■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/07/14/mh161177.html 



江沢民死亡のニュースについて考える

文/中国の大法弟子

(明慧日本)2011年7月6日、香港のマスメディアは「江沢民死亡」のニュースを報道しました。その後、中共(中国共産党)当局はしばらくの沈黙を経て、「江沢民死亡」のニュースはデマであると発表しましたが、その後、当局はこの発表を削除しました。結局、報道上では江は死んでいるか、生きているか不明な状態になりました。大法弟子としてこの件について、私たちはいかに正念を持って対応すればいいでしょうか?
 
 人間社会でのすべては大法を巡って動いており、大法弟子は世間の主役です。法を正す過程で現れたすべてのことに対して、大法弟子が十分な正念を持つことが最も重要なことです。はじめて香港マスメディアが、江沢民死亡のニュースを知ったとき、私の最初の一念は、「それを死なせてはいけない、将来まだ裁判しないといけから」というものでした。もしかすると、多くの大法弟子がこのような考えを持っているかも知れません。その理由は『江沢民その人』という書籍の中で、最後に天安門広場で江に対する裁判が行われるシーンがあり、また旧勢力が大法弟子に試練を与えるために、江を最後まで残そうと愚かにも企んでいるからです。
 
 しかし、このすべては法を正す需要でも、師父の按排でもありません。『江沢民その人』は主に常人の角度から江の歴史上犯した犯罪行為を暴露し、人々にその邪悪さをはっきり認識させ、人々に善悪には報いがあるということを知らせるためのものです。師父が法を正す中で、それを江の最後の結末と考えてはいけません。江を最後まで残そうとするのも旧勢力の按排であり、師父は『精進要旨二』の「大法は堅固にして破壊不可能である」のなかで「しかし、それらの最も悪い邪悪の徒は、最後の一歩まで利用されます。それというのも、ほかにも大法弟子が絶えず表に出てきて、邪悪な旧勢力はそれを利用して引き続き大法弟子を試す必要があるからです」と説かれました。私たちは旧勢力のこの按排を認めてはなりません。
 
 江の死亡ニュースに対して、江が生き続けることを許してはいけないということです。もし、1人の大法弟子が「江は死んではいけない、最後の審判のときまで残さないといけない」と思い、2人の大法弟子がこう考え、更に多くの大法弟子がみな、こう考えたとしたら、江に生き続ける基礎を提供してしまいます。
 
 江は大法を迫害し、大きな罪を犯したため、人類も神も共に憤っています。どの角度からみても、それは生き続ける理由がなく、常人においても善悪には報いがあるという説がありますので、江がこれほど大きな罪を犯したのに、わたしたち大法弟子はどうして、それが生き続けることを認めるのでしょうか?
 
 師父は『各地説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」で、「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです。旧勢力が存在していますが、皆さんにその心がなければ、旧勢力も為す術はありません」と説かれました。つまり、江を死なせるか、生き続けさせるかは、大法弟子が決めることで、大法弟子こそ主役です。もし私たちの考えの中に、少しでも「それを生き続けさせて、将来裁判できるようにしたい」という一念があれば、江の死体を借りて、魂を残す機会を与えてしまうかもしれません。もし私たちが、ほかでもなく、江は死ぬべきだという十分な正念を持っていれば、それは生き続ける理由がなくなります。
 
 実際、裁判など考える必要もなく、裁判がいつ行われるかはただ時間の問題であり、江が生き続けることと関係はありません。もしいまそれが死んだとしても、将来それを蘇らせて裁判することもできます。
 
 第二は、このことに対して、大法弟子は更に発正念に力を入れ、すべての卑しい鬼を根絶すべきであるということです。「皆さんがあの邪悪な首魁に近いところで、それに向かって正念を発すれば、邪悪による保護は間に合わなくなり、それは根絶されてしまいます。なぜなら、彼の人間としてのものは既に全部なくなり、この皮は完全に邪悪生命によって支えられています。正念を発することは、彼らを消滅していることです。もし補給が間に合わなくなったら、それは死んでしまいます」(『北米での巡回説法』) もし江の死が偽りだとしたら、私たちはちょうどこの機会に力を入れて、発正念して、江の死亡を現実にさせ、もしそれが本当に死んでいれば、邪悪は表面の現状を維持するために必ず卑しい鬼を調達して補充するので、かえって邪悪を取り除く、極めてよいチャンスになります。
 
 つまり、江を取り除くことは衆生を救い済度することにおいて、更に大きく、更に広い空間をもたらします。
 
 大法弟子こそ、今日の歴史における主役であり、世間のすべても法を正すことを巡って動いています。私たちは法を正すなかで現れたすべてのことについて、冷静な認識を持ち、本当に主導となるべきで、それは法を正すため、衆生を救い済度するためでもあります。
 
 以上は個人の悟りであり、不適切なところについては、同修の慈悲なる叱正を願います。 
 
2011年07月14日


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