寝たきりの私が再び健康に
(明慧日本)私は1936年8月生まれで、今年75歳になります。1994年4月に法輪大法に出会い、その年の7月に縁があって、師父の湖南省チン州市で行われた法輪功の説法に参加しました。修煉を始めてから、私の体のすべての病症、例えば胃病、痔の脱肛、乾癬、頸椎炎など長年苦しんだ持病が全て完治しました。そして歩くと全身が軽く感じ、お米を背負って一気に5階まで運ぶことができます。疲れを感じることはほとんどありません。
1999年7.20、中共(中国共産党)は全面的に、法輪功を残酷に迫害することを始め、私も中共から迫害を受けました。2002年5月、同修達と家で大法を学法したり、交流している時、警官が突然扉をこじ開けて入ってきて、連行され留置場で70数日も拘禁されました。毎日長い時間、奴隷のように強制的に働かされ、任務が終わらないと獄吏に殴られます。その後、私は労動教養所に送られて、何人かの犯罪者に毎日24時間監視されて、学法することや煉功すること、人と話をすることも許されません。私を強制的に転化されるための手段として、大法の修煉を放棄する『三書』というものを書かされ、書かなければ、警官は同教養所の犯罪者に指示して私を順番に殴打させました。
同年11月4日、私の四肢は力が入らず、涙を流す病状が現れたので、労動教養所側は私を診察させましたが、効果はありませんでした。11月8日に、私の右手足は思うように動かなくなり、体には半身不随の病状が現れ、朦朧としていました。労動教養所は私に薬を注射し、酸素吸入をし、そして急遽、省立病院に搬送し、応急手当てを受けました。病状が深刻なため、病院側は責任を負うのを恐れ、入院することを承知しませんでした。労動教養所側も事故の責任を負うのを恐れ、私の子供に電話をかけて、私を病院に搬送させました。半月治療しても、私の病状はほとんど好転しませんでした。しかし、医薬費は1万元以上かかりました。仕方がなく、私は退院して家に帰りました。
私は毎日、寝床の上で横たわって、話すこともできなく、「うんうん」としか声が出せません。トイレ、食事、洋服の着脱などの日常生活はすべて他人に世話してもらう他ありませんでした。あのような悲しい気持ちは言葉で表現することができません。今でも、その時のことを思い出すと、涙が思わず出て我慢できません。しかし、まだ続きがあります。半年後、地元の新聞には「円満を求めるため法輪功に夢中になり、病気も治らず麻痺する」というタイトルの文章が掲載され、私のことを利用して大法を中傷したのです。このような事実とは真反対な卑劣な手段で、私はまた精神的なダメージを受けました。
私は心の中で、「弟子は大法をよく勉強できていないことで、これを中共に利用され、大法を破壊し、人を害してしまいました。師父に会わせる顔がありません。私は大法を実証したいです!真相をはっきりと説明したかったのですが、能力がありませんでした」と師父に謝罪しました。
お見舞いにくる同修達は私を、「師父を信じて、自分を信じて、別の空間からの邪悪な生命の、自分の体に対する迫害を全面的に否定してください。学法をし、煉功をして、発正念を行って、邪悪を取り除いてください」 と励ましてくれました。
私は師父の説法の録音を聞き、正念の口訣を読み、できるだけ自分のことは自分でやるようにしました。それから、私の状態は日々好転し始めました。私は「うんうん」とうなり声しか出せない状態から、単語を発せるようになり、完全に言葉が言えるようになりました。横になったままの状態から努力して座ってみて、自分で衣服を着て、立ち上がりました。私は最初自分の服のボタンを家族に掛けてもらっていた事を思い出しました。手の力が弱く、痙攣するため、どうしてもボタンの穴を正しく合わせられません。上着の3つのボタンは2、3時間かかりましたが、ついに掛けることが出来ました。両足でしっかりと立つことができず、手が上げられなかったため、煉功をする時、とても苦痛でした。しかし、諦めることなく、続けて煉功を繰り返し、転んでも立ち上がり、再び煉功を行いました。
ついに、私はほぼ正常な状態まで回復しました。自力で日常生活を送れるようになりました。階段の上がり降りも、歩くこともできて、話すことや本を読むこともできました。私は新しい人生を再び得ました。それから9年が過ぎましたが、私は依然として健康で生きています。私自身のこの体験から、改めて法輪功の奇跡と、師父の偉大さを実証しました。
2011年06月10日
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