■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/07/16/mh181944.html 



しっかりと自分を修め、まじめに協力する(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)中国国内向けの2010年「神韻」の映像DVDを製作する過程で私は、ラベルを印刷できるDVDと、市販の包装紙を使って製作しました。その出来栄えを見て私は「精巧で美しく、とても良い出来です」と思いました。しかし、しばらくして、ある同修は私に「明慧編集部が発表した通り、包装は既製の用紙に印刷したものを使うべきです」と言いました。私は少々納得できなかったので、その同修と交流することにしました。交流の中で、私の表情は穏やかでしたが、心の中は不満でいっぱいでした。私は「あなたは他人に文句を言うだけですが、私の仕事が大変なことだと、わかっているのでしょうか? 印刷した紙を包装し、糊付けするとなると、大幅に仕事量が増えてしまいます。しかも見栄えは、私が作ったものの方が良いのに」と思いました。当時の私は、このような考えで頭がいっぱいでした。私は大法を実証すると思っていますが、実際は、自分自身を実証しようとしていました。この出来事から、私の私(し)の心が暴露されました。
 
 同修と交流した後、帰り道で、師父がおっしゃった「遭遇したいかなる厄介なことや不愉快なこと、ひいては大法の仕事のためであっても、皆さんが思っているどれほど良いことや、どれほど神聖なことであっても、わたしはそれらを利用して皆さんの執着心を取り除き、皆さんの魔性を暴露させ、それを取り去っているのです」(『精進要旨』「再認識」)を思い出しました。家に帰宅した後、一緒に協力して仕事を行っている2人の同修に、自分の意見を述べました。同修の意見は参考になりますが、具体的な事は、自分自身で考えるべきです。修煉の中では、自分の認識が必要となります。私たちはもう一回、明慧編集部が発表した、神韻DVDの制作に関する通知を読みました。同修は、「印刷して製作したほうがいい」と言いました。私は意見がなく、「そうしましょう」と従いました。そして、私たちは用紙を購入し、一緒に神韻のDVDを製作しました。
 
 その日、同修と一緒に、師父の『二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』を学法しました。私は、師父がおっしゃった全体の協力について、「もし海外の同修が法を実証する時、師父が要求した水準に達し、己を放下する面で緩めることなく、黙々とお互いが協力しあうことができるならば、邪悪にとって本当に難攻不落となり、衆生を救い済度することにおいて、どれだけ有益な状態をもたらすことだろうか」と悟ることができました。
 
 (続く) 
 
2011年07月16日


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