身をもって大法の奇跡を体験 文/中国遼寧省の大法弟子
(明慧日本)私は1994年に法輪功の修煉を始めました。残念ながら、私はいつも大法の 真・善・忍に基づいて修煉しておらず、些細なことで常人のようによく争い、大法弟子としてふさわしくありませんでした。それにも関わらず、大法はその不思議さを私は身をもって体験しました。
2009年8月のある日、家庭内の雑事のことで、私は夫とけんかになりました。夫はかんかんに怒り、私は自分を大法弟子とみなすことができず、全身が震えるほど腹が立ちました。夜、眠れなくてぼんやりしていました。うっかりして、6階の部屋の窓から真っ逆さまに地面に転落しました。近所の大法弟子が私を発見し、救急車を呼び、家族と一緒に私を病院へ搬送しました。その同修はまた急いで自宅に戻り、7千元を持って、病院に戻りました。医療費を前払いしなければ、病院は治療をしてくれず、手術もしないからです。
緊急に治療をして、私は25日後に意識が回復しました。私はまるまる25日間、意識不明の状態でした。
家族の話によると、当時、地面に転落した時、私の身体からは一滴の出血もなく、見た目にも損傷はなく、集まって来た多くの人々は本当に神に守られたのだと非常に驚いていました。病院に着いた時、血圧は測定不能で、CT検査で肝臓が破裂して出血が止まらず、脳幹には血液が溜まり、骨盤が粉砕骨折し、第4、5腰椎の骨折、右側の肋骨全部が骨折し、尾てい骨も骨折し、肺に液体が溜まっていました。
病院側は治療の意味はあまりなく、命と金の両方とも失ってしまうかもしれないと言いました。4時間の手術を経てICU(集中治療室)に移されました。私はずっと意識不明の危篤状態が続き、まず急性腎不全になり、命の望みは僅かしかなく、医者は家族に後のことを準備するようにと言い渡したそうです。家族は洋服などを持って来ましたが、しばらくしてから、私は死から逃れることができました。その後、40度の高熱がずっと続き、今回は本当にだめで、もう助かる見込みはないと医師に宣告されました。
その時、家のお金は全て使い果たし、家を売ろうとした時、私は突然意識が戻ってきました。家族は喜び、医師さえも6階から転落した人がまだ生きていて、その上、手も足も折れず、本当に奇跡だと言いました。ICUに入った人の生存率は3%にも達せず、生存していても、体の障害あるいは知的障害を伴うことがほとんどです。しかし、私だけは例外でした。
私は意識が回復してからまず最初に、師父が私の命を救ってくださったのだと思いました。私は身をもって、大法は奇跡を体験しました。私は自分が大法弟子であると自分にしっかりと言い聞かせ、師父がいらっしゃり、大法があり、私は必ず自分の足で家に帰ると誓いました。病室に看護師がいない時、私は「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」と大声で念じ、看護師がいる時は、心の中で念じました。
しばらくして、骨盤の手術をすることになりました。私は激痛に耐え、心の中でずっと「法輪大法は素晴らしい!」、「真・善・忍は素晴らしい!」と念じ、歯を食いしばって我慢しました。右側の歯は半年過ぎても物を噛むことができず、左の歯で食事をしていました。
私がICU病棟から一般病室に移る時、担当医師は家族に言いました。「良くなっても車椅子の上でご飯を食べることになるでしょう」 当時の私は心の中で考えました。「私は必ず以前と同じ状態に戻ります。人々に私の身をもって大法の素晴らしさを必ず伝えます。私自身の実例で中共の虚言を暴露します」
私は61日間入院した後に、退院しました。私は杖を支えに、一歩一歩、歩行練習しました。自分でトイレに行き、またリビングからベッドまで一歩一歩、歩いて戻りました。2010年3月末、私は杖を使うことなく、自力で手すりにつかまりながら階段を降り、家を出て行きました。隣近所の人々は私を見ると、皆がとても驚き、感心しました。実際、私は大法に救われたのです。偉大なる師父は私に新たな命を授けてくださったのです!
現在、私は毎日学法し、日常生活も自力で生活でき、以前と同じように買い物に行き、家事をやり、子供の世話をしています。
大法の不思議さはこのように私の体に徐々に現われ、病院で助けることができないと言い渡された人を大法は元の通りに回復させることができたのです。
2011年06月13日
明慧ネット:jp.minghui.org
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