三、正しい念、正しい行い
執着があるため迫害が厳しくなる、正念をもって毎日三つのことを続ける
邪悪に迫害されるのは、私達に漏れがあって邪悪に隙に突かれたためで、私達が何かをしたからではありません。私達がしたことは邪悪の肝を冷やし、邪悪は憎らしさのあまりぎゅっと歯をくいしばりますが、迫害する勇気はないのです。迫害されるのは、やはり自分に漏れがあり、内に向けて探さず、自我に執着したからです。家族と協力して釈放を要求し、迫害を暴露することに間違いはありません。同修と一緒に各牢獄の近くに行って発正念をし、不当に監禁されている同修達との面会を要求することに間違いはありません。牢獄で修煉者が邪悪に打たれて障害を負った事実を暴露することに間違いはありません。この度、私が連行されたのは自分に執着があったからであり、不当に監禁されていた期間中にも自分の執着によって迫害が厳しくなりました。
この期間中、私はある洗脳班に転送されました。初めの頃、私は気が緩んでいました。邪悪らが私に判決を下し、迫害できなかったと思い、自分はリラックスできると思いました。私はここですべての洗脳による迫害を断っていましたが、実はすでにこのような迫害を黙認し、ここにいられると思ったのです。家族が私の監禁された場所へ探しに来たり、同修達が発正念をしたり、家族が絶えず私の釈放を求めて来たことによって邪悪が驚きと怖さを感じてやっと、私も驚き、冷静になりました。私はとても心が痛くなりました。同修達は外で危険を冒しながら私のために救援活動をしているのに、私はむしろ意志が緩んでいたのです。私の頭ははっきりし始め、毎日煉功、発正念をし、法を暗記するようになりました。
当時、邪悪は私に紙とペンをくれず、私が新聞、テレビニュースを通じて外界の情報を得ることを禁じました。私は、ある時は古い新聞を丸めて紙の棒を作り、お茶につけて板の上や壁などに「法輪大法は素晴らしい」、「天が中共を滅ぼす」と書きました。お茶は色があって跡が残るので、私を監視している人はいつも記録し、報告しました。「610弁公室」のリーダーは洗脳班に来て私が書いている様子を数回目にし、ただ頭を左右に振りながら全くお手あげな様子でした。しかし一度、私がまた「天が中共を滅ぼす」と書いていた時、この「610弁公室」のリーダーが多くの人を連れて洗脳班に来ました。当時その人達は入って、みなそこで私の書いている様子を見ていました。リーダーは「暇でたまらず、また反党言論を書いている」と言いました。私はすぐ気持ちが高ぶって「なぜ人を捕まえて、監禁しているのですか? 天が中共を滅ぼすのです。あなたに能力があったら天を捕まえてみなさい」と言いました。リーダーは辱められ恥ずかしさのあまりかっとなり、私を連れて行かせ、「教育」させるよう命令しました。私は大きな声で「迫害しています! 不当に人を捕まえています!」と叫びました。
その人達は私をある部屋に連れ込み、私を押さえつけてデマを流す録画を見せようとしました。私は断ると同時に「610弁公室」の数人に詰問しました。「あなた達は人身の自由を制限し、人を迫害し、職務を利用して罪を犯しているのです」その人達は当時、驚いて腰を抜かし、こっそりと逃げました。その人達は経験のある公安を洗脳班から探して連れて来ました。経験のある公安は私の部屋へ入って来て、よく勉強するよう勧めました。私は「これが勉強ですか? 見てください。すべてが流言飛語です」と言いました。経験のある公安は頭を左右に振り、行ってしまいました。
数日後、「610弁公室」の人達がまた洗脳班にやって来ました。「610弁公室」のリーダーは「こっちがお手あげだったら、やりたい放題でやってもいいと思っているのか?」と言いました。今回、その人達はまた私に、強制的にデマを流すテレビを見せようとしました。私は続けて「迫害しています!」と叫びました。ある「610弁公室」の人は「みなお前のようならこのクラスは開く必要がないだろう」と言いました。私は「ここはまさに邪悪そのものであり、人を不当に監禁しているところです」と叫びました。「天安門焼身自殺」を放映すると、私は「これは全く偽りです」と話しました。「焼けた後、髪の毛もあり、プラスチック瓶も燃えていません。これは火傷であると言えるのでしょうか? 