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天の技、「精鋭黒甲部隊」は、今いずこに?(二)

(明慧日本)法を正す時期の大法弟子が、この宇宙の中で最も幸運な生命だと言える理由は、私たちが今生に法を得たからではなく、宇宙の演化の過程の中で、歴史上の太古の昔から、天上から一層一層この世に下りてくるなかで、私たちに与えられたすべてが最も素晴らしいものだからです。法を正す時期の大法弟子として私たちは、実はやるべきことをやっており、このような機会はほかでもなく、私たちのために残されているのです。
 
 三界だけが正法のために作り上げられたのではなく、宇宙そのものが太古の昔から今日の正法のために準備されていました。過去の宇宙の歴史の中で、各空間で発生したすべては偶然ではなく、そのすべては法を正す時期の大法弟子を成就させるためです。もし、私たちが師父に手伝って法を正すことを決めていなければ、私たちは今のように歴史上、すべての神に敬われる最も幸運で、最もたくさんのものを与えられた生命にはなれなかったでしょう。
 
 今日、法を正す時期の大法弟子となった私たちには、すべての能力と潜在力が備わっています。さもなければ、決して大法弟子にはなれなかったはずです。能力は大いに現れていますが、潜在力はまだ現れておらず、私たちが向上するのを待っています。
 
 すべての大法学習者たちには強い能力が備わっているので、現在師父に手伝って法を正す中で、師父は巨大な正の作用を発揮するよう望まれています。しかし、一部の学習者たちは自分の能力を疑っており、事を行うとき不安を感じています。多くの学習者たちは、かつてこのような考えを持っていました。実はそれは、自分自身に対する認識と法を正す時期の大法弟子としての特別な生命が内包すべき認識が足りないということを物語っています。つまり、大法に対して正しい認識が足りないということになります。
 
 宇宙の中には、どれほどの佛、道、神がいるのでしょうか? 数えきれないほどたくさんいます。小さな空間でさえ如来佛のような神がガンジス河の砂のようにいます。今日私たちは大法を得て法を正す時期の大法弟子になれたのに、まだ自分に能力がないなどと疑いを持つ必要があるでしょうか? 常人社会の中で私たちの能力が発揮できるかどうかに関わらず、私たちの潜在力はとてつもなく大きいのです。大法修煉の中で、師父に手伝って法を正す過程の中で、修煉によって次元が高くなり、潜在力も絶えず現れてきます。師父のご教示の通り、三つのことをしっかり行い、その過程の中で能力は強化され、潜在力が現れます。この方面において各地でたくさんの例があり、奇跡が起きています。明慧ネットで掲載されている文章もたくさんありますので、参考にされることを同修の皆さまにお勧め致します。
 
 これらは別に摩訶不思議なことではなく、大法弟子は皆、天から下りてきて師父を手伝って法を正している王ですので、自分の空間範囲内では一番能力があるのです。しかし、王が多過ぎるとある一つの問題が生じます。つまり、王と王の間でどのように協力し合い、共に法を正すのかという問題です。
 
 一人ひとりの大法弟子はそれぞれ巨大な天体とその中の計り知れない衆生を代表しており、すべての大法弟子の背後には強大な要素があります。正法の中で私たちの一言一念、一挙一動の背後にはそれに対応する巨大な天体があり、計り知れない衆生に影響を及ぼします。それでは、大法弟子の間での協力体制は、私たちが代表する巨大な天体と計り知れない衆生の間での協力ではないでしょうか。私たちが掌握している強大な要素の間での共鳴ではないでしょうか?
 
 宇宙は一つの全体であり、法を正す情勢は上から下まで対応しており、私たちの肉眼に見えるのは常人の中での表現形式だけです。つまり、大法学習者の間の協力は、常人社会ではごく普通に見えても、他空間で果している作用はとても大きいのです。
 
 常人社会で常人の体を持って常人としてのことを行っていても、私たちは大法弟子であり、師父を手伝って正法の活動を行っています。いかに協力し合い、いかに協調し、いかに効果を発揮するかなどの問題は、すべての大法弟子が直面している問題であり、法を正す活動の全体の中で効果を発揮し、師父が私たちに求めておられることを円融することはとても肝心なことです。将来、大法弟子が法を正す時期の中での功績をどのように評価され、法が正された後の位置がどのように按排されるかは、これらを持って判断されるのではないでしょうか?
 
 師父は以前、各次元の大覚者は自分のいる次元では、まるで死水のように空であると説かれました。私は師父が説かれている「死水」はその次元での本源の水であり、それはきわめてミクロ的で密度が高く、ものを投げ込んでも小波もなく、いかなる変動もなく、どんなに良くないものでも一瞬にして解体してしまうのだと悟りました。「物質と精神は同一のものである」(『オーストラリア法会での説法』)と師父は説かれました。次元が高いほど心性の表れが明確になります。私はこれらの「死水」は、実は大覚者たちの心性の体現、金剛不動の体現、強大な功力の体現であると悟りました。
 
 宇宙の各次元の本源の水はミクロから見ると、さらにミクロ的な粒子から構成されており、すべての大法弟子は大法の中の一つの粒子なのです。もし、大法弟子一人ひとりが確実に金剛不動に達することができれば、いかなるものも私たち大法弟子を動かすことができません。まるで「死水」のようにどんなに悪いものが入ってきても瞬時にそれを解体し、それによる動揺はまったくありません。もし、私たちが本当にここまでできるのであれば、旧勢力に左右されることはないでしょう。
 
 逆から言いますと、邪悪がまだ迫害を続けることができるのは旧勢力に操られているからであり、旧勢力は、「大法弟子が本当に金剛不動であるかどうか、自分の足りないところを見ているのか、自分の執着を切り捨てられるのかを試すため、当然試練を受けるべきである」と自分たちの観念で邪悪を操って、荒波をたてて大法学習者たちに魔難を与えています。もし、私たちが自分を制御することができず、常人の心が邪悪に利用されてしまえば、邪悪の思い通りになり、大法弟子の中で良くない作用をもたらし、難を大きくすることになってしまいます。 「ほら、俺たちは良くやったじゃないか。大法弟子は金剛不動に達することができず、互いに悪い方面で影響し合っている。これでも、大法が求めている要求に達したと言えるだろうか。俺らは彼らが正しく行うまでやろうぜ」という始末になります。
 
 (続く) 
 
2011年06月27日

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