大法弟子は必ず法を勉強しなければならない
 

二〇一一年ワシントンDCでの説法

(二〇一一年七月十六日、李洪志)

 

(熱烈な拍手)

 皆さんこんにちは! (弟子の皆さん:師父こんにちは!) 皆さん、ご苦労様でした! (弟子の皆さん:師父、お疲れ様でした!) 皆さんに会えてとても嬉しく思っています。ここ数年、法会、特に大規模な法会が多くなかったため、皆さんに会う機会も比較的少なかったのです。しかし、私は分かっていますが、多くの大法弟子は真相を伝え、人を救い、迫害に反対する中でしっかり行ない、積極的に行なっており、確かに大きな作用を働き、この点において大法弟子の責任を果たしたと思います。しかし、全体の形勢が変化するにつれ、ご存知のように、邪悪の要素はますます少なくなり、法を正す洪大な勢いが前へと推し進められ、一層一層にしてこの世を隔てる要素を薄く削っています。ですから、この世に近づけば近づくほど、各次元の空間の邪悪は大量に一層一層消滅されたため、この世の要素はますます少なくなり、弱くなり、形勢に大きな変化が現れるかもしれません。しかし、大法弟子にとって、皆さんが行なうべきこと、特にこの三つのことを怠ってはならず、くれぐれも怠ってはいけません。皆さんの威徳、皆さんの修煉、皆さんが負うべきすべては、すべてその中にあります。

 大法弟子にとって、皆さんの修煉は最も重要です。なぜなら、あなたがしっかり修めていなければ、行なおうとすることを完成することができず、人を救う力もそれほど大きくないからです。修煉の出来がさらに劣っていると、問題を見る時、考える時に常人の頭で、常人の考え方を用いてしまい、それならさらに悪くなります。ですから、皆さんはくれぐれも怠ってはならず、おろそかにしてはいけません。千万年、億万年の機縁と待ち望んだこと、歴史上に耐えてきたすべては、皆今日のためです。肝心なときに自ら行なうべきことをしっかり行なうことができなければ、将来分かるときになると、あなたにとって、あなたの生命にとってあまりにも苦痛なことになります。ですから、皆さんはくれぐれも怠ってはいけません。特に法の勉強のとき、皆さんは必ず真剣に勉強しなければなりません。ご存知のように、法の勉強において、多くの地区でいくつかの問題が現れました。どういう問題でしょうか? 一部の地区は形式的になってしまいました。『法輪』を読むとき、考えが集中しておらず、ほかの事を考えてしまい、修煉に専念することができない人がいます。これは時間を浪費しているのに等しいのです。時間の浪費だけでなく、本来向上すべきところですが、考えるべきではない問題や事を考えてしまい、向上どころか、下降してしまいました。法をしっかり勉強できなければ、多くのことをしっかり行うことができません。

 ご存知のように、大法弟子が迫害に反対するため、真相をはっきり伝えるため、人を救うため、多くのプロジェクトを立ち上げましたが、最も重要なのは皆さんがしっかり協調し合うことであり、協調が取れてはじめて、仕事を円満に行なうことができます。以前話したことがありますが、大法弟子の誰もが歴史上、王であり、天上の王で、皆自分の考えを持っており、一人で仕事を完成させる能力を持っていますが、協調となると難しくなります。難しいのは、誰もが自分の考えを持っており、良いアイディアを持っているため、皆自分の考えを固守してしまい、協調が取れなくなります。しかし、なんと言っても修煉者であり、大法弟子なので、最終的に行うべきことがいずれ目の前に現れ、修煉者の正念が主導的な働きを果たすべきです。実は私が思うには、大事なのは、法の勉強がついてくることができ、修煉がついてくることができれば、協調のことは解決されるはずです。長い間、一部の地区、一部の人は法の勉強が不十分なため、いつも常人の手法を取っており、協調が取れなくなったとき、消極的になり、ばらばらで仕事をし、または常人のずるいやり方で対処する場合さえあります。これは常人が大法のことを行うことになり、あってはいけないことです。一部の地区ではこの問題が突出しており、一部の人においてこの問題が突出しています。あなたはとにかく大法のことをやったと思っていますが、実はやっていません。あなたは形式的になってしまい、救われるべき人を済度できず、共に協調し合って作用を働くべき仕事は作用を働いていません。くれぐれもこのようにせず、必ず自らをしっかり修め、本当に大法弟子のように、大法弟子が物事を見る角度から問題に対処し、協力し合ってから、はじめてしっかり行うことができます。

 もう一つのことですが、大法弟子の今の資源は限られており、特に国際の多くの大法弟子は各プロジェクトにかかわっているため、所在地の佛学会が運営する法の勉強にあまり参加しておらず、しかもこれらの学習者は自ら進んで法を勉強しておらず、中に長い間法を勉強していない人さえいます。皆さん考えてください。私は話したことがありますが、あなたが行なったことは法に則っていなければ、法の力がなければ、あなた自身がしっかり修めることができなければ、そのことを円満に行うことができません。あなたはそのことを行なったかもしれませんが、そのことは作用を働かず、人を救うことができず、邪悪の要素を解体することにもあなたは作用を働くことができません。ですから、法の勉強はやはり最も重要で、最も重要なことであり、あなたが行おうとするすべての根本的な保障なのです。法の勉強がついてくることができなければ、すべておしまいなのです。

 時に法の勉強が不十分な場合、多くの常人の執着が現れ、各種の人心さえ表れてきます。ある出来事、場合によって非常に重要なことに対しても、人心で問題を見てしまい、人心で行い、長く続くとあなたのプロジェクトもなかなか順調に運ばなくなります。法を勉強しないので、常人の執着も多くなり、ますます突出し、あなたもますます常人のようになり、人の目にも修煉者らしくないように映ってしまいます。いくら忙しくても法を勉強しなければならず、ですから、各プロジェクトにかかわっている大法弟子に、やはり時間を作って所在地の勉強会に参加するように提言します。この間、各プロジェクトが自分で時間を作って法を勉強していいかと私に聞いてきたので、私はしばらく観察し、集団の勉強会に参加しなくても自分で修煉に励むことができるかどうか、行なえるかどうかを見ていましたが、結局駄目だと分かりました。駄目どころか、停滞して前へ進まなくなり、多くのことに深刻な問題があり、多くの人は問題を考えるとき、見るとき、対処するときに人心で行なっており、修煉がついてきませんでした。私はすでにこの問題の重大性に気づいたので、皆さんにできるだけ所在地の勉強会に参加するようにと教えました。いずれにせよ、法の勉強を怠ってはならず、これは最大の問題であり、根本的な問題なのです。

