修煉の道を今日まで穏やかに歩むことができたのは、師父の保護のおかげであり、師父への恩は返すことのできないものです。ここで私は師父に「師父、お疲れ様です! ありがとうございます!」と、心から感謝の言葉を送りたいと思います。
法を得るのが遅かったので、時間を大切にして多く法を勉強しなければならない
私は2005年、ありがたい事に大法を得ました。その日、大法の本を手にして勉強したときのことをまだ覚えています。そのとき私は、指の腹や掌、下腹部に法輪が回転しているのを感じました。そのときから大きく決意をして、法を得るのが遅い分、なおさら精進しなければならない、時間を大切にして多く法を勉強して、絶対に停滞しないように、早く古い学習者に追いつけるように、と思いました。
その日から私は毎日、学法と煉功を一日も欠かしたことはありません。当時は、統一煉功の時間がまだ決まっていなかったので、私は大体、夜に法を勉強してから煉功していました。時には深夜の一時になっても眠くないこともあり、もう遅いから今日はここまでにして、煉功は明日にしようと思っても眠ることができず、最終的にやはり煉功を終わらせてから寝たこともありました。中国全体で時間を統一して煉功することになってから、私は毎日3:30から起きて煉功しています。一回、アラームが鳴っても眠たくて起きたくないと思ったことがあり、その時は寝ているのに自分が起きているように感じて、煉功の音楽も聞こえました。私は自分が煉功しているのが見えましたが、動作が硬く遅れていました。私はただちに起きて、煉功しました。私の悟りでは、体は一つの小宇宙であり、中にはたくさんの衆生がいて、他の各空間の私もいて、私が煉功しているときは彼らも煉功していています。私が煉功していないときも彼らは煉功したいのですが、本当の私が起きて煉功しないと、彼らはよく煉功することができません。私が主で、彼らは私について動いているのですから。その日から私は、時計のアラームが鳴ったら起きて、眠くもなくなりました。私は自分が法を得たのが遅いと思い、その年に師父が発表した経文が短かったため、新経文を暗記するようにしました。以前の経文も同修から借りてきて、短いものは暗記して、長いものは手書きで写しました。当時の私は、この法がこれほど良いものなのに、自分が法を得たのはこれほど遅いのだ、と少し残念な気持ちがありました。そのため私は毎日、法を多く勉強したいと思っていました。時には二日ぐらい学法の量が少なかった時、頭がカラカラと感じて、次に法を勉強するときは、心の底から学法を渇望しているように感じました。
時が流れるにつれて、私は学法をたくさん積み重ね、法に対する更に深い理解がありました。私は修煉がとても厳粛なものであり、同時にとても神聖なものでもあると認識しました。一人の大法弟子として、大法の中にいられることはとても幸せなことで、この人生で大法を得られることは、とても幸運です! 法を正す時期の大法弟子としての責任も重大なもので、背負っている歴史的な使命は神聖なものです。私も積極的に法を正す流れの中に溶け込んでいきました。
新しい学習者にしても、発正念も同じ威力がある
修煉を始めた時から、私は皆が正念を発していることを知っており、自分もやってきました。ある日、6時に発正念をするとき、手を立てる瞬間に孫悟空が目の前に現れ、ちょっと回りを見てみると、数え切れない神兵神将がいて隊列を組み、手には武器を持っていて、一目ではその端が見えませんでした。彼らは私について邪悪を滅するのです。また別の日に、大法弟子を迫害する洗脳班、労働教養所などの黒い巣に正念を発していた時、洗脳班のドアの横に三つの骸骨がいるのが見えました。続いてその骸骨らは三人の和尚に変身して、更に三人の仏に変身し、ドアの前に一人、横に各一人ずつ均等に並んで、ビルの上に一群の小人のようなものが手を繋いで回っていていました。私は半時間程かけて、やっと彼らを滅しました。ある時、私は正念を早く終わらせてご飯を作ろうと思い、発正念の途中で目を開けると、まだ1分残っていたので、続けて正念を発しました。目を閉じると同時に、私は主元神にすべての精力を集中して正念を発する、と言い聞かせ、この一念を伴い、私は空中に上がりました。長城のような建物に降りて、十歩ぐらいの距離に一人の人間のようなものが下へ何かを運んでいました。ずっと上の端まで、それらは私のことを気にせずに、自分のことだけをやっていました。私が降りた途端、一つの大きな網が私に被さってきました。網は鋭い口に変身して、私に向けて口から白い泡を出していました。私が素早く「定」と「化」(溶ける)、そして法を正す口決を念じると、すぐにそれらは消滅して、法輪が現れました。私は上へ行きました。法輪が先に進み、私は後について、最高地点へ上がり下へ見ると、一つのとても深い黒い水溜りが見えました。水は黒く、中に体に鱗がついたものが飛び泳いでいました。そこに降りた途端、一つ大きな力が私を下へ吸い込んでいて、自分自身では動くことができなくなりました。このような状況で私は素早く「師父、助けてください!」と叫びました。すると、たくさんの眩しく金色光のものが黒い水溜りに発射されました。師父が私を助けてくださったのです。
現在、いまだ多くの同修が深夜零時の発正念に参加していないことに気づきました。私が何故、正念を発しないのかと聞くと、起きられないと言う人もいれば、アラームの音が家族に迷惑だと言う人もいます。私も最初のとき、時々時間を逃してしいました。しかし、これは師父が私たちに求めている三つの事の中の一つですから、きっととても重要なことだと思っていました。私は携帯にアラームを設定して、枕の横に置き、時には眠くて音が鳴ってもすぐに消してしまって、朝起きてからとても後悔していました。なぜ意気地がないのでしょうか、このぐらいの苦労も耐えられないのか、と自分を責めました。その後、朝、起きられるように携帯をベッドから離れた家具に置き、アラームが鳴ったらすぐに起きてアラームを消さなければならないようにしました。そうして、私は発正念ができるようになりました。たまに夫も「私を起こす気かい?」と文句を言うのですが、その時、この一日に自分の言動や行ったことが法と符合していないところはないかと内を探して、合っていないところを直ちに正すようにしました。今、零時の発正念を逃すことはなく、夫が先に気づいた時も、私を起こしてくれてます。普段、夫は全くアラームの音が聞こえていないようです。自分の体験では、四つの時間帯の発正念を漏らしてはならないし、他の時間帯でも多く正念を発するべきです。こうすると自分の空間内を常に綺麗に保つことができ、よくないものに影響されず、同時に他の空間の邪悪をたくさん滅することができます。発正念自体も大法弟子の慈悲であり、偉大な行いですので、皆で重視しましょう。
2011年8月23日
(続く)