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内に向けて探し、着実に修める(一)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)労働教養所から帰ってきてもうすぐ1年になりますが、修煉状態が良くない状態がずっと続いており、正念が足りず、常に同修から善意からアドバイスを受けたり、指摘を受けたりしています。同修らが私のしっかり修めていない様子に焦るのをみて、私も辛く感じたり、納得いかなかったりするときもあります。自分では迫害されている間、本当に生死を放下して、邪悪に妥協せず、正念もかなり強く、自分のすべてを放下して、確固たる信念を持って、乗り越えてきたと思っていました。しかし、家に帰ってから、自分が本当は落後していたことに気付きました。よくやったことが実は、自我を実証しただけで、大法を実証しておらず、更に師に手伝って法を正していなかったと認識するようになりました。特に最近起こった小さな出来事は、私に自分が学法と着実に修煉する方面の不足を認識させてくれました。
 
 それはある日の朝のことです。そろそろ7時になろうとして、私が発正念の準備をしているときでした。同修である夫は出社の準備をしていましたが、私に神韻のDVDをくれと言ってきました。「なぜもっと早く言ってくれなかったの。いまになって私に言うのは、これはまさに私が発正念をすることを邪魔しているのではないですか」と私は怒りだし、彼に神韻のDVDを渡しませんでした。夫が出社した後、私は後悔しました。どうして、また怒ったのか、どうしてDVDを彼に渡さなかったのか、これは修煉していることになるのか?すぐにこれは恨む心から来たものだと認識しました。
 
 発正念が終った後、私は更にうちに向けて探しはじめました。普段は学法も多くしており、毎日少なくとも『転法輪』を一講学び、時には法を暗記したりしているのに、どうして肝心なときになると心性を守れないのか?  この時、頭に師父の説法が浮かんできました。「ここまで、煉功しても功が伸びない二つの原因についてお話ししました。高次元の法が分からないために修煉ができないことと、内へ向かって修めず、心性を修煉しないので、功が伸びないのです。この二つが原因です」(『転法輪』)。私は唖然としました。十数年間修煉し、『転法輪』を私は何回も暗記したのに、なぜまだ「高次元の法」が分からないのでしょうか?  どうやって学法したのかをじっくり考えはじめました。
 
 私は1996年5月に学法を始めました。最初に学法したとき、ただ感性的に大法はすばらしいと思い、読むのが好きで、ずっと繰り返して読みました。なぜなら、私は常人の時、まさに勉強がすきで、読書と暗誦は私にとって、難しくなかったのです。1999年以前にすでに『転法輪』を3回暗記しました。しかし、多くの法理について私は理解していませんでした。1999年7.20以降、中共による法輪功に対する迫害が始まりました。私は陳情のため北京へ行き、拘禁され迫害を受けました。普段から学法がしっかりできていなかったため、私は間違った道を歩み、1年間まったく学法をしませんでした。2003年にようやく釈放され、帰宅して『洪吟二』の始めの詩、『堅定』を読んで、やっと悟り、再び学法をはじめました。
 
 いま振り返ってみると、私は学法において、とても大きな間違った理解をしていました。
 
 一、学法を任務として扱っていました。自分で毎日必ず1講を読むように決め、1週間に『転法輪』を1回読み終えました。しかし学法の時、心が静まらず、法が心に入らず、時には目では法を見ていましたが、心ではほかのことを考えていたので、読んでいないのと同じでした。
 
 二、求める心を抱いて読み、法から何かを求めようとしていました。私は学法する中、師父が私たちにエネルギーを与えてくださり、それによって私たちは向上できる、と悟っていましたので、自分が向上するため、本体を変えるため、功を延ばすために学んでいました。
 
 三、迫害を恐れる心を抱きながら、学法していました。毎日、常に1講読めば、心が落ち着き、もし1講学ばないと心が落ち着かなくなり、邪悪に隙に乗じられて、迫害されることを恐れていました。これを恐れ、あれを恐れるという純粋でない心を持って学法したので、大法の内包が現れるはずがありませんでした。そして、法を得ることもできませんでした。
 
 こうして数年間が経ちました。毎日学法していましたが、法の中におらず、大法の法理を悟ることができず、更に法に同化することはいうまでもなくできませんでした。同時に師を尊敬し、法を尊敬することもできませんでした。学法がしっかり出来ていなかったため、何を言っても、何をやっても、法理に基づいておらず、人心を持って、大法の仕事をしていたため、邪悪に隙に乗じられやすく、迫害されました。迫害される間、生死の試練の前で、肝心なときに思っていたのはやはり「自己」であって、本当に「他人」の角度から問題を考え、迫害に反対し、迫害を制止させることができず、更に功能や神通力を利用して、邪悪が悪事を働くことを制止することができず、消極的に耐えていて、大法の威厳の一面を現すことができませんでした。よく修煉できている同修をみてみると、まずはしっかり法を勉強しており、真相を伝え衆生を救う方面で正々堂々としています。これこそ、師に手伝って法を正すことであり、邪悪は敢えて迫害する勇気がありません。
 
 私はどうやって修煉してきたのでしょうか。以前の私は、自分は十数年間修煉した古い弟子で、修煉がよくできていると常に思っていました。沈痛な教訓は私を目覚めさせました。振りかえって考えてみると、私は着実に修煉する方面において、あまりにも足りていませんでした。
 
 (続く) 
 
2011年06月25日

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