 ご存知のように、修煉がついて来れなくなると、人心が浮かんできて、言動から皆さんはそれに気づくのです。人心があると、各種の人間の考え方、各種の考えの根源が全部、あなたを妨害します。あなたの考えがある種類の生命の状態と一致すると、その種類の生命はすぐさま作用を働きます。この宇宙の複雑さは人間の言葉で表現しがたいもので、あまりにも複雑なのです。同等の次元にも多くの各種の要素が構成した空間があり、縦方向、横方向の空間があります。宇宙にある異なる粒子が構成した空間にさらに多くの各種類の元素で構成された各種の空間があり、粒子そのものの特性と、種類や大きさが異なる粒子が各種の生命を構成し、生命の大きさと種類は無量であり、計り知れないのです。あなたの考えがある種の生命と一致すると、その生命はすぐさま作用を働きますが、あなたは自分の考えの根源がどこにあるのかが分からず、自分がそうしたいからだと思ってしまいます。実は、あなたの執着はそれらに作用を働かせたのであって、それによってあなたの執着を強めたのです。

 考えの根源について、多くの人が研究しており、科学者も研究していますが、人間の脳の機能と考えがどのように生じたのかについて研究しています。以前皆さんに話したことがありますが、脳は実は人類という次元の思惟構造であり、表現形式の加工工場なのです。あなたの身体動作や言葉で何かを表現するにしても、あなたの言葉で語られた構造方式にしても、脳はこの作用、つまり加工して形にするという作用を働きます。今生で形成した観念に由来する念もあれば、好みの執着に起因する念もありますが、大きな出来事に関する念はどこから生じたのでしょうか? その出所はどこにあるのでしょうか? この空間ではありません。厳密に言えば、肝心なとき、根本的な自分が作用するのです。通常の場合、観念と好みを強めてしまう考えの根源はどの空間にもあり、人間の道徳の次元とも関係しています。思想境地の高い人もいれば、思想境地が非常に低い人もいるため、道徳の次元が異なれば、物事の進め方や考え方のレベルも異なります。空間は非常に複雑で、低い次元から高い次元まであり、同じ次元にも多くの空間が存在し、そのうえ横方向の空間はさらに多く、縦方向の空間の多さと同じなのです。各種の生命は密度が高く、いずれも人間を妨害することができ、中に物事を考えるとき法に則っていない人も含まれています。

 人間の形体はこの宇宙で相対的に言えば、大きいほうです。ご存知のように、ミクロであればあるほど粒子のエネルギーが強いのであって、現代科学では放射性が強いと言っているのではありませんか? 原子によって構成された生命は粒子が小さいので、構成された生命も間違いなく小さいのです。もちろん、さらにミクロの次元に行けば、その次元全体に及ぶ大きな生命の中に、異なる次元のミクロ的な粒子で構成された異なる大きな生命がいますが、相対的に言えば人体を構成した同じ量の粒子のように、つまり、粒子の大きさに関係なく、量だけについて言えば、この量の粒子で一つの生命を構成しているため、相対的に個体が小さいのです。さらにミクロになれば、さらに小さく、さらにミクロになれば、さらにさらに小さくなりますが、智慧は大きくなり、なぜなら、次元が高まったからです。多くの極めてミクロの空間にいる佛と神も非常にミクロですが、現れると非常に大きいのです。異なる大きさの粒子で構成された空間にいずれも佛がいて、小さい空間から来ている可能性のある佛もいて、見えないほど小さい場合さえあります。もちろん、各空間の大きさが異なり、大きい空間も小さい空間も、大きい粒子や小さい粒子で構成された佛道神がおり、私はこの意味を言っています。ミクロの空間の生命に佛道神だけがいるのではなく、ご存知のように多くの各種の様々な生命がいて、非常に複雑で、私たちのこの世界にも各種の人種、各種の異なる民族がいるように、ほかの空間はさらに複雑で、歴史もさらに長いのです。ですから、何かの生命と一致すると、その生命が作用するのです。これは一つのことです。

 もう一つは人体の構造です。三界内のすべての物質粒子は三界のすべての物体を構成した要素であり、人体を構成したすべての粒子でもあるので、非常に多いのです。実は私たちが言う分子、原子、クオーク、中性微子、陽子はいずれも三界内の粒子で、しかも三界内の人間がいるこの表面の空間を構成した粒子です。三界内を構成した粒子は三界の外にいる粒子と構造がまた違いますが、すでに非常に膨大で煩雑で、非常に多いのです。なぜなら、あなたの体は分子によって構成されているため、分子が細胞を構成し、細胞があなたを構成していますが、分子より小さい粒子とは何でしょうか? それは原子によって構成されていると皆さんは知っています。原子より小さいのは原子核、陽子、中性微子、そして人間が新たに発見する粒子まで至るのです。つまり、人類がいくら発展しても人体を構成した最終的な粒子を発見することはできず、つまり、三界の最高次元の粒子になりますが、これは宇宙の中で最も最も低い次元の粒子の中の一つに過ぎません。

 先ほど話したのはつまり皆さんに、考えの根源が実は極めて複雑だということを教えたのです。人間はこの世で生命の過程を楽しんでいるだけで、以前人間は気の毒だと話したことがあり、人間はこの世で生活の過程で感じたことを享受しているだけです。私のこの言い方は比較的正確です。どういう意味でしょうか? 人間は自分で自らを司っており、自分のやりたいことを決めていると思っていますが、実はこれは後天的に養われた好みの中の習慣と執着であり、感じ方を追求しており、それだけです。本当に何かを行うときに背後で作用を働く要素は人間の習慣、執着、観念、欲望などを利用して作用を働いています。本当の人体はこういう状況で、生活の過程で感じたことを享受しているだけです。甘いものを与えられたら甘いと分かり、苦いものを与えられたら苦いと分かり、辛いものを与えられたら辛いと分かり、つらいことを与えられたらつらいと分かり、幸せなことを与えられたら嬉しいと分かるのです。

