遼寧省鳳城市宝山鎮大営村に在住の法輪功修煉者・王書珍さんは、現地では誰もが知る親孝行の嫁である。しかし、中共(中国共産党)による10数年間の法輪功への迫害の中で、王さんは2度も不当な労働教養を強いられた。王さんの姑は臨終の際、王さんに合うことが出来なかったため、安らかに目を閉じることができなかった。
一、馬三家労働教養所で1年間迫害される
王さんは以前、病気を患っていたが、法輪功の修煉を始めてからすべての病状が回復した。王さんの舅と姑は2人とも80代で、姑は寝たきりのため、王さんは一心に2人の世話をしたため、現地では良い嫁さんであると評判だった。
2000年2月22日、王さんは法輪功の真相を伝えるため、北京に行ったが、不当に連行されて馬三家労働教養所に1年間収容された。6月、王さんの夫は労働教養所を訪れ、王さんとの面会を求めたが、教養所側に拒絶された。
2000年7月、王さんは法輪功と法輪功の創始者を誹謗する言葉を復唱するよう強要されたが、断固として拒否したため、労働教養所の隊長・董彬、指導員・張により、スタンガンで口・顔・首などに繰り返し電気ショックを加えられた。さらに王さんは、革靴で身体、腕などを蹴られ、髪の毛を引っ張られたため、王さんの髪の毛は抜け落ちて、顔と首には腫れ物ができ、動くことができなくなった。
拷問の実演:スタンガンで電気ショックを加える
ある日、王さんが大法の経文を読んでいた時、4人の受刑者が一斉に経文を奪い取った。その際、王さんは手を噛まれたため、手が物をつかめなくなるほど腫れ上がった。王さんは非協力的であるという理由で、第2分隊に移送された。第2分隊に収容されている受刑者はすべて、社会のごろつき、麻薬者であり、警官らは受刑者・呉強、張麗に、王さんを迫害するように命令した。この2人の受刑者は刑期を減らすため、毎日夜中の1時過ぎまで王さんに拷問を加えた。
ある日、警官らは受刑者・葛麗霞に指示して、王さんともう1人の法輪功修煉者を監禁し、繰り返し殴打した上、繰り返し頭を壁にぶつけたため、2人の目は鬱血してしまった。翌日、2人は廊下に連れていかれ、所内の規則である「30条」を暗記させられ、夜中まで苦しめられた。
拷問の実演:壁にぶつける
馬三家労働教養所に収容された法輪功修煉者は昼間、強制労働に従事させられ、きつい仕事はすべて法輪功修煉者に回される。仕事が完成できなかった場合、修煉者は受刑者に罵られたり殴られたりされ、あるいは体罰を加えられる。もし不合格品を出せば、強制的に弁償させられる。労働教養所は毎年、年末に堅塁攻略戦と呼ばれる一連のキャンペーンを行い、国から割当金が支給され、もし転向率が高ければ、警官らは割当金を多くもらうことができる。そのため、所長と警官らは賞金を得るため、各種の手段を用いて法輪功修煉者を迫害する。
王さんは毎日洗脳を受け、睡眠を許されないなどの拷問を受けたが、転向を拒否し続けたため、特製の牢屋に監禁された。この牢屋は低く狭くて、王さんは腰を90度にかがめて、手を地面につける姿勢を24時間ずっと強いられ、連続12日間、この拷問を受け続けた。その後、王さんは再び、四方が30センチの枠の中で一晩中しゃがみ続ける姿勢を強制され、少しでもずれたら蹴られるという拷問を受けた。2001年に王さんは刑期を満了したが、非協力的であるという理由で刑期を2カ月延期された。
王さんが拘禁されている間、姑さんの病状は悪化した。姑さんは毎日王さんの名前を呼び続けたため、身内の人は現地の政治法律委員会、公安局、派出所と相談して、姑さんが王さんと面会できるようお願いしたが、結局会うことは許されず、姑さんは亡くなった。死後、姑さんの両眼は見開かれたままだった。
二、馬三家労働教養所で3年間拷問される
