■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/08/05/24050.html 



黒竜江省:製薬会社の副主任 10年の放浪生活の末に死亡

 10年という歳月は、一般温かい家庭を持つ人にとってそれほど長い年月ではないかもしれない。しかし、たった1人で心身共に苦しめられ続け、家にも帰れず、安定した住所すら持たない人にとって、10年はどれほど長く、辛い年月だろうか 張瑩(エイ)さん(女性)が重病により、異郷で死亡したという知らせが届いた時、人々はこのなく驚き、彼女の死を悔やんだ

 張瑩(エイ)さんはジャムス市第2製薬工場の技術副主任で、大学卒業後、熱心に仕事に励み、職場に貢献してきた。張さんは1997から法輪功を修煉し始めてから、長年にわた腸閉塞が完治し、各種の野菜を食べることができるようになった。以前、繊維のある野菜を食べることができなかった張さんにとって、まるで奇跡のようだった。工場の多くの従業員は、張さんの変化を見た後、相次いで法輪大法の修煉を始めた。
 
 しかし、19997.20以降、江沢民グループが中共(中国共産党)と結託し、法輪功への迫害を開始してから11人の法輪功修煉者、「修煉する」か「修煉しない」かという、緊迫した選択を迫られることになった。ジャムス市第2製薬工場の共産党の書記と工場長は、張さんに修煉を放棄するか、あるいは職場から除名されるかという厳しい選択を迫った。苦渋の選択を迫られなか、張さんは法輪功の修煉を選んだ。張さんは、自分の健康と生命が、法輪大法から得られたことを知っていたためである。張さんは、工場の従業員からの注目、同情や哀惜のなか、心から愛していた職場を離れ、放浪人生を歩みだすことになった。 
 
 張さんは不当な扱いを受け、職場から除名された。また、張さんの夫も失業し、生活は急に困窮するようになった。生計を維持するため、張さんはやむを得ず故郷を離れ、中国南部のある製薬工場でアルバイトを始めた。世の人々に迷わされることなく、張さんは各種の機会を利用し、人々に法輪功の真相を伝えていた。ある日、張さんはアルバイト先で真相資料をコピーしていた際、他の人に密告され、現地の派出所に不当に連行された。張さんはジャムス市永紅支局に送還された。家族保釈金を払ったため、張さん保釈されたが、張さんの身分証明書など、各種の証明書は返却されなかった。家に戻ると、張さんの夫は張さんが修煉を放棄するよう、張さんをひどく圧力を加えるようになった。しかし、張さんの「真善忍」に対する信仰わることはなかった
 
 証明書返却されず、他地区で仕事を探すことができなくなったが、張さんは生計を維持するため、当地で仕事を探すしかなかった。そして、張さんは、樺川(かせん)県のある製薬工場で仕事をすることが決まった。張さんの苦労をいとわず着実に仕事に励む態度は、職場の工場長を感動させた。張さんは、1つの技術面を担当する仕事を任されるようになり、その後、全工場の技術面での仕事を担当することになった。 
 
 しかし、当局による迫害、家族からの圧力、多忙な仕事、不安定な生活により、張さんの健康は再びされた。張さんは2008年に乳癌となり、翌年この世を去った。もしこの歴史上かつてない迫害がなければ、もし彼女に安定して暮らせる生活環境があれば、そして正常な修煉ができたならば、張さんがこれほど早くこの世を去ることなかっただろう。彼女はまだ40代だった。
 
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
 
 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/3/7/237266.html)


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