 大法弟子の真我はいずれも高い次元から来ており、私は人間と、人間を構成した構造についてだけ話します。先ほど人間の考えの根源について話しましたが、私は法を正す中、ある状況に気づきました。つまり、まだ法によって正されていない空間で、大法弟子の考えが正しいとき、ある正しい神または要素が作用し、彼の正念を加持するのです。大法弟子がお互いに協調を取れず、かんしゃくを起こし怒っているとき、いくらかの変異した生命は場合によって非常に大きいものもありますが、それを強めており、しかも異なる次元で一致した異なる低い各次元の良くない生命も作用を働いていると私に分かったのです。私は人間に善と悪があると言ったのではありませんか? それなら皆さん考えてください。人間の念が生じるとき、作用を働く要素が非常に複雑になります。しかし、大法弟子の場合、皆本当の自分がおり、世に下った目的は法を得るためだったり、師が法を正すことを手伝うためだったり、以前の自分の世界の衆生を救い済度するためだったりするのですが、この念を抱いてやってきました。本当のあなたは守られており、最初のころ、主導的な作用を働いていました。しかし、ご存知のように、三界に入ってから土に埋もれているように、徐々に主導的な作用を働かなくなり、ひいては作用しなくなりました。神は「私が泥で人間を造った」と言ったのではありませんか? 中国人は女娲(じょか)が泥で中国人を造ったと言ったのではありませんか? 天国世界から見れば、地上のすべての分子は原子や三界内の粒子、世の中を構成したすべての粒子も含めて、神の目から見れば、いずれも汚いもので、いずれも泥であり、神の世界の物質粒子はさらにミクロで、純潔で清らかで、さらに強いエネルギーがあります。彼らから見れば、人間のところは本当に土で、泥だらけなのです。人体はこれらの三界内の、神から泥と見なされている粒子によって構成され、造られたので、神は泥で人間を造ったとか、土で人間を造ったなどと言っており、こういう意味です。もちろん、神が人間を造ったとき、神の行為は人間の行為とは同じ概念ではなく、一念でできてしまい、手を動かす必要はありません。これほど低級な人体で、何の能力もなく、あなたの思想境地が何かのものと一致すれば、そのものがあなたを支配してしまいます。つまり、異なる次元の生命はあなたにほしいもの、執着するものがあるとき、ちょうど自分と一致していると気づけば、すぐに作用してしまい、場合によってはあなたを司ってしまいます。人間が理性を失い、うっぷんを発散しているとき、マイナスな要素が働きます。どんなものも生命であり、それは悪だったり、欲望だったり、恨みだったり、異なるものであったりするため、おのずと作用するようになります。

 特に法を正す間、宇宙にいるすべての正の生命も負の生命も今回の法を正す中で救われ済度されたいと思い、中に最も高い各次元の無量で巨大な神も含まれており、特にその世界の衆生も含まれていて、そのため、それらは皆この世と三界に足を突っ込んだのです。それらはこの万劫(まんごう)一遇の命が救われる機会を失いたくないのです。あなたは私を救うべきだ、皆があなたは私を救うべき、救うべきだと言っていますが、その表現形式は世間の論理や認識のようなものではなく、人に何かを頼むとき礼儀正しく、慎み深くなければならず、私を救ってくれるから、まず感謝して、便宜を図ってあげるという認識ではありません。それらから見れば、私を救ってくれるなら、まず私の次元に達し、この威徳を持ってはじめて、私を救うことができます。あなたにその威徳がなく、私ほど次元が高くなければ、どうやって私を救うのでしょうか? それでそれらはあなたに挫折を味わわせ、苦を嘗めさせ、あなたの執着を取り除いて、あなたの威徳を打ち立てて、あなたがある次元まで修煉してから、その生命を救うことができ、すべてこのように行なっています。

 ですから、以前話したことがありますが、大法弟子は修煉者として、問題を見る時、人間と逆の角度から見るべきです。不愉快なことに遭うと、機嫌が斜めになる人がいますが、それならあなたはほかでもなく、人間ではありませんか? 何の違いがあるのでしょうか? 不愉快なことに遭うときはちょうど、自らを修めるときであり、心を修めるときです。以前、宗教も内に向けて心を修めると言っていたのではありませんか? 今の人間の話は聞く必要がなく、彼には真意が分からないかもしれません。本当に自分を修め、トラブルや問題に遭ったら、自分のどこに間違いがあるのか、どのように対処するのかを法で量るべきです。皆さん考えてください。これはすなわち修煉ではありませんか? 出家しても、家で修煉しても、常人にこれができるのでしょうか? できません。あなたはこれで自分を修めているのではありませんか? 不愉快なこと、機嫌を損なうことに遭ったとき、個人の利益、自我が刺激されたとき、内に向けて見ることができ、自らを修め、自分の漏れを探し、トラブルの中であなたが間違っていなくても、「分かった。きっとどこかに間違いがあった。本当に間違いがなくても、以前の借りを返しているのかもしれない。正しく行い、返すべきことを返す」とこのようにします。絶えずこのような問題や出来事に遭い、絶えず自らを修めるのです。もし修煉者がこのように問題を考え、正の理で自らを修めていれば、常人の中で遭った不愉快なことは良いことではありませんか? 修煉したいと思い、三界から離れようと思い、元の場所に戻ろうと思い、自分の世界の衆生を救い済度しようと思い、本当に師が法を正すことを手伝っていれば、これはあなたに便利な条件を提供し、あなたに本当に自らを修めるようにさせているのではありませんか? 出くわした良くないことはあなたのために道を作っているのではありませんか? なぜ不快に思うのでしょうか?

