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貴重な記憶:永遠の見証(一)


1993年4月、武漢経済ラジオ放送局にて
 
前書き
 
 2011年の新年の到来に際して、外では新しい年の到来を喜ぶ人々の声と爆竹の音が響いていました。この中で、私はある奇妙な光景を目にしました。それは人を済度する法船が、まるで天に登っていく梯子のように雲の上に向かって上昇しているというものでした。
 
 私は天目で、この他空間の現象を見るとともに、一種の音楽が鳴り響き、続いて天女が花を散らし始めるのを見ました。その時私は、格別の敬意を持ちました。それは非常に純正で、非常に神聖なものでした。思わず私は、心の中で『普度』、『済世』、『法輪大法はすばらしい』などの法輪功の歌を歌い始めました。
 
 私はごく普通の法輪功修煉者です。しかし私は何度も、法輪大法の創始者・李洪志先生が中国で行った法を広める活動に参加することが出来ました。私が毎回、幸福の記憶に浸っているときにはいつも、神秘的な現象が見えたり、とても美しい音楽が聞こえてきます。以下に、私の記憶に残っているでき事を書き出し、皆さんと分かち合いたいと思います。
 
一、1992年、北京にて
 
 1992年の夏、私はある友人の家を訪れました。友人たちは私の健康状態が悪いことを知っていました。友人たちは、20年以上の気功経験から再三考えた末、私に法輪功を勧めてくれました。心性を修めることを最優先としている点で、私は修煉を非常に興味深く感じました。そして、私も友人たちと一緒に法輪功を学び始めました。当日の夜、私は大きな風車が回転しているのを見ました。友人の娘は非常に喜んで、私に「ほら、これは法輪です。なんとあなたは縁のある方でしょう」と言ってくれました。あの日以来、私は煉功を続けています。以前患っていた全身の病気は消えてなくなりました。友人はとても喜んでくれました。
 
 同年9月、北京気功協会は中国北京の二砲礼堂で、法輪功北京第三回伝授クラスを開催しました。私も申請して参加することにしました。
 
 伝授クラスが始まる数日前、師父が何名かの弟子を連れて、二砲礼堂のホールで人々のために病気治療をすると聞きました。私は早く恩師と会いたいと思いました。なぜならば、私は煉功を通して長年飲み続けてきた薬を捨てることができ、本当に身軽になりました。私は先生に感謝しなければなりません。私は他の同修と一緒にホールに来ました。おもしろいことに、私は李洪志先生の手の周りが、分厚くて明るく光る銀色の光によって包まれていて、ちょうどそれを病人の頭に向けているところを見ました。一瞬のことでした。李先生は黒くて無形の物質を抽出し、それを窓の外に捨てました。この直後、患者の病状が全快しました。
 
 これは私が自分の目で見たものです。私たちは長年中共(中国共産党)による無神論の教育を受け、完全に洗脳されていました。私は眼の前で起きている、真実の情景を見てあまりにもショックを受けました。本当に不思議で本当に素晴らしいです。一人ひとりの患者たちの病気が奇跡のように良くなりました。数カ月前、私の病気もまさに煉功を通して良くなったのではありませんか。これは全て事実です。私は師父が病気治療を行う光景に集中していて、はっと気づくと、師父が微笑みながら私の方へ向かって歩いてきました。師父は身長が高く、慈悲に満ちた表情でした。師父が「何か見えましたか?」と私に聞きました。私はこの先生に感謝しなければならないと思って、「見えました。師父が手術をしているのが見えました」と答えました。師父は笑いました。一瞬私は心の中から、無限の敬意が生じました。私はこの先生に必ずついていかなければいけないと感じました。
 
 伝授クラスが始まりました。私は毎日、多くの同修たちと同じように二砲礼堂の入り口で、師父が来るのを朝早くから待っていました。師父はいつも微笑んでいて、手を振って皆さんと挨拶していました。修煉者たちも礼儀正しく、自ずと師父のために通り道を作りました。毎日、伝授クラスが終わった後、師父が同修の運転するジープに乗って遠く離れていくまで、皆が見送っていました。
 
 伝授クラスの中で師父がおっしゃったことは、いずれも今まで聞いたことがない法理でした。私は毎日、しっかりと真面目に伝授クラスに参加し、たとえ一言ですら聞き漏らしてはならないと思いました。当時、師父の説法は以下のようであったと記憶しています。気功とは修煉であり、宇宙の特性は真・善・忍です。この特性の適応できる人が良い人で、それと相反する人は悪い人です。この特性に同化すれば、すなわち道を得た者になります。このように煉功者は極めて高い心性をもって、この特性に同化しなければならず、これで初めて高い次元へ向けて修煉することができます。この伝授クラスは非常に神聖で、参加者たちも非常に敬虔に、毎日一生懸命、雑念なく授業に参加していました。
 
 ある日、私は伝授クラスの最中、全ての参加者の座席の背後に、師父が立っているのを見ました。これこそが師父がおっしゃった法身だろうと、その時に思いました。
 
 ある日、私はとても大きく、高くなっている師父が、微笑みながら座っているのが見えました。私は師父の傍らに跪きました。私は師父を自分の父のように、そして自分が子どもであるかのように師父を仰ぎ見ました。この方こそが、私の人生の本当の先生であると思い、本当に興奮しました。100%師父の説法を信じなければなりません。私は、人間がこの世にきたのは修煉のためであり、常人の生活を送るためではないとわかりました。修煉とは絶えず執着心を取り除き、徳を守り、心性を修め、真・善・忍を修めることであると悟りました。先生は本当に素晴らしいです。道徳が急激に滑落しているこの世の中で、師父こそが人類を更新しに来てくださった方だと、私は悟りました。
 
 伝授クラスの最後の日、師父が質疑応答をしてくださいました。毎日師父は、説法の中で「何かわからない所があれば、それをメモして今は質問しないでください。最後の日に、皆さんのために質疑応答の時間を設けます」とおっしゃっていました。この日、師父は落ち着いて、皆の全ての質問に対して説法されました。
 
 伝授クラスが終わりました。修煉者たちが、師父と一緒に記念撮影をしたいということで、師父は修煉者たちの間に立ちました。師父は非常に身長が高く、目立っていました。修煉者たちは数人、十数人、数十人と、分かれて、一緒に師父と記念撮影をしました。あちらこちらから、師父と記念撮影を求める声があり、私は一緒にいた修煉者たちと共に、カメラを持ってずっと師父についていました。そのため、自分と師父との記念撮影を忘れていました。最後になって、まだ記念撮影をしていない修煉者たちが師父と一緒に写真を撮ろうとして、たくさん集まりました。撮影の中で、修煉者の中には「私たちの先生です!」と叫ぶ人もいました。私は皆が心の底から、「私たちの先生です!」と叫んだように感じました。記念撮影は長い時間がかかりました。撮影の後、修煉者たちはこぞって先生にサインをねだりました。師父はずっとそこに立ち、微笑みながら一人ひとりに落ち着いてサインしていました。
(続く)
 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/5/13/240538.html) (English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/5/27/125561.html)


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