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黒竜江省:不当拘禁された法輪功修煉者 29日後に死亡

(明慧日本)黒竜江省双鴨山(そうおうざん)市集賢県に在住の法輪功修煉者・矯齢ユンさん(49)は2011年6月10日、勤務先で警官に強制連行され、集賢県留置場に拘禁された。矯さんは2011年7月8日午後3時ごろ、留置場で迫害され死亡した。目撃者の情報によると、矯さんの遺体は骨と皮ばかりに痩せこけ、頭部にあざ、首に傷跡があり、顔は黒紫色になっていて、服が濡れていたという。
 
矯齢ユンさん

 矯さんが死亡する2週間前、矯さんの父親(81)は息子との面会のため留置場へ行った。2時間待たされた結果、息子との面会は許されず、悲しい思いで家に帰るしかなかった。
 
 矯さんは1993年に仕事で大慶へ行った。そして、1994年末に法輪功の修煉を始めた矯さんは、心身ともに健康になり、道徳心が向上し、真面目に仕事をやり、生活においても穏やかになった。
 
 しかし、1999年7.20、中共(中国共産党)が法輪功に対する弾圧を開始してから、矯さんは、法輪功の修煉を放棄しないという理由で、数回にわたって強制連行された。
 
 2000年2月25日、矯さんは、北京陳情局へ法輪功の真実を伝えに行ったが、陳情局の手前で警官に連行された。そして、地元に送還されて留置場に拘禁された。矯さんは留置場で煉功したため、鉄の棚に全く動けない姿勢で縛られた。
 
拷問の実演:鉄の棚に縛る

 矯さんは留置場で、迫害に抗議するため断食を行った。それに対し、警官は矯さんをトイレに連れて行き、トイレの中の便を矯さんの胸などに塗った。また、留置場の所長と受刑者5人がトイレの近くにあった棒で、矯さんの口を強行にこじ開け、高濃度の塩水を灌食した。そのため、矯さんは歯が一本抜け、口も裂けて血が出た。矯さんは、留置場で111日間にわたって残酷に迫害され、6月27日に釈放された。
 
拷問の実演:灌食

 2001年10月、矯さんは集賢県昇昌鎮で法輪功の真相を伝えたため、再び連行され、集賢県留置場に拘禁された。矯さんは留置場で、立ったままの状態で2回灌食された。また、冷たい地面で12日間、鉄の棚に縛られ続けたこともある。
 
 2011年6月10日7時20分、矯さんは勤務中に県国保(国家安全保衛)大隊隊長・呉華ほか、10数人の警官らに強制連行された。当時、警官らは法輪功修煉者・戴麗霞さんとラン秀媛さんも同時に強制連行し、現金3000元を没収した。その後、矯さんは集賢県留置場に拘禁され、29日後に死亡した。享年49歳。
 
 7月10日、矯さんの家族は公安局に遺体との面会を求めたが、警官ら10数人が矯さんの遺体を囲み、公安局長の指示で面会できなかった。公安局は情報が漏れることを恐れて、葬儀場の従業員に「矯の家族と接触しないこと、地元を離れないこと」と強要したという。
 
 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照) 
 
2011年07月13日


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