 実はこのことは『法輪』で話したことがあり、ここ数年、私はずっと口を酸っぱくして話しています。一部の人は具体的な問題に遭うと、どうしても乗り越えたくなく、いい気分でいたいと思い、トラブルの中で自分を探さず、場合によっては間違っても認めようとしません。自らを修めていなければ、どのように私が法を正すことを手伝うのでしょうか? 私はどのようにあなたを使うのでしょうか? 毎日楽しいことばかりで、師が法を正すことを手伝うときもあなたを喜ばせることを行わせ、あなたの言うとおりにし、あなたを中心にすれば、やりたいと思うのでしょうか。そんなことはありません。この世の人がどのようになったのかを皆さんも目にしたと思います。昨日も冗談を言いましたが、今の俳優は映画俳優でも舞台俳優でも、悪役を演じるときに演技は必要ありません(皆笑って)。私と同世代の人と私より年上の人なら分かりますが、昔の人は心が優しくて、見た目も言葉遣いも優しく、その行動から人間としての基準が分かるのです。ですから、悪役を演じるときに、悪人らしくなるように演じる必要があり、真似したり、練習したりしてやっと悪役をこなせるのです。数十年の時間を経て、人間に大きな違いがありました。今の人は善い役を演じるとき、研究したり真似したりしますが、なかなかそれらしくならないのです。つまり、この世の人はこのように滑落しており、あなたはそれでも良い気分で修煉したいのでしょうか? 大法弟子の人間としての一面も人間の現実の中で修めており、人間の執着も持っているため、修めることができ、同時に協調がうまくいかないときや人心による妨害があり、中にあなた自身も含まれています。しかし、逆から言えば、この世の人間はこのように滑落し、提供してくれた魔難はちょうどあなたに修煉の機会を与えているのではありませんか? 旧勢力はこのように行なっており、このように考え、意識的に人を悪くし、大法弟子に修煉の条件を提供していますが、この世を駄目にし、この世の人を駄目にしてしまいました。しかし、今の人はご存知のように、ただの人ではありません。宇宙で法を正すことはこれほど大きな出来事であり、宇宙でこれほど長い歴史を按排し、宇宙で法を正すとき誰が人間になるのかは簡単なことなのでしょうか? なぜ今の人間は自然環境の保護をこれほど強調しているのでしょうか? 数年前、自然環境がまだここまで破壊されていないときから、環境の保護と動物の保護を重視していたのです。どんなことも偶然ではなく、多くの高次元の生命が下りて転生し、大法と縁を結びたいと思っていますが、人間も輪廻転生していて、人数と人間の皮が限られており、これ以上増えると、地球が収容できなくなるため、動物や植物に転生した高次元生命がいます。人類の生命の多くはただの人ではなく、普通の生命ではありません。しかも、世間にどんなことがあっても、神によって掌握されており、順序があるのです。乱れたのも神が乱れさせたからであり、順序がないように見えても順序があるのです。信じられなければ、このすべてをじっくり観察してみてください。しかし、ここの主役は大法弟子であり、衆生は皆さんに救われ済度されるのを待っており、皆さんに修煉環境を提供していると同時に、皆さんによって救われることを待っています。

 しっかり修煉せず、不愉快なことに遭うと不機嫌になり、大法の仕事もしなくなり、耳障りなことを言われたら、相手を救いたくないと思ってしまいます(皆笑って)。しかし、ご存知でしょうか? 彼らは皆法のために来ており、旧勢力や良くない要素、この世の中共邪党の赤龍、変異した生命、サタン、妖魔によって悪くされてしまい、人類の伝統、正統文化を否定するように唆され、人と戦うこと、自然と闘うなど邪悪な無神論文化を灌がれ、意識的に中国の伝統文化を破壊していますが、それは神が創ったものです。邪悪な邪党の闘争哲学を灌がれ、これは反宇宙のもので、魔もそれを消滅しようとしています。法を正すためでなければ、魔もそれを消滅してしまいます。なぜなら、それは変異したもので、宇宙でまったく存在すべきものではないからです。法を正しているため、旧勢力はそれを守っており、それを用いて大法弟子に試練を与えています。師父が旧勢力に反対しているのは旧勢力のこのやり方に同意していないだけで、師父には別のやり方があります。しかしいずれにせよ、世の中はすでにここまでになってしまいました。大法弟子として自分の修煉を緩めてはならず、自分をしっかり修めることに励むのみであり、乱れれば乱れるほど、乱れている中で自分を修めることができ、魔難や不愉快なことに遭えば遭うほど、「このすべては私の修煉と向上のための階段だ」と逆の角度から問題を見るようにすべきです。皆さん、そうではありませんか?(弟子の皆さん:そうです。拍手)

 皆さんは師父の説法を聞きたいと思っており、師父がこれらのことをはっきりと説明することができるからと思っているでしょう?(弟子の皆さん:そうです) 皆さんに教えますが、皆さんの本質の生命は私よりもはっきりと説明できます。師父は今人間の言葉で話しているため、本当の自分はとてもはっきりと分かっていますが、後天的な三界内の要素、良くないことによって形成された観念、経験、積み重ねは土のようにあなたをここに埋めてしまい、真念が出てこなくなったため、修める必要があります。つまり、外へ這い出して、汚染物を取り除き、自分をきれいに洗うことです。修煉の中で皆さんはこのことを行なっており、同時に魔難の中で衆生を救わなければなりません。忘れてはいけないのは、旧勢力は今の世の人、特に中国人を堕落させ、口では皆さんに修煉の環境を提供するためだと言っていますが、皆さんの修煉が成就したとき、宇宙がなくなり、皆さんは一人ぼっちでそれぞれの場所にいます。ですから、彼らを救う必要があり、魔難の中でも彼らを救わなければならず、これこそ大法弟子の威徳であり、常人にはできないことで、歴史上誰も行なったことのないことです! 誰もが衆生を救い済度することを口にしていますが、誰も行なっておらず、皆さんが行なっているのです!(拍手)

 しかし、私は法を正すことが必ず成功すると話しました、そうでしょう。(師父が笑って) 今日まで歩み、すでに終わりに近づいています。いずれにせよ、なぜ法を正すことが必ず成功すると言ったのでしょうか? 始まりから終わりまで、法はすでにできており、生命を救っているだけだからです。先ほど宇宙の構造について話しましたが、その目的は各次元の各種の生命によるあなたの考えへの妨害の根源を教えるためです。皆さんに教えますが、本当の自分は司っていますが、力が足らず、場合によってはどうすることもできない時もあります。なぜなら、宇宙の旧勢力ははるかに強いうえ、あなたは三界の逆になった理に埋もれてしまったため、師父があなたを見守り、手助けし、このすべてを掌握しなければなりません。これだけではなく、最も根本的なところで私はすべてを掌握しており、無から有までも含めて、それは人間の言葉で例を挙げて説明できることではなく、どんな方法でもはっきりと説明することができないことで、その力は最も強く、すべての生命に及んでおり、ミクロからマクロまでのすべてに及んでおり、いずれも制御の中にあります。どんなに高い次元の神も制御されています。宇宙の形式、この世の形勢に、高い次元から低い次元まですべてを含めて思い通りにある状態を表したり、行いたいことを行なったりすることができます。今、法を正すことをなぜこのように行なっているのか皆さんはすでに分かるようになり、それは元始生命を残すためです。これはとても難しいことであり、救われた生命が乱世の中で正邪をわきまえ、良くなり、大法弟子も乱世で修め抜け出し、自らをきれいに洗ってからはじめて残ることができます。