石膏をそんなに分厚く巻いて、転がって打たれて傷めたように見えます」その中のある保安員がこっそりと力を入れて私の手を押しました。その保安員は私が痛めつけられることを心配していたからです。数日前まで、その保安員は態度がとても悪く、連行されて来たばかりの法輪功修煉者の口をガムテープで封じました。私はその保安員に、どうして人の口を封じ、人に話をさせないのかと詰問しました。その保安員は振り返って私を威嚇しました。私はその時「あなたとよく話し合いたいです。もしかするとあなたはここが不法な機構であることをまだ知らないでしょう」と話しました。今回、その保安員は中国共産党が邪悪であることをはっきり見抜いたのかも知れません。邪悪がデマを飛ばし、法輪功を迫害していることを見たからです。翌日、その保安員は洗脳班を離れました。実は多くのいわゆる「陪教(法輪功修煉者に付き添っている人)」が来ては去り、この洗脳班から離れたのです。「陪教」の大多数はここで迫害の残酷さを目にし、真相が分かり、ここにいたくなくなったからです。
迫害を暴露する文章を明慧ネットに送る
数日も経たないうちに、私の書いた訴えの手紙と「610弁公室」、洗脳班を暴露する文章が送り出され、明慧ネットに掲載されました。「610弁公室」リーダーは辱められ恥ずかしさのあまりかっとなり、国保(国家安全保衛員)を連れて私の書いた訴えの手紙がどう送り出されたかを洗脳班に調べに来ました。国保(国家安全保衛)大隊はずっと顔を出さず、「610弁公室」の人が来て私に聞きました。私に「ものをどうやって送り出したかだけを言ってよい」と言いましたが、私は答えるのを断りました。私は「あなた達は不当に刑を加える場所を設け、拷問で自白を強要し、摘発した人を殴り、私が摘発することを阻止しています」と言いました。その時、「610弁公室」の人はやはりとても轟々としており、私がこれ以上情報を漏らすことができないと思っていました。「610弁公室」リーダーは「お前の供述はゼロである。なぜ24時間見張っている人がおり、お前は中に監禁されているのに、訴える手紙が送り出されてしまったのか? お前とはとことんまでやるんだな」と話しました。その人達は私が書いたものを投げ出して外に送り出したと疑い、あちらこちらで網を封じ、どこかにまだ手抜かりがあって私が情報を送り出せるのではないかと怖がりました。その人達も私が毎日煉功していることを知っており、「610弁公室」リーダーが洗脳班の人達に、私の気勢をなくすべきであると話しましたが、私に対してやはりどうすることもできませんでした。
私は中共の市委書記が洗脳班に来ると言うことを聞いて、ここで人を迫害していることを暴露しようと思いました。当時、迫害されていた他の同修達も私を励ましてくれました。私はこの件のために発正念を始めました。その日、中共の市委書記は公検法(警察・検察・裁判所)の責任者を連れて洗脳班に来ました。「610弁公室」の人達はほかの法輪功修煉者をみな連れ出していわゆる「学習」させ、私は部屋に監禁されていました。私は発正念をしました。その日、市委書記は偶然のことで間違いが生じ、私を監禁している部屋に来ました。「610弁公室」リーダーは私の前を遮り、私を監視している二人を市委書記に紹介しました。その市委書記が向きを変えて離れようとした瞬間、私は「ちょっと話してもいいですか?」と聞きました。その場の人達はみな拍子抜けしてしまいました。私は「どうして人を殴り、人を苦しめるのですか?」と話しました。市委書記は「殴られましたか?」と聞いてきました。私は「そうです。何回も何回も殴られました」と答えました。「610弁公室」リーダーは跳び上がりながら叫びました。「こいつは最も頑固で、中国政府を訴えており、ここに監禁されても決まりも守っていません」市委書記は顔をさっと曇らせ、振り向いて行ってしまいました。当時、私を監視していた人はとても緊張して「おしまいだよ。あなたはまた痛めつけられるぞ」と言いました。私は笑いました。邪悪は暴かれるのを怖がっています。予想したとおりその晩、「610弁公室」リーダーが来ました。ほかの人達はみなとても緊張していました。リーダーは、私が訴えることしか知らない、などと少し話しましたが、やはり仕方なく、これからは二度と拷問せず、殴ることを許さないと保証しました。
(続く)