山東省招遠市に在住の法輪功修煉者・考福全さんは、2010年5月、中共(中国共産党)当局の警官により不当に連行され、懲役8年を宣告された。また、考さんの妻・宋桂華さんも不当に懲役7年を言い渡された。考さんは何度も中共の警官に連行され、殴打されている。以下は考さんの親戚が語ったものである。
村で評判の考さんは中共に迫害される
私の親戚・考福全さんは、今年60歳で、山東省招遠市の夢芝考家村に住んでいました。考さんの人柄について、もし村の中で訪ねてみれば、村民はみんな一致して「本当に良い人で、家族も良い人で、誠実善良で、何か用事を頼んだら必ず助けてくれる」と答えてくれます。
あれほど評判の良い人が、「真善忍」の原則に従い、法輪功を修煉しているという理由で、1999年7.20以降、何度も中共から残酷な迫害を受けています。今、私が知っている僅かなことを書くことで、人々に中共の残虐さを少しでも認識していただければと思います。
1999年、2000年に連行され、家族も巻き添え
1999年7月28日、考さんは自宅にいたところを夢芝派出所の警官らによって不当に連行され、大法の関連書籍などを奪われました。考さんは2日間拘禁され、しかも2,000元の現金をゆすり取られました。
2000年6月のある日、夢芝派出所の警官は再び考さんの自宅に押し入り、考さん夫婦と、法輪功を修煉していない娘を一緒に連行しました。娘さんは一夜拘禁されてから釈放され、考さん夫婦は留置場でそれぞれ1カ月と半月拘禁された後、ようやく釈放されました。
2001年、家財を没収された上、拷問されて何度も気絶
2001年旧正月の16日、夢芝派出所の警官らは考さんを再び連行し、家財を没収しました。警官は家を荒らし回りましたが何も見つからなかったので、前後の見境もなく怒って、スタンガンで拘禁されていた考さんの頭部と、全身全ての敏感な部位に電気ショックを加えました。考さんの手、腕は黒く焦げて、部屋中にも焦げた匂いが充満しました。警官らは考さんをテーブルと椅子の間に縛り付けたり、手錠で壁に吊るし上げたりしました。考さんが何度も気絶するたびに、警官らは考さんを地面にそのまま放置し、自分たちは酒食遊楽にふけって、考さんの目が覚めてからまた拷問を続けました。このように考さんは夢芝派出所で9日間苦しめられました。
拷問の実演:スタンガンで電気ショックを加える
ある日、考さんは高熱が出ました。しかし警官らは、考さんを治療するどころか零下10数度の冬の中、外に放置して凍えさせました。派出所の王と言う炊事係は、ヤカン一杯のお湯を持ってきて、考さんに「お前は寒いか。お前にお湯をかけて暖めてあげようか」などと言いながら、冷たい水を一杯汲んできて、地面に横たわる考さんに浴びせました。
警官は棒で繰り返し殴打した
考さんは夢芝派出所で迫害され、既に別人のように様子が変わってしまったにもかかわらず、610弁公室の林濤は考さんに対して「彼らがどのようにお前を殴ったのか知らないが、お前が転向しないから、私はさらに電気ショックを加えてやる。それとも40回棒で打ちのめしてやろうか?」と放言して、話がまだ終わらないうちに、棒で考さんを滅多打ちにし、考さんはもう少しで死ぬところでした。派出所は責任から逃れるため、考さんを留置場に送りました。留置場で、衰弱した考さんは便所で倒れて人事不省になりました。
王村労働教養所に連行され、自立生活ができなくなった
考さんは留置場で50数日間拘禁され、その後3年の労働教養を宣告されて王村労働教養所に送られました。この時、考さんはすでに自立生活ができなくなり、神経は深刻な損傷を受け、全身の筋肉は萎縮し、半身不随になって、便所に行く時も人に支えてもらわなければなりませんでした。労働教養所は考さんの身体を5回検査した後、もう駄目だと判断して、責任を負うことを恐れたため、考さんの家族から900元をゆすり取った後、2002年11月に一時出所をさせました。
法輪功を修煉して回復した
家に帰った後、私たちが目にした考さんは、全く様子が変わっていて、全身黒い皮が骨にぴったりと張り付いていて、体重は35キロ前後で骨と皮しかありませんでいた。私たちはこの光景を見て泣きました。考さんは微かな声で「大丈夫、私は法輪大法を信じるから」と私たちを慰めてくれました。考さんは大法に対して固い信念を持っており、学法や煉功することに通じて奇跡が現れ、死に瀕していた考さんは急速に回復しました。
(続く)
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