七、1994年6月、鄭州にて
鄭州の伝授クラスに際して、私は鄭州行きの列車のチケットを何とか手に入れることを出来ました。列車に乗った日は非常に暑く、そして列車の中は大変込み合っていました。師父は私たちと同じように、荷物を持ってたくさん汗をかきました。列車に乗った後、初めて自分たちが乗ったのは最後尾の車両だと気づきました。この車両には他の修煉者もいました。前の車両は全て成都当局の管轄でしたが、最後の車両だけが鄭州当局の管轄でした。この車両は前の車両と違い、一切のサービスがなく、飲み物の提供すらありませんでした。さらに前の車両へ進む扉も閉ざされていました。他の修煉者たちは、コップとやかんを出して、途中停車の際に急いで前の車両からお湯を手に入れてきて、私たちの車両に持ってきて、そのお湯で何とか先生のためにカップラーメンを作りました。また、せっかく成都の修煉者たちが沢山の桃を持ってきたのに、師父はそれを全て私たちに食べさせました。
師父は衆生を救い済度するという最も偉大なことをしているのに、生活がこれほど質素であることを思えば、本当に限り無く、師父に対する尊敬の念が浮かんできます。
列車が華山を通る時、師父は立ち上がり、山を指差して私たちに対して「そちらは華山です」とおっしゃいました。私たちがその方向を見ると、華山の上から多くの道を修める修道者が降りてきて、師父を見に来たのがわかりました。ある修道者は常に師父についてきて、鄭州の伝授クラスにやって来ました。師父はその修道者に「私の弟子はどう思いますか?」と聞くと、修道者たちは「長年修煉していますが、師父の弟子の誰一人とも比べることはできません」と言いました。その後、師父は説法される時、この話に触れました。多くの修道者は古代の衣装を見にまとって山の上で跪き、師父を拝みました。
鄭州の伝授クラスは、これまでの伝授クラスの中で最も条件が悪いものでした。既に廃棄された体育館が伝授クラスの会場として提供され、「雨漏りサッカー劇場」と皮肉られていました。四方はレンガ造りの階段でしたが、既にボロボロになっていました。古くなった窓には、窓ガラスすらありませんでした。鄭州法輪功伝授クラスの主催者は、鄭州市の気功協会で、1994年6月11日から6月18日までの間、約1500人が伝授クラスに参加しました。全国各地からやってきた修煉者たちが伝授クラスに参加しました。
参加費が高いのを配慮した師父は、10日の伝授クラスを8日間に短縮し、8日間のうち、2日は午前・午後の一日二回、伝授クラスを行われました。
週末のでき事は今でも忘れることができないものです。その日の伝授クラスは午後四時から始まりました。もともと太陽が登っていましたが、授業が進むにつれて天気が悪くなり、曇り空になり、またさらに暗くなり、怪しい風が吹き始め、その後大雨が降り始め、ヒョウになりました。ヒョウが古く鳴った体育館の屋根を打つ音は、非常に大きく響きました。時折、漏れている箇所からヒョウが入ってくることもありました。突然、伝授クラスの照明が全て消え、体育館の中は真っ暗になりました。雨水も滴ってきてステージに落ちてきました。師父は雨漏りの箇所を避けるため、机を動かしましたが、雨漏りも一緒に移動してきました。これを見て参加者たちも不安になりました。師父は机を少しずつずらしながら、冗談を交えながら「ちょうど皆さん、少し涼しくなりますね」と言いました。それを聞いた参加者たちは笑い出しました。また、この後、師父は、釈迦牟尼仏が説法される際に、魔が妨害していても、釈迦牟尼仏の弟子たちが落ち着いて説法を聞いた物語を話してくださいました。ただちに参加者たちは落ち着きました。師父はその後、ステージに上がり、大手印を打ちました。その後、ただちにテーブルに置いてあったミネラルウォーターのペットボトルを出して、右手を空中で何か掴みました。その一瞬私は、師父が河童のような大きな怪物を手に掴んだのが見えました。師父が手印を打つと、怪物は小さくなり、さらに師父がその怪物をペットボトルの中に入れて、蓋を閉めました。この後、師父は微笑みながら、「道が一尺高ければ、魔が一丈高くなると言われていますが、そんなことはありません。私は皆さんのために沢山の悪いものを取り除きました」とおっしゃいました。その話の後、会場から満場の拍手が贈られました。ただちに風がやみ、雨もやみ、照明も回復し、太陽も登って来ました。そして、講義が再開されました。
伝授クラスの後、体育館の周囲に水が沢山溜まっていました。外でアイスキャンディーを売っていたおばあさんは修煉者たちに「さっきのことは、あなたたちに対してやってきたでしょうか?」と聞きました。修煉者たちは驚いて、「なんと、民衆は以外にもこれらのことを理解している」と思いました。地元の報道では、この日の風と雨のため沢山の木が倒され、家屋が損傷を受けたと報道されていました。
毎日、8時から9時になると授業が終わり、師父はそこで初めて、カップラーメンの夕食をとります。ある日、師父は身の回りのスタッフたちの辛さを思い、一緒にレストランへ食事をしにいきました。その時、ある若者が入口に立って師父の前にひざまずき、「師父よ、どうか私を弟子にして下さい」と言いました。師父はこの若者を立たせてから、「私たちは形式を重んじません。私の弟子になりたければ、しっかり修煉してください。私は全ての修煉者を弟子とみなします」とおっしゃいました。
伝授クラスが終わる時、責任者がステージに上がって、皆に対して「初日の講義の際、マイクが壊れました。しかし、午後になるとマイクの音が綺麗になりました。あなたたちの師父がお昼休みの時間に直したのです。あなたたちの師父は、その日、昼食をとっておらず、休憩もされていません。また、私たちにこのことを知らせてもいません。本来なら我々がやるべきことをやってくださったのです」と教えてくれました。
鄭州の伝授クラスが終わるに際して、多くの修煉者が「仏」と書かれた旗を作って師父に贈りました。
また、ある若い道士は1993年から法輪功を修煉し始め、この伝授クラスに参加しました。道士は、道士の衣装を身にまとい、長い髪の毛を束ねて長い髭を伸ばしていました。この道士は師父と写真を取りながら、「本当に幸せです」と言いました。
(続く)
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