 以前、皆さんに話しましたが、神が何かを造るとき、一念でできてしまい、最高の神が宇宙を造るときも一念でできたのです。それは神にそれほど高い智慧と大きな力があるからで、彼の範囲内にそれほど大きな場があり、場の中にそれほど多くの次元の粒子があるのです。もし、各次元の大きい粒子から小さい粒子までいずれも生命であれば、皆さん考えてください、何かをしようと考えれば、すべての分子、すべての力、すべての粒子がいずれも生命で、マクロからミクロまで同時に作用を働き、すべて指令通りに行動し、しかもいかなる空間も時間も越えて、それは一瞬にできてしまうのではありませんか? これは神奇であり、神はこのようにものを造っており、一念でできてしまいます。神佛は動いていませんが、本当に行動したのはすべての粒子であり、一瞬にしてできてしまい、出来上がったのです。この粒子はこの次元、あの粒子はあの次元、この粒子はこのもの、あの粒子はあのものというように造っており、密度は非常に大きいのです。人間にはたいした能力がなく、人間にこの能力がなく、自分で手を動かして行ない、この空間の時間の中で少しずつ少しずつ、やりたいことをやり遂げるのです。これが人間なのです。

 皆さんとして、大法弟子は最後になればなるほど、自分の道をしっかり歩み、時間を大切にして自分をしっかり修めるべきです。たくさんの仕事をしましたが、振り返ってみると、すべて人心で行なったのです。人間として人間のことを行い、正念を用いたのではなく、大法弟子の威徳がありません。言い換えれば、神から見れば、仕事を行いましたが、それはいい加減に終わらせたのであって、威徳もなければ修煉にもなりませんでした。これでは無駄になったのではありませんか? 必ず法をしっかり勉強すべきであり、それは皆さんが位に帰るための根本的な保障です。(弟子の皆さんが拍手) それは師父が軽々しく考えたことではなく、師父が皆さんに説いたのは宇宙の法なのです。先ほど皆さんにくれぐれも修煉を怠ってはならず、くれぐれも法の勉強を緩めてはならず、必ず真剣に勉強すべきだということを教えました。今までしっかり勉強しなかった人は師父が今日もう一度話したので、帰ってから必ず真剣に法を勉強し、修煉し、考えがほかのことに気を取られてはいけません。(弟子の皆さんが拍手)

 皆さんは神韻について様々な考えを持っているかもしれませんが、ついでに話します。ご存知のように、大法弟子は多くのプロジェクトを立ち上げ、目的は邪悪の迫害を暴露するためです。同時に、毒害された世の人は誹謗中傷の中で邪悪の側に立ってしまい、虚像に騙され、それは非常に危険なので、皆さんは世の人を救い、真相を伝える必要があり、これは皆さんが今しっかり行なうべきことです。皆さんが立ち上げた各プロジェクトは本当に大きな作用を働き、しかも大きいだけでなく、非常に肝心な作用を働きました。神韻が芸術を通じて人を救っていることについて詳しく話しませんが、皆さんも分かっており、以前も話したことがあります。神韻の芸術として、世界ツアーで公演を開催する以上、スタートラインへの要求が高くなります。どのように高いのでしょうか? 当初から考えていましたが、素晴らしい演出効果がなければ、人を感動させることができず、人を救うこともできません。どの民族も自分の芸術水準が高いと思っており、私はある特定の民族について話しているのではなく、どの民族も自分の民族の芸術を擁護していて、これは人間にとって非難すべきことではありません。ですから、時々私は考えていますが、国際的に認められているオーケストラやバレエ、イタリアのオペラは世界芸術の代表であり、最も突出しており、芸術形式の最高峰となりました。主流社会の人は皆好んで観賞し、好きなのです。流行の最前線である現代的な公演は少数の中の下の階層とブルーカラーの階層、および大学生に歓迎されています。大学生が卒業すると、そこから離れ、自動的に主流社会に入りました。こういう状況です。

 ご存知のように、芸術の形で人を救おうと思うと、素晴らしい芸術形式がなければ人を救うことができませんが、なぜでしょうか? もし舞台で神の力添えで演じているのに、「この公演は本当に駄目だ。レベルが低い」と人が思ってしまい、あざ笑っているのであれば、皆さん考えてください。それは神の力添えがあっての公演であり、人を救うことができないどころか、人間が罪を犯しているのです。これではいけません。ですから、必ず素晴らしい芸術形式がなければなりません。神韻は世界の多くの国で巡回公演を開催していますが、もし芸術形式、芸術水準が高くなく、観客の水準に達することができなければ、世の人は神韻が良いと思わないので、人を救うことができません。ですから、必ず奇跡のような素晴らしさがなければなりません。誰もが良いと話し、誰もが良いと話さずにいられないようになってはじめて、その人を救うことができます。ですから、神韻芸術団は必ず高いスタートラインに立つ必要があります。当初、目的をもって歌と踊りという世界の各民族に理解され受け入れられ、見て分かる芸術形式を選んで行なったのです。しかも、私はほかのプロジェクトに見本を示し、神韻がどのように行なっているのか、それを参考にしてほしいと思ったので、公演の質、アーティストのトレーニングにおいて着実に行い、実際の公演で良い効果を収めました。皆さんは最初、各地で販促していたとき、私たちが一番素晴らしいと宣伝する勇気がなく、神韻の素晴らしい公演効果から皆さんは自信を持つようになり、行なっているうちに、だんだん心強くなり、一番素晴らしいと宣伝する勇気も持つようになりました。(拍手)

