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師父は私が家に着くまで見守ってくださった(一)

文/新蓮

(明慧日本)大法を伝えるために、私は他の同修たちと一緒に、私たちの地区から約20里(約80km)離れた、比較的辺鄙(へんぴ)な村に住んでいる新しい大法弟子たちに、毎日功法を教えに行くことになりました。
 
 同修たちは皆が同じ村に住んでいるというわけではないので、時には連絡がとれないこともあり、功法を教えに行く時、人数が多い時もあり、少ない時もあります。しかし、師父の巧みな按排により、行く人が1人もいない時はなく、今まで毎日続けていました。
 
 私はずっと田舎に住んでいましたので、あまり度胸がなく、いまだかつて夜に外出したことはなく、さらに遠出した経験も全然ありませんでした。私は同じ村に住んでいる同修を伴い、今までに2度、その村に行ったことはありましたが、1人で行ったことはありませんでした。今回、その同修が用事で行けなくなったと知った私は、1人で行くかどうか迷っていました。しばらくして私は「もし、他の村の同修たちも用事があって、全員が行けなくなったとしたら、私はどうすべきか? その村の新しい大法弟子たちは私たちを待っているが、無駄になるのではないか? 師がいらっしゃり、法があるのに、何を恐れているのか?」と考え、1人でも行こうと決心しました!
 
 師父の按排に感謝します。当日、私はやはり、ただ1人で行くことになりました。
 
 その日、功法の練習が終わると、新しい大法弟子たちは私を心配して、私の家まで見送ろうとしました。途中、私は何回も同修たちに帰っていただこうとしましたが、結局私を送ってくれました。そうしているうちに、遠くに私が住んでいる村が見えてきたので、私は同修たちに「あそこが私の住んでいる村です。間もなく着きますので、皆さんも疲れたでしょう」と言うと、同修たちはやっと帰り始めました。
 
 ちょうどその時、前方から懐中電灯のような光が射してきました。その光は地面を照らすだけでなく、私の顔や身体も照らしていました。そして、光はますます強くなって、「オートバイ」のライトのようになりました。さらに、「オートバイ」のエンジンのような音まで聞こえてきました。
 
 そして、その光と音はますます私に近づいてきました。その「オートバイ」は私のいる方向へ向かって進んできたので、眩しくて私は道をよく見ることができませんでした。「オートバイ」が通り過ぎた時、私は、「その人はどうして地面を照らさず、私を照らすのか?」と思いました。しかも、その途端、「オートバイ」は向きを変え、私について来ました。
 
 私は怖くなり、自転車を早くこぎましたが、「オートバイ」も同様にスピードを早めてついて来ました。私が自転車をこぐ速度を遅くすれば、その「オートバイ」も遅くなりました。私は慌てふためき、「この人はどうしたのか? まさか…」と、これ以上考え続ける勇気さえありませんでした。
 
 いつの間にか、私は村につながる小さな道にたどり着きました。そして、私はすぐにその道へ曲がり、自転車のスピードを速くしましたが、「オートバイ」も引き続き大通りを降りて、私について来ました。
 
 そこで、私はやっと「師父、師父ではありませんか? 慈悲深く偉大な師父が弟子を見守ってくださっているのでしょうか?」と思いつきました。 この時、光はさらに強くなり、まるで車のヘッドライトのように、道と道の両側をすべてとても明るく照らしていました。私にははっきりと分かりました。「師父は確かに弟子を見守ってくださっているのです」。 私は涙が流れ落ちました。「師父、本当にありがとうございます」と何度も何度も心の中で繰り返しました。
 
 自宅のすぐ近くに着いたとき、私は師父に向かって言いました。「師父、弟子は家に着きました。どうぞ、師父もお帰りくださいませ」。 この時、「オートバイ」の光と音が消えました。
 
 私はこらえ切れずに、涙がぽろぽろと流れ落ちました。私は急いで自転車から降り、身体の向きを変えて、師父に合掌して、感謝しました。 (続く) 
 
2011年06月27日


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