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新しい修煉者との修煉のなかで、自分を修める

文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)私は1996年に法を得た53歳の大法弟子です。私が住んでいる村には5人の大法弟子がいます。私たちは学法グループを成立させてから、農繁期、或いは特別な事情がない限り、ずっと一緒に学法してきました。
 
 私たち学法グループの中に郷村で病院を開業している同修がいます。彼女はとても多くの人と接触することができ、面と向かって真相を伝えることが出来ます。私の家の前に住んでいる女性は直腸癌を患っており、彼女は、一度この医者の病院で点滴を受けました。同修はこの機会を利用して、彼女に法輪功の真相を伝え、法輪大法のすばらしさと法輪大法は病気治療の方面で不思議な効果があることを伝え、また心の中で「法輪大法はすばらしい」「真・善・忍はすばらしい」と黙読するように教えました。この患者は同修の話を信じ、心の中で教えてもらった言葉を黙読しました。しばらく経ったある日、彼女は大便をするとき、2つの腫瘍と、とても多くの汚いもの、および汚い血を排出しました。彼女と彼女の親族はみな、「大法は素晴らしい」と念じたためにもたらした奇跡であることが分かっていました。その後、この医者の同修は彼女に「あなたの家の裏庭に住んでいる、大法弟子(私を指す)の家に行って学法しなさい」と教えました。
 
 その当時、私はあまり精進していなかったため体の状態がすぐれず、一日中頭がくらくらし、左上肢に麻痺している感覚があり、生活上でも多少不便さを感じていました。ある日、直腸癌を患っている彼女が、ふらふらしながら私の家にやって来ました。彼女のとても苦しそうな姿をみて、私はいやいやながらベッドに座りましたが、少し喋ると身体が辛くなり、我慢できずに横になりました。
 
 私は、彼女が私から煉功の動作を教えてもらい、一緒に学法するよう同修から言われたことを知りませんでした。彼女としばらく雑談すると、彼女はこう言いました。「私はあなたから法輪大法を学びたいと思い、やって来ました。ある医者が、あなたから教えてもらうように、と教えてくれました」と言いました。私は、同修に対する不満の心が一気に湧き出てきました。どうして事前に、私に声を掛けてくれなかったのか、なぜ私の代わりに同修が勝手に決めたのだろうか、と思いました。私は心性を守ることができず、彼女に「私はあなたに法輪大法を教えられません。あなたのような重病患者が法輪大法を学ぶことができますか? 彼女から学んでください。あなたはどうして彼女(医者の同修)から学ばないのですか? 彼女はどうしてあなたに教えないのですか」と言いました。彼女は少し失望した様子で「あなたが教えてくれないなら、私は死ぬのを待つしかありません」と言いました。
 
 彼女のこの言葉に、私はとてもショックを受けました。私はようやく目を覚まし、すぐ師父の説法を思い出しました。「人間の佛性とは善であり、慈悲として現れ、何かをするときにまず人に配慮し、苦痛に耐えられることとして現れるものです」(『精進要旨』「佛性と魔性」)。私が彼女に話した言葉は、大法弟子が語る言葉なのでしょうか! このことに気が付くと、同修に対する不満がなくなり、私は穏やかな気持ちで彼女に「あなたもご覧になっておわかりのように、私は今、動功ができません。ですから、あなたがまず師父の説法を聞いて理解できるかどうかを試してみてから、本当に法輪大法を学ぶことができるかどうかを判断しましょう」と言いました。
 
 こうして、毎日学法の時間になると、彼女は私の家にやってきて、私たちが法を読むのを聞いていました。それから数日後、彼女は病業を滅しはじめました。彼女は頻繁に大便をし、腹部の痛みが消え、よく眠れるようになりました。また、煉功するとき、彼女の体はとても敏感になり、大きな法輪が両腕の間を旋回し、下腹部でも旋回しているのをはっきりと感じ取ることができました。彼女の弟は姉の変化を目にして、自分も学法と煉功をはじめました。
 
 新しい修煉者と共に修煉するなかで、あの医者の同修も毎日煉功の時間になるとやってきて、2人の動作を正してあげました。当時、天気は蒸し暑く、弟の修煉者は第二式功法(法輪椿法)をやるとき、頭のてっぺんから全身まで汗が流れていました。彼は煉功の時、勝手に動いてはいけないと知っていましたが、体に汗が流れて痒くなり、耐えられませんでした。医者の同修は黙々と、煉功が終るまで濡れたタオルで新しい修煉者の汗を何回も拭いてあげました。この2人の新しい修煉者と共に修煉し始めてから、私の体の具合も好転し、以前の病業の状態もなくなりました。
 
 新しい修煉者との修煉を通じて、私はとても多くのことを悟りました。人心と強烈な執着が現れたとき、とても辛く感じますが、心のバランスが取れないときは自分の心の内に向かって探すべきです。自分と同修の間にトラブルが現れたとき、どの人心が刺激されたのかを内に向かって探すべきだと思います。私は普段から、自分が精進していなかったため、邪悪の要素に妨害され、体に病業の状態が現れました。修煉の中で人心を取り除くことはとても苦しく難しいものです。関を乗り越えるときに、自分自身が辛く感じたとしても、師父の苦心を感じ取って向上すれば、たとえその時自分を完全に制御できないにしても、私はその中に語りきれない神聖さがあると認識することができました。
 
 師父が按配してくださった日々と、すべてのことに感謝いたします。師父、ありがとうございます。同修のみなさん、ありがとうございます。
 
2011年06月11日


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