 もちろん、私は皆さんにどんなに素晴らしいのかを教えているのではなく、良い公演効果と神の助けがあって、それは人間にはできないことで、出されたエネルギーは全部「真善忍」だということを教えています。彼らの踊りにしても、歌われた歌、楽器が出した音にしても、中に全部この正しいエネルギーがあり、ひいては舞台にある色彩も正しいエネルギーを放っています。(拍手) どんなものも物質なので、この正しい全体効果で人が受益するため、公演を見て病気が治った人がいます。劇場を出ると電話があり、良い知らせが来て、生活で大きな難関に遭っているのに、すぐに解決され、その理由も分かりません。この公演を見てどうしても嬉しくなり、多くのことが変化したと言う人もいます。人間の難は人間の業力に由来しているため、以前行なった良くないことが溜まって、溜まれば溜まるほど難が大きくなり、大きくなったら人間は難に遭います。この難はあなたの将来の生活に災難をもたらすかもしれないし、体がつらくなったり病気になったりするかもしれません。神韻公演を見てこの業力が消され、公演の正しいエネルギーがこの作用を働き、皆さん考えてください、前方にある難はまだあるのでしょうか? なくなりました。難は業力によって造られたからです。これが公演の現場で人に受益させることができることの理由です。

 これだけではありません。ご存知のように、中国の文化は神伝文化であり、皆さんにも話したことがありますが、中国の「王朝」は「国家」と同じ概念ではなく、「皇帝」はほかの国の「王」とも同じ概念ではありません。「王朝」は人類の一つの時代を表しており、「皇帝」は「王」と大きな区別があります。王朝の主である皇帝は、すべての王を超越する王であり、皇帝の下が王なのです。国家の管理者は王朝の皇帝の詔書(しょうしょ)で王に封ぜられ、王位の継承も皇帝が詔書を下してはじめて、合法になります。これは中国が異なる天国から世に下りて人間に転生するときの門戸だからであり、ここで縁を結び、ここが為政の主たる場所であり、その後、歴史の最後の時期に縁を繋げ、願いを果たすのです。文化が変われば天人も代わり、異なる服飾、異なる生活習慣が伝わり、衣食住まで異なる場合もあります。王朝が変われば、これらの変化が生じます。もちろん、人類の王朝の交代に言及しましたが、人間に「武力で天下を統一し、王者が国を治める」という理がありますが、これは逆になった理で、正しい理ではありません。人間のところでは理が逆になっているため、ここの理と一致しなければならないので、戦争が勃発し、前の王朝を転覆し、そうしないと前の皇帝が退位しないのです。それなら、中国の各王朝にやってきた人間はどこに行ったのでしょうか? 皆中国で待っていれば収容できなくなるので、ほかの国に行きました。ですから、多くの国と民族が生まれ、人種が異なっているのは異なる神が異なった人間の皮を造ったためであり、元神はその人種のものとは限りません。初めて天上からこの世に転生するとき、まず中国にやってきて、ここで転生し、一つの王朝を作り上げ、その後ほかの国と地区へ転生し、一つの国または民族として大法が広く伝わることと法を正すことを待っているのです。

 皆さん考えてください。五千年の中華文明は誰が築いたのでしょうか? 全人類なのです。神は法を正すときに中国の文化を用いたいと思っており、神が築いたものでもあり、本来は半分、神の文化だったのです。とても素晴らしいものが含まれていて、五千年の文明の中の輝き、数え切れないほどの歴史物語があり、すべて神伝文化の見所であり、太古の時代の人間を現代の思考様式を持つ人間に作りあげる過程で築かれた文化なのです。では、このような文化を披露して、皆さん考えてください、面白くないでしょうか? 人を惹きつけるのではありませんか? 人気があるのではありませんか? 世界のどこで暮らしていても、この文化、これらの演目を見て、皆親しみやすく、その場に身が置かれているかのように、かつてそこにいたように感じるのです。そうですね。こういう感じ方です。どこに転生しても、その記憶が残っています。コンセントのようにプラグを差し込むと電気が流れてきます。しかし、長い間この世の逆になった理で形成された行為、観念、生活方式によって真の自分がここで埋もれてしまい、後天に形成された各種の人心、執着と異なる観念、今生今世で習ったすべてはあなたの以前のすべてを覆い隠してしまいました。埋もれて理由が分かりませんが、ただただ感動しています。分かっている部分は感動し、よく理解でき、分かっており、つまり本当のあなたが分かっていますが、人間の表面は理由を分からないのです。この脳は今の理で稼動しなくなり、この加工工場がこの気持ちを作ることをまとめることもできません。つまりこういう感覚です。ですから、神韻は人を救うことにおいて大きな作用を働いています。

 また、神韻は観客に、中共が法輪功を迫害するためにたくさんの虚言を作ったと伝えています。中共は実は今までの政治運動の時もこのように行なっていました。まず虚言をでっち上げ、そして中国人を利用して中国人を迫害し、国民の恨みを唆します。一辺倒の宣伝で、あなたは何も言えず、あなたが良いか悪いか誰も知りません。全国の新聞ラジオが中共にコントロールされ、あなたへの決め付けは天地を覆い隠すかのようにやってきます。歴史上、誰かを批判すると、三日で打倒されます。一本の記事で打倒されます。中共邪党はいつもこの有様ではありませんか? 今回はなんと言っても修煉をしている人たちで、打倒されません。しかし、その害は非常に深いもので、世の人が中共と一緒になって大法を罵り、大法弟子を罵っています。彼らは修煉している人たちで、しかも世の人を救おうとしています。皆さん考えてください。この人は罪を犯したのではありませんか? 人間が罪を犯したのですが、逆の角度から言えば、それは修煉者に起因しています。この点からみると、大法弟子は彼を救わなくていいのでしょうか? 救う必要があります。神韻芸術団の公演、アーティストのパフォーマンス、演目内容の構想、そして一つの動作、神韻で歌われた歌詞、神韻が創作した音楽さえ、すべて伝統的で正統かつ純正な中国文化です。全世界の人に築かれ、五千年文化の蓄積を有し、このように表現すると、人間は分かるようになります。まさに人間が相手を判断するのと同じように、少しの会話やちょっとした観察で、すぐにこの人が良いかどうかが分かるようになります。二時間あまりの舞台での表現を通じて、人間はこの人たちがどういう人なのかが分かるようになりました。純然たる善と美が満ちた公演は、普通の現代人がやり遂げられるものではありません。先ほども言いましたが、今は善い役を演じるとき、真似する必要がありますが、これは真似してできるものではなく、内心世界から自然にあふれ出てきたものです。しかも、修煉者の体は非常に純潔で清らかなのです。多くの観客はアーティストの善を目にし、笑顔も普通の俳優のように媚びている笑いではなく、完全に修煉者の純然たる内心世界からあふれてきたものだと分かったのです。観客は観賞して法輪功の人がどういう人なのかをすぐ分かったのではありませんか? もちろん、演目に人間の善を呼び戻すものと正統な美を表現するもの、そして法輪功学習者が迫害される内容もあるので、働いた作用は皆さんが目にしたと思います。ほぼ正しい作用で、九十五パーセント以上でしょうか。少し控えめにしましょう。公演を見て皆素晴らしいと話しており、しかも非常に感動しました。なぜなら、現在の公演に正しいものが非常に少ないからです。まったくないとは言いませんが、非常に少ないのです。

