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貴重な記憶:永遠の見証(五)


六、1994年5月、6月、成都にて
 
 1994年5月29日から6月5日まで、法輪功伝授クラスは成都で開かれました。主催者は、四川省気功協会でした。初日の参加者は満員になりませんでしたが、他の気功師とは全く違うこともあり、ただちに情報が広まり、成都の伝授クラスが終わるときには800人まで参加者が増えました。伝授クラスの参加者の多くは、重慶からの参加者であり、その他には東北、北京、貴州、江東、香港などから駆けつけた参加者も少なくありませんでした。参加者は伝授クラスの後、興奮した様子で交流し、自分の感想を交流し合いました。今後は絶対、もっと法輪功の伝授クラスに参加したいと、お互いの連絡方法を交換していました。
 
 1994年6月2日午後、スタッフが卒業証書を作っているときに、突然ある修煉者が室内に入ってきて、「今の仕事を一旦中止して下さい。師父が隣の部屋から皆さんの天目を開けて下さるそうです」と言いました。私は目を閉じると、体全体が熱くなっているのを感じ、さらに両目の眉間の間の筋肉が閉じているように感じました。師父の発した強いエネルギー場を感じました。
 
 少しすると、師父が入ってきました。大連からやってきた何人かの修煉者は、師父の前に駆け寄り、「師父、私は永遠にあなたについていきます。ぜひ、天上でもあなたと一緒にいたいです」と言いました。師父は微笑みながら、「皆さんはその時になったら、私がついてきてと言っても、ついてこないでしょう。皆さんは自分自身の天国があり、その天国の法王なのです。その時、私についてくるように言っても、ついてこないでしょう」と言いました。その後、皆が沈黙し、何人かの修煉者はまた子供のように、「それでも師父についていく」と小さな声で言いました。
 
 1994年6月7日、師父は楽山大仏を訪れました。フェリーから見渡せば山そのものが自然にできた仏だということがわかりました。仏の頭、体、足はそれぞれ山の岩において繋がっていました。更に驚いたことに、楽山大仏はちょうど、自然にできた大仏の脇のあたりに座っていました。この光景を見て、唐代に伝えられた”心のなかに仏がいる”という話と、古代の民間の寓話”聖人は腋の下にいる”を反映しているのがわかりました。
 
 船がしばらく進むと、山の中で自然にできた大仏の頭の部分に着きました。その時、「ほら見てください。ほら、楽山大仏だよ」という声が聞こえたので、皆が振り向くと、大きな大仏の像が見えました。大仏の像は数千年が経っても今なお、厳かな雰囲気は変わっていませんでした。楽山大仏は弥勒大仏として、世界最大の仏像だと言われています。昔から、仏は山であり、山は仏であるとも言われています。多くの観光客が大仏の足の上に登り、または体に登って記念撮影をして楽しんでいる状況を見て、少し悲しくなりました。この人達はなぜ、これほど仏に対して不敬なのでしょうかと思いました。
 
 師父はフェリーから前方を見ていましたが、師父を乗せたフェリーがちょうど大仏に近づいたとき、ある修煉者によると楽山大仏は泣いたそうです。涙がたくさん出てきていました。そこで修煉者は、「師父、楽山大仏が泣きました」と言うと、師父も「そうですね。ここで私をずっと待っていました。長きにわたり待っていました」と言いました。それを聞いたスタッフは「常人の考えでは理解出来ませんが、楽山大仏も師父が自分を救って下さるのをずっと待っていたようです。師父の慈悲と威徳は本当に言語を絶するものです」と思いました。
 
 船が海岸に着きました。細く急斜面の小道を上に進んで行く時、師父は常に同行していたスタッフを先に行かせま、師父は最後を歩いていました。師父の一挙一動、は常に人を思い、他人を先に考えていました。師父が楽山大仏の近くまで歩いてきた時、楽山大仏が笑っているのが見えました。そこで修煉者は師父に「師父、見てください。楽山大仏が笑っていますよ」と言いました。師父も微笑みました。
 
(続く)
 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/5/13/240538.html) (English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/5/27/125561.html)


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