■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/09/04/21983.html 



貴重な記憶:永遠の見証(八)

 一部の参加者は饅頭(翻訳者注:中国式蒸しパン)と白菜、漬物などを持って地方の農村から参加してきました。皆、この法を得る為です。また、黒竜江省からやってきた年配の男性も師父の説法を聞き、涙を流して感動し、震えながら「私は北端のジャムス市から、何とか4000キロ離れた南の端の広州にやって来ました。ここに来たのは、師父の説法を聞くためです。私は大法を得ました。そうするに値します。私はなんと幸運なことでしょう」と言いました。チチハル市から来たある修煉者はお金がなく、広州で野菜が食べられなかったため、口の中が口内炎でいっぱいでした。ある日、この話は貴州の協調人を通して師父に知らされ、師父も涙を流しました。
 
 ある伝授クラスの際、師父はホールの外の分会場の参加者を見に来ました。その場にいた全ての参加者は涙を流しました。師父も涙ぐんでいました。師父は全ての参加者と握手しました。そして、師父は繰り返して、「劇場の外の修煉者も中の修煉者と同じです。誰一人として違いはありません」とおっしゃいました。
 
 伝授クラスが終わるに際して、師父は「皆さん、千里の道をはるばるやってきました。他の省からやって来た人は少なくとも三千人います。遠いところは黒竜江省や新疆から来た人もいます。皆さん大変ご苦労様でした。ひいてはお金が足りなくて、毎日カップラーメンやビスケットを食べている人もいます」とおっしゃいました。師父は経済的に困難な修煉者を配慮して、伝授クラスを一日短縮しました。しかし、説法の内容は何一つ変わりませんでした。
 
 伝授クラスの期間内、毎日のように朝、修煉者たちはそれぞれテープレコーダーを持ってきて、公園で煉功していました。煉功の音楽を聞くと参加者たちは、出身や老若男女に関係なく、皆一緒に集まって煉功していました。
 
 伝授クラスが終わったその日に、師父は会場を一周し、多くの参加者と握手をしました。ある農村出身の農民は、自分に非常に自信がなく、常に人の後ろに下がっていました。師父は皆と写真を撮った後、わざわざこの男性の隣にやって来て、手を握りながら親切に「あなたが農村から来たのは知っています。はるばるこの法を得るために来ましたね」とおっしゃいました。この男性は辺鄙な農村からやって来ましたが、いままで何もわからずに18年間、禅宗を修め、名師を探していました。突然体中にエネルギーが通ったと感じた彼は、師父に感謝し、何よりも師父のこの慈悲深くそして親しみやすい人柄に感動しました。修煉者の中に、師父に旗を捧げる人もいました。帰りの列車のチケットは入手が難しいものです。ある年配の修煉者は他の修煉者と師父のため、12枚のチケットを購入しようとしました。しかし、駅では一人1枚しか購入できませんでした。駅員は「あなたには12枚のチケットを購入できる何か特殊な身分証明でもありますか?」と聞くと、その年配の修煉者は「私には特殊な証明があります」と言いながら、師父の写真を出して、駅員に見せました。それを見た駅員は12枚のチケットを販売しました。
 
 1994年12月29日、広州第五回伝授クラスが無事終了しました。これは師父の中国本土における最後の伝授クラスです。
 
 国内最後の報告会は大連で行われました。大連の補導員は、修煉者たちに通知を出していなかったにもかかわらず、多くの修煉者が空港で自発的に師父を迎えました。人が多いため、観光客の妨害にならないように、修煉者たちは空港のホールで整然と立っていました。入り口から空港まで静かに待っていました。「今日はどんな人が来るのでしょう」と聞く人もいましたが、そのたびに修煉者たちは、誇らしく「私たちの師父が来るのです」と答えました。
 
 オレンジ色の雲の後ろを追うように、飛行機が見えました。10分後、師父は花束を手に持ちながら、大ホールに入りました。
 
 1994年12月31日、師父は大連の体育館で報告会を行いました。三時間にわたる説法が行われました。約600人が参加しました。この日は師父が中国本土における伝授クラスを終えた日で、師父は「乾坤は茫茫とし 一輪の金光あり 覚者世に下り 天地同向す 宇宙は朗々として 法の光に同化す 円満して飛翔し 共に天堂に回(かえ)る」(『洪吟』「同化圓満」)をお書きになりました。
 
 報告会が終わった後、数分間にわたり拍手が贈られました。全ての参加者が起立し、師父を仰ぎ見ていました。師父はステージの上で大法輪を回転させました。その後、師父はステージから降り、会場を一周して皆と握手しました。
 

 その後、師父はゆっくりと体育館を離れました。フランスからの招待があったことを修煉者たちは知っていました。師父は海外に行く予定でしたが、参加者たちは師父について離れませんでした。師父が十数分間歩いた時、ある12歳の東北出身の男の子が、「師父! 師父!」と叫びました。師父は微笑みながら、「しっかりと修煉を頑張ってくださいね」とおっしゃいました。この声がずっと響いていました。参加者たちはこのように、師父に対して限りない敬意を抱いて、師父が去っていくのを見て、涙を流しました。
 
終わりの言葉
 
 中国で仏光が照らされ、幸せな時間は過ぎ去っていきました。この過程にはあまりにも多くの物語があります。時間に限りがあるため、これしか書けませんが、師父の慈悲が私たちを呼び覚ましたのです。『転法輪』こそが私たちが求めている大法です。限りのない秘密、この上ない貴重な内容が全てこの中に入っています。まさに師父が「師を尋ねて幾多の年 一朝自ら見(まみゆ)るを得る 法を得て修して引き帰り 円満し師に随いて還る」(『洪吟』「縁帰聖果」)のようです。以上、私は自分自身の体験を出しました。真・善・忍の法理が本当に宇宙万物の中に存在しています。心でそれを体得すれば、自ずとそのすばらしさに気づきます。読者の皆さんもこの、千年万年ですら会うことのできない、千載一遇のチャンスを大切にしてください。
 
(完)
 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/5/13/240538.html) (English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/5/27/125561.html)


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