私はまだ生きている
(明慧日本)私は1998年から法輪功の修煉を始めた若い大法弟子です。10数年の修煉の道のりを振り返ってみれば、私は常に関に遭いながらも、毎回師父のご加護のもとで乗り越えてきました。しかし、私の惰性や仕事の忙しさのため、大法を自らの最優先事項として見なすことができず、それが原因で2010年10月、他空間で虎視眈々としている邪悪に隙に乗じられてしましました。
私はガラス製造業に携わっています。2010年10月末のある日、1ケースあたり2トンを超えるガラス板を2ケース受注しました。通常、私たちは地元の卸売業者からガラスを購入していましたが、今回はいつも購入しているところが品切れだったので、別の卸売業者からガラスを購入することになりました。私はこの卸売業者のオーナーと当日の引渡し時間を決めた後、顧客に当日の午後2時に商品を引き渡す約束をしました。
しかし12時を過ぎても、注文したガラスは届きませんでした。私は電話で卸売業者に問い合わせたところ、「もうすぐ到着する」と言われました。しかし、しばらく待ちましたが、やはりガラスは届きませんでした。しばらくして私が再び催促の電話をかけると、「待って下さい」と言われました。結局荷物は到着せず、2時になったので、私は焦りました。ちょうどこの時、顧客から電話で「貨物はいつ届くのか?」催促されました。私は卸売業者と顧客の間で板ばさみとなり、対応に追われました。私の顧客はすでに苛立っており、その様子を見て、私も卸売業者に対して、不満を持ち始めました。
午後四時になって、ようやく貨物が届きました。卸売業者は注文したガラスケースをクレーン車で運んできました。ガラスケースはクレーン車に吊り下げられて運ばれていました。その時、大きな「ドン」という音が聞こえましたが、私はまだ何が起きたのかわかりませんでした。
しかし、実際はガラスケースが私の頭の上に落ちていました。私がこのことに気づいた時、心のなかで「師父よ、助けてください」と叫ぶ以外ありませんでした。しかし、2トン以上のガラスが、私の身に落ちてきたにもかかわらず、私はその重さや衝撃を全く感じませんでした。このガラスケースは1メートル50センチの高さから落ちてきたので、その重みは2トンにとどまりません。しかし私はただ、ガラスが一枚一枚ゆっくりと自分の体に当たっていることだけを感じました。私は、師父が自分の側にいることを実感しました。また、その場にいた、他の従業員たちも、特に怪我はありませんでした。
この出来事のあと、周囲にいた人々はとても驚いていました。私の側にいたある従業員は、私が割れたガラスの破片に囲まれているのを見て、気が動転していました。その後、私は10分ほどで助けだされました。
師父のご加持のもと、私は無事でした。責任者が私に病院で検査を受けるように言いましたが、私は「大丈夫です」と元気に答えました。責任者はとても驚いていました。彼は私がまだ生きていることが信じられない様子でした。これはまさに奇跡です。
このことが起きたあと、私は家族(同修)と交流しました。私は、このことを通して大法の素晴らしさを多くの世の人々に見てもらい、真相を伝え、縁のある人を救うことができたとわかりました。喜ばしいことに、この件を通して現場に居合わせた人の一人が修煉を始めました。私個人としても、このことを通して、良いことであっても悪いことであっても、皆良いことであるという法理を深く悟ることができました。
初めての投稿ですが、妥当でない所があれば、ご指摘をお願いします。
2011年07月04日
明慧ネット:jp.minghui.org
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