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トルコで法を広める時の不思議な体験(二)


文/オーストラリアの大法弟子

(明慧日本)私は彼女に、ロンドンにいるという記者について尋ねました。彼女はその記者のメールアドレスを教えてくれました。私は彼女と共に、法輪大法について3ページの文章を書いて記者に送りました。数日後、記者からとても感動したという返事が来ました。私たちはこれをきっかけに友達になり、彼は大法を紹介する記事をたくさん書きました。
 
 翌年、ヨーロッパの修煉者たちは、ロンドンで開催される集会を応援するため、イギリスに集まりました。私もロンドンへ行き、あの記者が空港まで私を迎えに来てくれました。翌日、この記者は今回の集会と、中共(中国共産党)が人権を踏みにじっているという内容の記事を『ヨーロッパ』というトルコの新聞に掲載しました。その新聞はヨーロッパにいる多くのトルコ人が読んでいます。
 
 ロンドンに行く2日前、友達になった記者と学法した時、彼女は「平和に関する会議がトルコ中部の小さな町で開催されますが、申し込み期限はすでに過ぎています」と言いました。会議では現地政府の汚職を調査し、近隣の村長、市長ら約100が会議に参加する予定でした。
 
 私は言いました。「この機会を逃してはなりません。必ず行きます。師父のご加持がありますので、絶対に行くことができます」そして、私は2人の同修と車で開催地へ行きました。2人の同修はまだ行き先も知りませんでした。
 
 私たちは小さな古い車で開催地へ向かい、延々と続く険しい山を越えなければなりませんでした。私たちはずっと発正念をし、学法をしました。私たちの車は、小さなカブトムシが巨大な山を登っているような感じで、スピードが出ませんでした。しばらくして警察に停止を命じられ、私たちの車のスピードが遅く、もし、このままならば罰金を課すと言われました。私たちはトルコ史上で唯一、車のスピードが遅いという理由で罰金を取られそうになりました。結局、もう少し早く走ることを警察に約束して、私たちは再び車を走らせることができました。
 
 私たちは小さな町に着きました。高級なホテルには泊まれませんが、安いホテルはすでに満室だったので、私たちはホテルのトイレで服だけを着替えたいと、ホテルのオーナーにお願いしました。私たちは服を着替え、オーナーに感謝し離れようとした時、「今夜どこに泊まるのですか」と聞かれました。私は車で寝るとも言えないので「まだ決まっていません」と返事すると、「なぜここに来たのですか」と聞かれ、私は「法輪大法と迫害の真相を伝えるために来ました」と答えました。
 
  ホテルのオーナーは「ある団体が部屋をキャンセルしたので、もしよければここに泊まりませんか?」と言いました。このホテルの宿泊費はとても安かったのでオーナーの言う通りにしました。私たちはホテルの従業員たちに功法を伝え、さらにオーナーにお願いして大法の真相資料をロビーに置かせてもらいました。
 
 会場に着くと、私たちは警備員に止められました。一緒に来た2人は発正念をし、私は警備員に真相を伝えました。「今回の会議の主題は中共の人権問題に関係しています。自分の国民が煉功し、良い人を目指すことを理由に、迫害を加える政府はありません。もし、入場できず、司会者に中国で起きている事を伝えることができなければ、今回の会議の目的を達成することはできません。私たちは遠方から来ましたが、入場できなければ、この神聖な会議の主催者は残酷で無慈悲であると思います」
 
 警備員たちは派手な服装をした若い人たちでした。中の一人が「そんなことはありません。主催者は無慈悲だとは思えません」と言って、私たちに入場券をくれました。ほかの警備員は何か意見があるようでしたが、言葉を発することができないようで、結局何も言いませんでした。また、入場券をくれた警備員から、とある観光地で開催される600人が参加する晩餐会の入場券を3枚もらいました。こうして、私たちは会議場に入ることができ、一緒に来た男性の同修が発言して、真相を伝えました。
 
 さらに、私たちはここで、トルコや世界各地からきた人権活動家と会見する機会に恵まれ、その中には国際連合やアムネスティインターナショナルの関係者、世界各地から来た300人の市長もいました。
 
 (続く)
 
 (2011年のオーストラリア法輪大法修煉交流会発表)
 
2011年06月11日

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