 公演が素晴らしいだけでは不十分です。神韻はまだ始まったばかりで、多くの地区は神韻をよく分かっておらず、知らないのです。どの民族も同じですが、神韻はある地区で公演すると、市民は彼らのバレエ団、オペラ劇場とオーケストラを知っていますが、神韻とは何かを知らないのです。ですから、この間大法弟子は大きな作用を働くことができ、神韻の宣伝の過程で本当に大きな作用を働き、つまり神韻を手伝って人を救っているのです。実は神韻もあなたを手伝っており、なぜなら、あなたが行なったいかなることも自らを修めているからです。しかも神韻が救った人の中にあなたの分が入っています。これは間違いのないことで、威徳は全部その中にあります。神韻に関して現段階では皆一緒に努力して人を救っていますが、師父はずっとあることを考えています。アーティストの素晴らしいパフォーマンスだけでは不十分で、現地の大法弟子がうまく協調できず、しっかり行なわなければ観客も来ないのです。現段階では皆協調し合い、局面を打開し、すぐにカナダ東部や台湾のように局面が打開され、皆に知られていれば、神韻が公演すると、これほど長い時間と大きな人的資源、物的資源を動員する必要がなくなります。皆さんは各プロジェクトでたくさんの仕事があり、全員神韻に参加し、ほかのプロジェクトを放っておいて、師父はこの状況が長く続いてほしくありませんが、現段階で力を合わせて局面を打開してほしいと思います。

 四年間が経ちましたが、局面が打開された地区もあれば、打開したどころか、ますます低迷している地区、起きてはいけない問題まで起きた地区もあります。これは修煉の差であり、つまり心を一つにして人を救っていないことの表れです。本来、三年の時間で公演の局面を打開し、その後これほど多くの大法弟子が参加する必要がなくなると思っていたのです。これには主流社会をまず打開してはじめて、全社会が打開されます。これは実は戦略なのです。しかし、主流社会をターゲットにすると言ったら、その通りになるのでしょうか? 観客が来なければ何も変わらないのではありませんか? あなたが打開すると言ったら、その通りになるのでしょうか? そうではありません。いくつかの方法を取る必要があります。どんな方法でしょうか? 主流社会向けのチケット価格に設定すると、観客が見に来るのです。そして主流社会のやり方と宣伝方法を取る必要があります。これらの方法がなければ、無理です。しかし、主流社会をターゲットにすると私が言ったら、数年前に町でチラシを配ったり、チャイナタウンで販売したりしていた学習者はそのやり方に慣れており、チケットも良く売れて、観客も来て、しかもかなりの人が来て満席になったのです。しかし、これらの人がどのように来たのかをご存知でしょうか? 大法弟子のすべての力を動員してやっと来たのです! このように長く続けていいのでしょうか? いけません。ですから、方法を考えてこの局面を打開する必要があるため、師父はまず主流社会に着手したのです。これで多くの学習者は「今までよくチケットを販売していたのに」と理解できなくなりました。一部のチケットは非常に安かったし、ただであげた場合もあります。ずっとこのまま行なうのでしょうか?

 西洋社会では商品にはその値段に相当する価値があり、これほど高級な公演なのに、どうしても露天商のやり方で販売しようとしています。師父はこのようにしたくないので、どのように主流社会に働きかけるかを皆さんに教えたのです。実は師父は何かを行なうとき、決して考えるだけで終わってしまうのではなく、多くの準備をしましたが、それは皆さんに見えないことで、神も行なっています。すべての用意ができ、あなたの行動のみ待っていますが、その一歩を踏み出せません。主流社会にどのように働きかけるのか、そんなことはできないと思い、高級住宅地に行って人と会っても、話しかける勇気がなく、恐る恐る資料を持っていますが、これで人を救えるのでしょうか? 相手はすぐあなたという人間を信用できないと思ってしまい、そうではありませんか? 本当に多く気遣う必要はなく、正々堂々と行なえばいいのです。大法弟子なので、自分が人を救っていると分からないのでしょうか? 神韻のチケットはこの値段にふさわしくないのでしょうか? ふさわしいのです! 皆さんに教えますが、(拍手)もし西洋社会の主流社会がこのような一流の公演を開催し、このレベルまで達したら、チケットの値段がどうなるか分かりますか? どの都市でも最低五〇〇ドルです。(拍手) 私たちはそこまで高くしていないのに、何を恐れるのでしょうか? お金を多く取っていないし、あなたは本当に彼を救っているのです。心が動揺し、車で行っても降りる勇気がなく、一周して「私も行った」と言うのです。またはこそこそして、高級住宅地でこちらに一枚、あちらに一枚とチラシを入れ、人の目に触れてはいけないことをやっているようです。確かにチラシを投函されると嫌がる人がいて、このやり方を認めない人がいます。しかし、それは用件に応じて判断すべきで、これほど大きなことで、人間は救われるのを待っているのです。やりすぎていなければ、相手は理解してくれます。本当に素晴らしく行なった学習者がいて、高級住宅地で堂々と相手のところに行って、落ち着いて説明したら、相手は非常に喜んで、あなたを待っているかのようです。実際はこういうことで、すべてが用意され、あなたが正念でそれを実行するのみですが、どうしても正念がないのです。

