私は1997年に大法の修煉を始めた弟子です。私は多くの疾病を患っていましたが、修煉して2週間後に病気が消え去ったのです。長年服用していた薬がいらなくなりました。身体は、真の無病状態を感じ取ることができました。そして、大法の修煉に幸せを感じ、一日も休んだことはなく、学法や煉功に励んでいました。しかし、この一年来の私は、学法を緩めたため、現れるべきではない状態がいろいろと現れました。だんだんと惰性の心が表れ、遊びたい気持ちが強くなり、安逸心を求め、精進しなくなりました。学法や煉功は続け、人を救うことも続けていますが、師父と法の要求には程遠いのです。
話せばとても恥ずかしいのですが、この一年来、遊びに暮れました。ネットでのゲーム遊びは癖になり、遊べば遊ぶほど遊びたくなり、疲れを感じないのです。時に、この行為は修煉者としての状態ではないと思ったこともあったのですが、自分から止めることができず、同修が悟らせてくれたので、ゲーム遊びは止めることができました。師父は私を励ましてくださり、今まで見たことのない他の空間の美しい光景を見させてくださり、今まで40分しか座禅できなかったのが、1時間半も座禅しても痛くなく、とても気持ちがよかったのです。その後ある日、偶然にインターネットを開きました。偶然のように見えますが、それは旧勢力の妨害だと認識できず、隙に乗じられたのです。この前の2日間は寝ると、ゲームの中の動物が生き返り、絶えず目の前に現れました。恐怖の夢を見たりして、充分に睡眠が取れなくなり、そこで私はやっと悟りました。3日目の夜に寝ると、同様な状態が現れたので、私は師父に助けてくださるよう叫びました。すると、小さな動物や霊体らが瞬時に爆破されました。そして、穏やかな夜が戻り、熟睡することができました。
師父は『2010年ニューヨーク法会での説法』の中で私たちに教えられました。「人間は目で何を見ても大丈夫で、見たくなければ見なければいいと言っています。違います。目に入ってしまえば、身体に入ってしまいます。いかなるものもほかの空間で身体に入ることができます。長く見れば見るほど、たくさん入ってきます。テレビ、パソコン、どのようなものでも見たら、入ってきます。頭と身体にこれらの良くないものが多く入ってしまえば、あなたの行動はそれに制御されてしまいます。話したこと、思考方式、物事に対する態度は、いずれも影響されます」
私はなぜ、このような修煉の道から外れた行為をしてしまったのか? それは、自分の今までの一つの思い、一つの考えがすべて法に符合していなかったからです。自分は学法してから疲れたのだから、少々遊んでも問題がなく、休憩しているの同じだと自分を慰め、時間を大切にして修煉に精進していませんでした。この少々遊んでも問題がないという考えは、すでに法から離れてしまっています。このような状態なので、どのように一言一行をもって、自分に厳しく要求して着実に精進して修煉できるのでしょうか? ですから、時間があれば自分を放任して、ゲームで遊んでしまい、怖い夢を見るのです。他の空間において、すべてのものが生きており、すべてのものが霊体です。あなたが遊びたければ、その霊体はあなたをコントロールして手から離れられないように遊ばせ、しまいには修煉よりも大事だと思わせるのです。宇宙中の万事万物は法のためにやってきました。しかし、私はパソコンを上手に利用して真相を伝え、衆生を救うための法器とせず、休憩時間という口実をつけ、自分の魔性を放任してしまい、自分の遊びたい執着心、好き好む心を満足させていました。
師父は『転法輪』の中で次のようにおっしゃいました。「もっとも修煉は徐々にするものだとはいえ、だからといって自分自身を緩めてはいけません。先生が修煉は徐々にするものだと教えているから、ゆっくりやろう、などと言ってはいけません! 自分を厳しく律するべきです。佛法修煉においては勇猛邁進しなければなりません」 修煉はもちろん厳粛なことです。今回のことは私にとって大きな教訓となりました。大法弟子の時間は貴重であり、どれだけの衆生が救われるのを待っているのでしょうか! しかし、私は時間を無駄にして遊びに使い、師父の慈悲なる済度に対しても、自分自身に対しても恥ずかしく、申し訳ないと思いました。
このことを書き出したのは、一つは決心してこの執着心を取り除くためであり、もう一つは同様な執着心を持っている同修に目覚めてほしいからです。私のように多くの時間を無駄にすることは、価値のないことです。旧勢力はいろいろな方法で私たちを迫害しています。私たちがここで目覚めなければ、精進しなければ、時間を大切にして、大法弟子がなすべき、衆生を救うことをしなければ、どのように円満成就して師父について我が家に帰れましょうか? もし疲れたとすれば、神韻芸術団のDVDを見ましょう。または大法の歌を聴きましょう。こうすれば私たちにとって有益になります。以上は私の提案です。大法は広く伝わり、残りの最後の時間に、ともに精進して円満成就し、師について帰りましょう。
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