■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/08/10/24450.html 



学法し、心を修める中で精進する(二)

文/中国遼寧省の大法弟子

 少しずつ私は自分が背負っていた負担をおろすことができ、やるべきことができるようになりました。私は同修と交流するとき、いつも他人を非難しないように注意し、善意を持って一人ひとり接しました。同修と私の関係はますます良くなり、同修たちは私と交流するようになりました。たまに私を非難する同修もいましたが、私はその場であまり多く考えず、で繰り返し、どこにまだ捨てていない執着心があるか、どこがしっかりできていないかと、内に向けて探しました。もしそれが邪悪による妨害で、私たちを引き離そうとするものであれば、それを解体しました。
 
 一度、労働教養所から帰ってきて3カ月くらい経ったある同修が中古のパソコンを買いましたほかの同修が彼をつれて我が家を訪れました。私は彼のために、新しくシステムをインストールしてあげ、彼にどうやってシステムを暗号化するか、どうやってインターネットに接続し、ファイルをダウンロードするかなどを教え、安全と正念について、彼と交流しました。彼が帰った後、「皆それとなく、彼を避けているのに、あなたはどうしてなんでも自分に引き寄せるのか、あなたは馬鹿だなどと、聞きづらい言葉を口にしました。私は何も言い返しませんでした。普段助けを求めて私を訪れる同修がいますが、彼女は普段何も言わず、とても支持してくれています。今回はどうして、これほど不機嫌になったのでしょうか? 私は心を静めて、に向けて探しました、なるほど、この数日間、子供は学校が休みのため帰宅していて、いつもテレビを見ていました。その影響で私は学法と発正念を以前のようにしっかりできなくなりました。たまに私も子供と一緒に少しテレビを見たりしていて、自分に対する要求を緩めてしまい、自分の空間場が不純になってしいました。邪悪はの恐れる心を利用して私に難を与えていたのです。私は心の底から、師父に申し訳ない、必ず自分を正しますという一念を発しました。また私は、他の空間の邪悪要素関与することを許しませんでした。当日の夜、私は心を静めて学法し、1時間以上発正念しました。発正念が終わると、一瞬自分の空間場がずいぶん清らかになっていると感じました。翌日の朝起きると、は何事もなかったかのようでした。私は本当にに向けて探すことの奥深さを体験しました。その喜びは修煉しない人は体験できないことで
 
 その後、私は普段の修煉の中で、常に内に向けて探すことに気を配っていましたが、自分が早く昇華していると感じました。私がもし本当に師父の話を聞き、大法の要求通りに行えば、修煉は容易く、いかなる難関も乗り越えられると感じました。師父の慈悲なる救い済度に感謝し、明慧の同修が中国大陸の大法弟子のために、交流の場を提供してくれたことに感謝します。自分の悟りがあまりにも遅いと感じますが、今後更に精進し、三つのことをしっかり行うこと努力してまいります。
 
(完)
 
 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/6/245010.html)


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