■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/08/21/24617.html 



明慧ネットの物語(六)

魔は一尺高ければ、道が万丈高くなる
 
 中共(中国共産党)の明慧ネットに対する感情は、まさに憎しみと恐れそのものでした。そのため中共は長年、明慧ネットを妨害し続けてきました。明慧ネットが成立した当初、頻繁に中共のハッカーから攻撃を受けていました。明慧ネットの技術スタッフは、いずれもエンジニア、もしくは理工関係の博士、博士課程をもっており優秀でしたが、資金による援助がなく、国家機関を相手にしているため、終始悩まされました。
 
 「どうすればいいでしょうか」と思った大法弟子達は、法を学び正念を強めるということを考えるようになりました。ただちに大法弟子たちは「どんなことがあっても私たちを妨害することは許されない。何故ならば私たちがやっているのはもっとも正しいことだ」との一念を持つようになりました。ある大法弟子によれば、「その当時、自分の空間場が突然大きくなり、しかも技術の空間の中に唯我独尊の感覚が生じ、そのため自信が大きく膨らみました。それ以来、絶えず自分の専門知識を勉強し、明慧ネットのセキュリティーを守ると同時に、法理からも根本的な認識をもつようになりました。常人としての一面は努力する必要がありますが、しかし大法弟子は師父から賜られたものこそが、根本的に最も重要で最も貴重にしなければならないものだとわかりました。
 
 あるスタッフの話によると、彼は技術については一から勉強しました。多くの困難に遭っても、彼は自分で解決方法を探りました。その過程で彼は何度も神の助けを得ました。修煉は超常的なものです。大法が要求している純粋で無視無我の状態に本当に達することができれば、師父の法の力が私たちを通して体現されます。
 
 このすべては黙々と努力する中で起きたことです。何事もなく、まるで静まり返った湖の水のようでした。全ての明慧ネットのスタッフは、大法を修煉する平静さの中にある感動、壮観さを何度も繰り返し感じることができました。
 
 明慧ネットのスタッフはいずれも高学歴で、名門校の出身者ばかりです。彼らは長年の勉強と研究生活の中で、たくさんの習慣と仕事、対人関係における習性が身についてしまいました。これらの習慣は、通常はメリットのあることばかりですが、明慧の仕事においては、良いものもあれば障害になるものもあります。自分の元々の観念と習慣を変える中で、皆さんが次元の向上と能力の向上を実感しました。
 全員が一つの共通認識に達成しようとしたとき、自分の周りのすべての事が自分の修煉の状態と関係しています。パソコンの故障にしても、技術問題にしても、協調の問題にしても、大部分は自分自身の修煉を通して解決できます。実践が証明したように、法を正す時期の大法弟子は、自分自身の心と身体がさらに浄化されれば、さまざまな問題やトラブルがおのずと解決されます。
 
 一部の学習者はもともと一人で戦うことに慣れており、時には問題を自分自身の能力によって解決できますが、そうでない時もあります。なぜでしょうか。法を学び内に向けて探せば、皆が気付いたように、忙しさと圧力のため、時々物事の表面的な状態に陥ってしまい、個人的な研鑽に走ってしまったのです。実際、編集にしても技術にしても、明慧ネットの全ての大法弟子は、エネルギー場が相通じており、一体になっているのです。皆が修煉し、人を救っているのです。このような認識を持って、心の中に地理的な隔たり、仕事の内容による隔たりがなければ、皆がある現象に気付きます。たとえば自分の心が無視無我であり、常に自分にあった問題を相手に伝えることができれば、相手が何かをする前に問題が自然に消えてしまいます。これこそが真の力、正念の力であり全体の協調の力なのです。
 
(続く)
 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/8/244934.html)


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