■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/09/14/24626.html 



同修を助け、自らを修める

 最近私たちの学法チームの間で”荒唐無稽”なでき事が起きました。しかし同修たちが内に向けて探した結果、無事に問題を解決することができました。マイナスの影響がもたらされることもなく、かえって当事者がそれぞれ自分の内に向けて不足を探し、同修との関係を正しく見つめ直すことができ、トラブルの中で向上することができました。全員が内に向けて探すという、大法の法理の素晴らしさに、あらためて感動しました。
 
 学法グループの一員として、このトラブルを体験した私は、深く感じるところがありました。それは指摘し合ったり、お互いのせいにすることでは、決して問題を解決できないということです。自分が人を見下したり、人より高い立場に立って意見を出したり、原因を解析したり、人に指導したりすることでは、問題を解決することができません。求める心をもって頻繁に交流したり、問題を解決することを目的にして内に向けて探しても、問題は解決できません。ただ無条件に法を師とみなし、自分自身を修めて心を正し、はじめて同修の正念を呼び起こすことができ、はじめて本当に同修を助けることができるのです。自分を修めることはすなわち、同修を助けることに繋がります。同修を助けることもすなわち、自分自身を助けることになります。自分を全体の一部と見なすべきで、決して部外者のように見なすべきではありません。自分は当事者であって裁判官、傍観者、評論家ではありません。
 
 事の成り行きは以下の通りです。ある男性の同修は、既に80歳近くの高齢になっていますが、精神状態と健康状態は非常に良いものでした。しかし最近、彼は突然、同じ学法チームのある女性同修に対して、結婚したいと言い出しました。この女性はまだ50歳にもなっておらず、少し前に迫害のため離婚した後、一人暮らしをしていました。この男性同修は「自分には色欲はありません。ただ、昔亡くなった妻との間で、夫婦としてうまくできなかったことをやり直したいため、名義上の夫婦になりたい」と言いました。この女性同修はとても怒りましたが、表面的にはこのことを断っただけで、本当に法理から分析し、認識したわけではありませんでした。その後、この女性同修はこの問題の重要性に気付き、学法グループの同修たちに打ち明けました。しかしどのようにこの同修を助けるべきなのか、全員が自分自身の不足を本当に見つけ出し、このトラブルを良いことに変えるまで、紆余曲折の過程を経ました

 
 最初皆はやはり、色々なことを言いました。誰もが年配の同修を非難しました。例えば、「80歳になっても色欲があり、自分の理知がはっきりしておらず、これほど“荒唐無稽”な要求をするなんて」などです。この交流の中で、年配の同修も自分が間違ったと言いました。しかし明らかに、心の中では自分が間違っていると思っていないのが伝わってきました。しかも彼が話している内容は、基本的に自分自身を弁解するためのものであり、自分の執着を隠すためのものでした。
 
 一回目の交流では、皆が自分を当事者として見なすのではなく、皆がまるで裁判官のようでした。私たちは師父が与えてくださった「内に向けて探す」という万能の鍵を使いませんでした。
 
 引き続き、二回目の交流に入りました。私たちは午後の時間を使い、この件について話し合いました。この2回目の交流では、前回の教訓を汲み取り、人を批難せず自分の内に向けて探そうしました。しかし、誰もが自分自身の内に向けて探す時に、求める心を抱いていました。全員が、どうすればこの年配の同修が内に向けて探すことができるのか、と目的をもって内に向けて探していました。問題を解決しようとする心をもって、この執着に基づいて内に向けて探していました。そのため、全員が内に向けて探しましたが、それは非常に浅はかなものでした。このように、皆が内に向けて探しましたが、根本的にこの年配の同修の心に触れる事はできず、交流の効果は全くありませんでした。年配の同修は何も変わらず、ずっと自分の内に向けて探そうとしませんでした。彼はまだ「自分は悪くない」と言い、責任を全て自分を操る魔のせいにしていました。
 
 その日の交流の後、私は悪夢を見ました。夢の中で何人かの人が一緒に高い所から飛び降りていました。そして、私も飛び降りました。飛び降りた時、自分は人より良く飛び降りているので、皆に自分がどのように飛び降りているのかを見せようと、もう一度飛び降りてから、さらに飛び上がろうとしました。しかし、一度地面に降りてから、ずっと上に上ることはできませんでした。また、私の住んでいる村もすべて外来の敵にコントロールされ、すべての人が拘禁されて、私自身も危険な目に合いました。この時、全く正念はなく自分が煉功者であることも思いだせませんでした。
 
 夢から目覚めた後、既に発正念の時間が過ぎていました。私は大変驚き、すぐに座禅して両手で合掌し、師父の御加持を求め、さらに自分の問題点を探しはじめました。真剣に内に向けて探してみると、年配の同修は、まさに自分の鏡であると思いました。私も色欲が強く、同修との関係をうまく把握できていませんでした。特に一部の女性同修の付き合いの中で、時々邪念が生じることがあります。私の顕示心、私の自分自身を実証したいという心も大きな弱点であり、時々現れてきます。さらに無意識に、自分はよく修めているという心があり、自分が法理をしっかりわきまえていると思い、学法チームの中で人に対して指示を出しがちでした。さらに自分の欠点を言うことはめったになく、同修の中で、自分は良く出来ている方だと思い込んでいました。本当に恥ずかしいです。
 
 2日目、年配の同修が暑い中、私の所にやってきました。今回私ははっきりと認識しました。私はまず、自分の見た夢を話した後、真面目に自分の不足、自分の人心をすべて暴きだしました。話した後、私は心の中からこの同修に対し、「内に向けて探し、法のために責任を持ちましょう。自分に対して責任を持ちましょう」と提案しました。
 
 当日の夜、学法した後、同修は自分の色欲、嫉妬心、これまでやった間違いを全て言い出しました。その人の心の奥底から浮かび上がってくる悔いと、なんとかしてやり直したいという強い意思が、そこに座っている全ての同修に伝わりました。年配の同修が話しおえた後、私たちは皆、この同修に合掌して敬意を示しました。何人かの同修は涙を流しました。その後、その他の同修も自分の不足を見つけ出しました。
 
 今回のこの“荒唐無稽”なでき事の後、同修たちが内に向けて探しはじめたことで、トラブルを良いことに変えることができました。私たちは再び、師父から受けた恩恵や大法の法理の素晴らしさに感謝します。内に向けて探すことは本当に気持ちが良いことです。
 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/22/帮同修与修自己-245717.html)


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