一掃するようにと発正念しました。すると怨念は離れて心性は向上し、父親の態度も柔らかくなり、笑顔になりました。修煉者は心を修めて不正な念を無くして、衆生を大事にして初めて衆生に優しくすることができ、衆生を救うこともできます。
 
 師父は「相由心生(相は心から生じる)」の法理を語られました。修煉者にとって、周りのすべては心により変化します。人はあなたの心を感じることができるのです。常人に対して多少なりとも怨念をもっていると、周囲にもそれなりの不満の状態が現れてくるのです。同修に寛容になると、それに応じて信頼が増すことになり,自分の正念が強ければ、それに応じて威力も強くなります。私達が本心から人の為に純善の念を発するならば、相手が感じるのは慈悲と温かいエネルギーであり、不正なものは解体してしまいます。一方、心の中の善が純粋でなく、けん責や怨念の心を交えていたら、相手が感じるもののは善と怨が混じり合ったものです。だから、人が不満を抱えている時、修煉者は自省し、自分の心に向かって探さなければなりません。自分の心を正せば、状況も変わって、柳暗花明(注:柳暗花明又一村。行き詰まったと思えても、新たな展望が開けるという意味)の状態が現れてきます。
 
  もし修煉者が形式を重んじるだけで心を修めなければ、十数年、百年経っても何にももなりません。修煉者にとっては、行うことや、言うことはすべて表面上のもので、修煉の本質は何を修めて何を正したのか、なのです。修煉は心を修め心を正すことであり、心が不正であればすべてが台無しです。そのため、修煉者は人の反応から自分の心を探し、人の態度や反応は自分の心の現れと思えばよいです。心に向かって探し、自分の心、一存一念を正さなければなりません。
 
 テレパシーは見ることができず、触ることもできないものですが、実際にあるものです。自分の考え、欲望は宇宙の中で感じられるので、周りの生命にも分かります。人の感得が分かりますか? 自分の心に向かって探すことは出来ますか? これこそ真の修煉、真に自分を向上させることなのです。 
 
2011年06月08日

■関連文章
学法を実際の修煉と結び付けるべきである
ダイナマイトが爆発して金属片が体に30数箇所刺さる
何をしても人のことをまず考えるようにする
師父が命を助けてくださった恩が忘れられない
「相は心から生じる」からの感想
人に指摘されたくない執着を完全に取り除く
田舎の女医が真相を伝えた物語
「発正念」 の作用について
しっかりと学法し、自らを修める
法輪功を修煉して全身の疾病が消えた