■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/08/13/24532.html 



感動:発正念の時に見たもの

夜10時55分になりました。これは私が所属しているプロジェクトで集団発正念をする時間です。私はいつもと同じように結跏趺坐をしてから、まず自分の空間場を清めました。すると突然、内心からある種の感動が沸き上がって来ました。恍惚とする中で、私は自分の他空間における体の一部が見えました。それは天地の間に荘厳に座っている千手大仏で、千手大仏が金色に輝く千の手を振るうと、様々な色の霞を放っていました。この時、私の体内のエネルギーが強く流れていました。手のひらを立てて悪を取り除くと、瞬く間に四方八方に向かって光が放たれ、様々な仏法神通が現れました。同時に、私に見えた千手大仏はまだ、別の仏の頭部にある法の現れの一部に過ぎず、非常に小さな現れの一つにすぎないことがわかりました。その時の視野は比較的に狭かったため、全体は見えませんでしたが、その威厳は人間の言葉で描写することはできません。神体が発した神のエネルギーは頭上を登り、体全体が浮き上がるように感じ、まるでこの物質空間、物質的な体から飛び抜けたかのように感じました。

 これらの全ては偉大なる師父により授かったものです。私の全ての体を含めて、全ては無限の大法が作ったものです。この時、これまで私が執着してきた、名・利・情はどれほど小さなものであるかがわかりました。まるで消滅したかのように、私とは何なのか、私の普段の考えとは何なのか、私自身を強調してきたことが、あまりにも小さくてかわいそうだと思いました。同時に自分がこれまでに発正念の時間を逸してしまい、時々発正念をしていても寝ているような状態になっていたことを後悔しました。その瞬間、私の心の奥底から、ある強烈な願望が浮かび上がってきました。私は本心から、自分が師父の功の中の一つの粒子のように、完全に師父の願望を自分の行動の原則として、全力で師父が望まれることを実行できるようにと、自分自身に対して要求しました。師父はこれまで、私たちがまるで師父の功のようであと言っていましたが、その時、私はそのように感じました。それが私の全ての願いであり、自分の生命における巨大で、この上ない幸福、誇りだと感じました。
 
 その瞬間から、自分の考えが消えました。自我も消えました。私のすべての空間の中に一つの意識だけが漂っています。それは師父の欲することを自分の責任として、師父の欲しいものを正法の需要を基準として、全力でそれを実現することです。その瞬間、巨大なエネルギーが膨らみ、直ちに無限の彼方へと飛び散って行きました。その時、私の目から涙が溢れていました。
 
 まぶたを開けば、夜の11時30分になっていました。体全体はいまだに巨大な幸福と感動に包まれ、体の中でエネルギーが浮き沈みしていました。この時、私は身の回りの同修を思い出しました。心の中から未曾有の、これまで感じたことのない、全ての大法弟子に対する慈しみと敬意を感じました。さらに、同修の大切さを理解できるようになりました。特に黙々と一生懸命貢献している同修、表面的には平凡で、やっていることも平凡な同修ですが、その背後にはこの上ない威徳があります。私たちの毎回の発正念は単なる形式ではなく、師父がおっしゃっている3つのことも、そんなに簡単なものではないということがわかりました。必ずこの機縁を大切にして、それを実行しなければなりません。
 
 上記は個人の悟りですので、皆さんと一緒に励まし合って向上しあっていきたいと思います。
 
 
 
 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/8/245093.html)


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