どこにいても大法を実証すべき(一)
文/湖北省の大法弟子
師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
明慧ネットの第7回大陸大法弟子ネット上の修煉体験交流会の場を借りて、私が迫害されていた期間、魔窟の中で法を実証した体験を書き出して師父に報告し、皆さんと一緒に交流します。邪悪に隙を突かれて比較的長い間、不当に監禁されましたが、この過程で私は力を尽くして法を実証し、最後には迫害を解体しました。
旧勢力の迫害を認めず、魔難の前で理知的に自分を探す
2007年初頭、私は邪悪に連行されました。その時、私は内に向けて探して、自分の執着がとても多いことに気付き、全てがありありと目に浮かんできました。頑固で、自分を固持し、内に向けて探すことができませんでした。法を盾にして自分の観念を守り、自分の執着を覆いました。同修と自分の意見が一致しない時は、冷たい一言を残して去って行き、責任を持たず、無意識のうちに大法弟子の内部に間隔をつくり、トラブルを起こしました。
関の中にいる同修を正念で加持し、旧勢力の迫害を否定するのではなく、同修には正念がなく、執着を放下できていないと貶し、無意識の中で私は邪悪の側に立ちました。長期間、内に向けて探さず、自分を修めず、自分の心性を修めなかったので魔性が膨らみ、口では自分が大法の修煉をしていると言うものの、実はすでに大法からずれてしまい、邪悪に迫害される状態にまで至りました。自分に魔難を招き、同修にも迷惑をかけてしまい、本当に悔んで泣こうとしても涙も出ませんでした。私の心は泣いており、大法の要求どおり自分を修めなかったことを後悔しました。自分に執着し、している事に執着し、何かをする事を修煉と見なしたのです。
毎回の迫害はいつも人心が拡大し、執着心が強くなって邪悪に隙を突かれたのであり、一部の人達が話したような、何かをしたので、邪悪がこちらを怖がって迫害したのではありません。私達が法を実証することを、邪悪は怖がりますが、軽々しく迫害する勇気もありません。すべてが私達自身に何かの執着があって、旧勢力に隙を突かれ、私達の執着を利用して迫害をするのです。実はこのような認識が、執着のある同修が出て来て法を実証する勇気がないように妨害しているのです。迫害を怖がるからです。
私は不当に監禁され、迫害を受けることを始終認めず、ずっと公安、「610弁公室」の法に違反する迫害を訴えると要求しました。公安、「610弁公室」は公務の執行に過ぎず、人を捕まえているのは自分たちではなく、自分たちもよく分からないなどと自分たちの責任を覆い隠し、言い逃れようとした時、私は次のように聞きました。「毒物を売り、人を殺す者も自分達は仕事をしていると言います。刑務所に監禁された人々の中で、仕事をしていない人は何人いますか? 強盗も仕事です。しかし、その人達はなぜ刑務所に入れられたのでしょうか? それはその人達が人類の道徳に違反したからです。仕事は必ず人としての道徳に符合すべきです。私達は不当に監禁されました。あなた達は利益のために、暴政を維持するために良心に背くことをしながら、それでも仕事であると言い、責任を逃れようとしますが、実はあなたたちは犯罪者の仲間ではありませんか?」
揺るがず発正念をし、煉功する
発正念と煉功をすることは、私が不当に監禁されていた期間に法を実証する良い方法でした。恥ずかしいことに、刑務所に入る前には毎日五式の功法を完全に煉功することができませんでしたが、牢獄では毎日煉功を続けました。
その環境の中で、邪悪は悪人を使って毎日私に自分達のものを詰め込もうとしました。私の案件がどれくらい深刻であるとか、案件のために保存してある公文書は1尺(約30センチ)ほど厚いとか、一番軽くても数年の判決を下すとか、公安部が数回来て私の問題について話したとか、などなどでした。私は毎日自分の思想を整理し、自分が動かされて妄念が生じないようにしました。普段は今抱えている問題に適応する師父の法を暗唱し、自分の正念を増強し、すべては師父が決められると固く信じていました。私は邪悪に次のように告げました。「私は最も正しいことをしており、どの法律にも違反していません。私に対する迫害はすべて誣告と流言飛語によるもので、『証拠』を社会と各政府に見せて、いったい誰が罪を犯しているかをはっきりさせましょう。私は義に勇むと認められるかも知れません」
その後、不当に監禁されている日々、どこに監禁されていても私はいつも邪悪を訴え、訴える手紙を書きました。邪悪を訴えるのが目的ではありません。訴えを利用して迫害を明らかにし、真相を伝え、衆生を救い済度すると同時に、邪悪を抑制し、迫害を減らすためでした。
(続く)