2002年1月14日、王さんは再度北京へ陳情に行った。その際、王さんは逮捕され、不当に3年の労働教養を強いられた。天安門広場で、警官らは王さんが持っていた「法輪大法が素晴らしい」と書かれた横断幕を没収し、下品な言葉で王さんを罵った。この時、各地から陳情に来た法輪功修煉者たちは、すべて同じ場所に拘禁された。この中に、吉林省から来た法輪功修煉者がおり、繰り返し殴打されたため顔は腫れ、両目のあたりはすべて黒くなった。晩になって、修煉者はそれぞれ単独で尋問を受けたが、王さんは返答を拒否したため、警官らはテーブルを叩いたり怖い顔を見せたりするなど、王さんを恫喝した。その後、王さんを含む7、8人の法輪功修煉者は延慶県留置場に移送された。1月の北京はとても寒いが、留置場側は掛け布団さえ支給せず、修煉者たちは寒さで眠ることができなかった。翌日の食事の時間、法輪功修煉者だけが何も与えられず、王さんがベルで留置場の人員を呼ぶと、ようやく口汚く罵りながらトウモロコシの蒸しパンが与えられた。
2日目、地元の警官らは王さんを鳳城留置場に送った。留置場で、王さんは10数日間断食して迫害に抗議した。そのため王さんは、病院に送られて一日入院させられた。その際、警官らは王さんの家族から2,000元近くのお金をゆすり取った。この時、王さんは吐血して、体重は40キロにも満たなかった。このような状況にもかかわらず、王さんは5月30日に3年間の労働教養を不当に宣告され、6月14日に馬三家労働教養所に移送された。
遼寧省の馬三家労働教養所の当時の所長は蘇静、政治委員は王乃民だった。2002年には約1700人の法輪功修煉者が拘禁されていた。所内は3つの大隊に分けられ、王さんは第3大隊に拘禁された。第3大隊の大隊長は李明玉、分隊長は張磊と言う。王さんは入所直後に身体検査を行われ、制服を買わされた。所内では、全ての生活用品が高値で売買され、毎日与えられる食事はカビが生えたトウモロコシのパンと漬け物だけである。王さんは、誰も知らない場所に閉じ込められ、洗脳を受け、「三書」を書くように強要された。所内では各種の残虐な拷問が行われ、スタンガンによる電気ショック、鉄の椅子、牢屋に監禁、冷凍、長時間に日光にさらす、強制労働、睡眠のはく奪、直立不動の姿勢を長時間強制する、手錠をはめて吊るし上げる、刑期を延長する、精神的な迫害など、多種に渡った。
拷問の実演:吊るし上げ
大隊長・李明玉は、王さんを後ろ手に手錠をかけて吊るし上げ、転向を強要しながら、「転向しないと大北の刑務所に送るぞ」と脅した。王さんは昼間、食事を与えられず、ひっきりなしに罵られた。そのため、王さんは胃出血を起こし、2度、意識を失い起き上がることができなくなった。しかし張磊は、王さんに郊外での畑仕事を行わせ、10数日間、毎日10数時間も強制労働に従事させられた。また王さんは便所に閉じ込められ、毎日の食事も便所の中でさせられ、24時間眠ることを許されず、直立不動の姿勢を強制された。また、王さんは毎日、法輪功と法輪功創始者を中傷する内容の感想文を書くことを強要された。王さんが拒否したため、張磊は王さんを罵り、他の人に師父と大法を中傷する言葉を読み聞かせるなどして、王さんに対して精神的な迫害を行った。
多くの法輪功修煉者は張磊により迫害された。鉄嶺市に在住の王学力さん、興城市に在住の張淑珍さん、王書春さんの足の皮膚はすべて青紫色に変色し、腫れて歩くことができなくなっていた。本渓市に在住の王書平さんは、張磊から残酷な拷問を受けていた時、「法輪大法は素晴らしい」と叫んだため、前歯を数本折られ、頭に掛け布団とごみバケツをかぶせられ、窒息させられた。
2003年の年末、労働教養所側は各地の公安局の中で、最も邪悪な職員を集め、法輪功修煉者に対して最も残忍な手段を用いて、転向を目的とした迫害を行った。本渓市に在住の法輪功修煉者・張秀英さんは、縄で首を締め付けられ、窒息しそうになった。撫順市に在住の楊麗華さん、何桂栄さん、于淑葵さん、凌原市に在住のの董志雲さん、鞍山市に在住の王金麗さんなど、多くの法輪功修煉者が残虐な拷問を受けた。
明慧ネット:jp.minghui.org
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