 去年のチケット販売が困難だったことの理由を皆さんは知っており、さらに一部の学習者は集まって正念を発していました。正念を発したのはもちろん、人を救うことを阻む邪悪を取り除くためであり、実は邪悪はすでにそれほど多くはありません。邪悪を取り除くのはもちろん良いことですが、たくさんの人が正念を発して作用がないのでしょうか? あります。しかし、一部の人は正念を発するとき、何を発しているのでしょうか? 座って手を立てていますが、考えは正念ではありません。「今年はなぜこのようにしないといけないのか? 去年は良く売っていたのに。なぜ私にここで正念を発するようにと要求したのか? なぜ私をチケット販売に行かせないのか? なぜ主流社会をやらないといけないのか? こんなに高くて誰が買うのか?!」という具合です(皆笑って)。皆さんは今聞いて可笑しいと思っていますが、非常に普遍的に存在する現象なのです。分かっていますか? 発したこれらのものは全世界で粘々としたものを形成し、少ない邪悪で皆さんを妨害してしまいますが、皆さんは取り除くことができず、直接大法弟子のチケット販売と本当に正念を発している大法弟子を妨害し、皆さんはそれを取り除くことができません。邪悪が邪魔してきたら、皆さんが正念を発すれば、すぐ邪悪を一掃し消滅するので、邪悪は怖くなり逃げてしまいます。しかし、大法弟子なので、消滅するわけにもいきません。一念の違いで、この問題について認識が足りないので、どうしましょうか? 仕方がなく、師父までなす術がありません。なぜなら、私はしっかり修めた学習者が今回の機会を通じて修煉をさらに向上させ、この道を歩み終えるまで待たなければならないからです。いずれにせよ、しっかり行なっている一部の学習者がおり、頑張ってやりぬき、乗り越えてきました。しかし、ご存知でしょうか? 去年救われ済度されるはずの人は永遠に機会を失いました。なぜなら、法を正すことは絶えず前へと進んでおり、一歩一歩、その次元の人の順番になれば、上ではある天国、ある次元の天体に到達したら、その次元の人が見に来ますが、次回のその席はほかの人のものになり、彼のものではないのです。どのくらいの生命を失ったのか皆さん分かっているのでしょうか?! 会場の空席を見て、私の気持ちが分かるのでしょうか?

 多くの大法弟子は「師が法を正すことを手伝う」、「師父の言うとおりに行なう」と言っており、強い決意で言っています。師父が本当に行なってほしいことがあなたの意に添っていなければ、または少し難しい場合、師に手伝うという正念を少しも持たなくなります。不満を持って、発した念は妨害の作用を働いています。以前話したことがありますが、誰も大法弟子を破壊することができません。皆さんは中共邪党の邪悪さを分かっていますが、誰かを打倒しようとすると、その人は三日も持たないのです。大法弟子は打倒されたのでしょうか? 修煉がますます良くなり、ますます堅固になり、ますます強盛になり、ますます成熟するようになり、中共邪党はこの作用しか働きませんでした。つまり、外的要素は大法の修煉を破壊することができず、どんな妨害があってもそれはできません。ニュージーランドで中共邪党は裏で邪に悟った学習者を利用して、悪事を働いていたのではありませんか? やらせてみてください。どんな結果になるかを見てください。誰が大法を破壊できるのでしょうか? 宇宙の法は誰が破壊できるのでしょうか? ほかでもなく皆さんに試練を与え、皆さんの人心と執着を掘り出しているだけです。皆さんが遭遇した大法弟子を妨害するすべての要素はいずれも、精進していない学習者、いい加減にごまかしている学習者を目掛けているのではありませんか? この前の邪悪なウェブサイトのように、一部の人が影響され、夢中になり、理性を失い、自分ではなくなったかのようで、邪悪なウェブサイトを広めていました。なぜこのようになったのでしょうか? あなたにそれらの執着、人心、嘘をつく習性、噂を広める癖があるから、それを掘り出して、このことを通じてあなたに挫折を味わわせ、自分の差に気づいてもらうと同時に、本当に駄目な人を淘汰しているのではありませんか? 旧勢力が悪人の良くないものを利用して、それらを表に出しているのはこの作用を働いているのではありませんか? ですから、私は誰も妨害することができず、ますます純正になるだけだと言いました。ご存知のように、中共のならず者のスパイは全世界の多くの劇場を買収しようと、電話したり脅迫状を送ったり、または法輪功学習者に成りすましてでたらめな手紙を書いて法輪功学習者に悪いイメージを抱くように仕向け、どんな手も尽くしましたが、皆に見破られ、なす術もありません。神韻韓国公演のとき、中共はわざわざ何人かの悪人を派遣して、絶対神韻が公演できないようにすると意気込んでいたのですが、結局公演ができ、完敗し、最後はなす術がなく、妨害しなくなりました。しかし、中共邪党が妨害しなくなったのに、皆さん自身でこれほど大きな損失をもたらしました。

 大法弟子の責任は衆生を救い済度することです。皆さん考えてください。神韻はいくら急いで人を救っても、一回の公演にどれだけの観客が来るのでしょうか? 全世界の七十億人を前に、皆さんと神韻はどれだけの人を救うことができるのでしょうか? すべてのメディア、大法弟子が運営するすべてのプロジェクトは全部人を救っており、皆さんが精一杯行なっても、やはり巨大な数の人が救われ済度されないのです。皆さんに話したことがありますが、実は皆さんは師父のために人を救ったのではなく、ほかの人のためでもなく、皆さん自身のために救っているのです。彼らは皆さんの未来の世界の衆生になるかもしれないし、皆さんの範囲内の衆生になるかもしれません。位(くらい)に帰ってから、一人ぼっちで誰もおらず、空っぽで、巨大な天体にあなたしかいないのであれば、それではいけません。佛は貧乏という概念がなく、皆富を為しており、生命はすなわち財産であり、あなたの世界を繁栄させることができます。それは全部財産であり、すべての生命が財産なのです。

 今日、在席の中に大法弟子の家族がおり、また大法弟子の常人の友達が会場に入ったと私に分かっています。なぜなら、この場はあまり清らかではないからです。もちろん、一握りの人は共産邪党が派遣してきたのです。いずれにせよ、皆さんに教えますが、ここに来たらすなわち機縁なのです。あなたの身分と職業に関係なく、あなたは佛法を聞くことができ、この機縁を持つことができれば、簡単なことではありません。見た目ではほかの人に言われてきたのですが、神が入場を許可しなければ、あなたは絶対に入ることができません。(弟子の皆さんが拍手) 私はほかでもなく人を救いにきたのであって(弟子の皆さんが拍手)誰もが私は衆生のために耐えていると知っており、目的は人が救われるようにするためです。私はいかなる個人的な求めもなく、私は何でも放棄することができ、私に人間の執着もありません。私は人を救いに来た以上、私に選択肢はありません。私は全世界の人を救っており、在席のすべての人も含まれています。(熱烈な拍手)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/7/23/244389.html)