■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/06/25/mh265330.html 



貴重な18日間(二)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)師父は私たちの身体を浄化されただけでなく、私たちの業力を消し、業力を転化してくださり、同時に、私たちに心性の向上と、功の伸ばす気機を与えてくださいました。私は講堂に行く途中、バスに降りた後、洋服のポケットに入っているお金がわずかしかなく、家に帰るだけの金額しかないことに気付きましたが、師父のおっしゃった、業力の転化、及び失わなければ得られずの法理を思い起こして、平然とすることができ、師父の慈悲を感じました。私の業力は転化され、心性も向上し、病気がなくなり、身体が軽く、背筋もまっすぐになり、足の力も強くなりました。同僚は「後ろからみて、あなたであることが分かりませんでした。どんな妙薬を使えば、体がこんなに変化するのでしょうか?」と聞きました。私は同僚に法輪功を紹介し、大法を学びに来るように勧め、また以前習っていた気功の友だちも誘いました。
 
 また、ある出来事を通して私は、師父が大法を広め、縁ある人がチャンスを失わないようにと配慮されていることが分かりました。学習者たちは講座が終わり講堂を出ると、公共バスが次から次へと来ました。バスの中の乗客も「こんなに多くの人がここにいるのは、なにかイベントがあったようですね」と言っていました。最初、皆は気が付きませんでしたが、毎日講座が終わるたびに、バスがいつも時間どおりに来ていることに気づきました。皆、師父がバスが来るよう按排してくださり、私たちに、バスの乗客に大法を広めさせようとしておられると、悟りました。私たちは、バスの乗客に法輪功を紹介し、機縁を逃さないように勧め、次の講座の時間と場所を紹介しました。
 
 4期目の講座が終ってからしばらくして、私は幸運にも、再び武漢の5期目の大法講座に参加しました。新しい学習者の参加費は50元、古い学習者は25元でした。この参加費は、他のすべての気功講座と比べ、最も安かったのです。以前、私は他の気功講座に参加したとき、高い参加費を払いましたが、高い次元の内容はまったくなく、修煉するには至りませんでした。しかし、法輪功講座の参加費は最も安いものでしたが、師父が学習者に与えられたものは最も多く、師父は代価を求めず、学習者のために、たくさんのことをしてくださいました。
 
 師父は、毎日2時間あまり講法されましたが、いつも水を飲まれませんでした。ときには、1日中水を一滴も飲まれないので、学習者は「師父、講法の時間が長くなりました。是非お水をお飲みください」というメモを書いて何回も教壇に届けましたが、師父は、「私は飲みました」と答えられただけでした。講法の後、師父は功を教えられました。学習者の1人に、ステージで動作を示してもらいながら、要領を詳しく説明され、ときには師父が自ら、私たちに動作を教えられました。さらに、ときには演台から下りて、学習者の周りを一周されて、学習者の動きを直されました。師父は1日中講法されても、苦労をいとうことなく、私たちに自ら功を教えられ、私たちに責任を負われました。師父の言動は、学習者に感動を与え、師父は私たちに大法をさらに大切にする事を教えられました。師父の講法の後、毎回学習者たちは起立し、長時間拍手をしました。師父は皆に向かって、両手を振られました。当時、皆は「永遠にこのように師父と一緒にいたい」と思い、離れたくありませんでした。最後に、係員がマイクで「皆さん、速く退場してください。そうしないと、師父も出られません」と言いましたので、皆はやっとゆっくり講堂を出ました。
 
 私が最も印象深かったのは、師父は再三に、大法を手に入れるのは容易いことではないと説かれていることです。師父は「ですから、簡単に手に入れたからといって、簡単にそれを失ったりしないように、皆さんに忠告しておきます」(『転法輪・第六講』)とおっしゃいました。修煉は「筋骨を労し、心志を苦すること」です。修煉の路で雄獅のように「勇猛精進」しなければならないという教えを、私はずっと心の中に刻み、私の精進と、着実な修煉を師父は励ましてくださいました。私の修煉は、ときには精進が欠けましたが、師父の大法は、私の修煉を導き、一つ一つの難関を乗り越えさせました。魔難が来たとき、動揺することなく、師について法を正し、衆生を救い済度し、今日まで歩んできました。
 
 ある同修は、文章の中で「1日中涙がずっと流れ、一生分の涙が一度に全部でました」と述べました。私は師父の講法を18日間拝聴し、18日間、ずっと涙が流れていました。それは生々世々に大法を待ち望み、探し求め、やっと今世で大法を得たという喜びの涙でした。
 
 一生の中で最も幸せなのは、大法の修煉に入り、最も記念すべき18日間の師父の講法を拝聴できたことです。法を正す時期の大法弟子として、師父の慈悲なる済度を無駄にせず、師父の大法に従い、精進して実修し、大法に同化し、大法に円融し、修煉の道を正しく歩み、史前の大きな願望を達成し、円満に師父について帰ります。
 
 (完) 
 
2011年06月25日


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