「法輪大法は素晴らしい!」
私が本を暗記している時、管理教育員が勢いよく走り込んで来て、私の本を奪って行きました。私はその人を探して本を要求しました。その人は情報員に私を階上へ引っ張って行くよう指示しました。私は「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。その人達は情報員に指示し、私の口を封じさせようとしました。私は階下に向かって叫びました。「どうして人の口を封じようとしますか? 誰がこのことを指示したのですか?」管理教育員は頭を下げ、頭を抱えて隠れてしまいました。私はしばらく叫んでから、部屋に入りました。情報員は「あなたが結構叫んだので、私もやってみます」と言いました。情報員は窓を開けて、外にいるいくつかの隊に向かって大きく叫びました。「法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい!」しばらく叫びましたが、何の反応もなかったので、情報員はとてもがっかりし、ベッドに座りました。
私が労働教養所を離れる前夜、その人達の点呼が終わってから、ある情報員が突然私に言って来ました。「あなたのためにパーティーを開いてあげます。あなたがここから離れ、永遠に再び来ないよう願っています」その時、私に『天安門広場はあなたを覚えている』を歌って欲しいという提案がきました。私は、その歌はとても素敵ですが、私はその歌の歌い方を知らないので、『法輪大法は素晴らしい』という歌を歌いますと返答しました。私が2つの監視器具の間に立って「法輪大法は素晴らしい」と歌い始めると、多くの人が「いいね!」と唱和してくれました。私がまた「法輪大法は素晴らしい」と歌うと、またひとしきり「いいね!」というたくさんの声が聞こえてきました。私が「法輪大法は正法」まで歌うと、さらに「いいね!」という大きな声が伝わって来ると同時に、とても多くの人が立ち上がって、腕を上げながら「素晴らしい」と高く叫びました。私が「佛光が普く照らされ」まで歌い、頭をあげて見ると窓の外側に、体を前に向けて物にもたれたような姿勢をしてこちらを見ている人でいっぱいでした。その院長(管理教育員が労働教養犯達の中から選んだ頭目として、他の労働教養犯達を管理している)が入って来て、私に「私が階上の者達も全員呼んで来るから、あなたはもう一回歌ったらどうですか?」と言いました。みんな興味津津になってきました。私は「私がもう一度『あなたのためにやって来ました』を歌いましょう」と言いました。私が歌っている途中で「いいね!」という声が絶えませんでした。私はとても感動しました。本当に生命の希望を見たのです。他の同修達は「予想外のことです。こうなるとは! あまりにも震撼しました」と言いました。
五、何が原因で、自分は長期にわたって監禁され、迫害されているのか?
私が迫害によって再び洗脳班に来ると、その人達はとても緊張し、とても面倒臭い人が来たと話しました。実は洗脳班でとても多くの工作人員達が替わり、その人達はただ私が以前どうしたかを聞いただけで、私に会ったことはありませんでした。私に会って、その人達は私がとても優しいと思ってくれました。ここで、ある同修が私に家族からの手紙を持って来てくれました。手紙の中には私に対する家族の不満でいっぱいでした。私は内に向けて探し始めました。何が原因で、自分は長期にわたって監禁され、迫害されているのでしょうか? 初めの頃は私が連行されたことを通じて迫害を暴露し、影響を広め、もっと多くの人を救い済度しようとしましたが、後になって初めの頃の目的をだんだん忘れてしまいました。2002年、洗脳班に連行された時は数時間しか監禁されませんでした。2回目は6日間迫害を受けましたが、仕方なく私を釈放したのです。経過した時間が長すぎて、当時自分はどういう状態の中で、邪悪の迫害を突破して出て来たかを忘れてしまいました。
私は「発正念」をし始めました。長時間「発正念」をし、師父に加持して下さるようお願いしました。以前、邪悪はなぜ私を監禁して置くことができなかったかを考えてみました。その時は絶対にここにおらず、一分間もおらず、邪悪の魔窟を解体しようとしたことをだんだん思い出しました。しかし今回は、洗脳班の環境が変わり、自分は外の同修達と便利に疎通ができて、弛んでしまったのです。安逸心によって徹底的に邪悪を否定することを忘れてしまったのです。
私は「発正念」を始めました。考えている途中、私は「610弁公室」リーダーが本当に可哀そうであると思いました。大きな悪事をこれほどたくさん働いて、今後「610弁公室」リーダーはどうしたらいいでしょうか? こう思った翌日、「610弁公室」リーダーが来て私に対し、いろいろ機嫌を取ろうとしたので、他の人達はみんな不思議に思いました。ついこの間(昨日とおととい)まで、顔が真っ赤になって争っていたのに、1日過ぎで変わったのです。「610弁公室」リーダーは「お前は肝っ玉が大きく、死を怖がらないので、素晴らしいと思っている。もういいから、お前を自由にさせる」と言いました。これは私に2002年のことを思い出させました。その時も洗脳班の書記と当時の「610弁公室」のあるリーダーに真相を伝え、その人達に良い未来があるよう、善の心を持って言ったのです。その書記は後で「いいから、お前も騒がないでくれ。私はすでに、こちらも管理できないので、お前を帰すと上に報告したから」と言って来ました。以前の私は、いつもしっかりすべきであり、自分は正念によって魔窟から突破して出て来たと思っていました。いつも慈悲が威厳と共にあると思い、威厳を重んじており、いつも威厳が重要であると思っていました。これは観念と性格によるものでした。今回の経験を通して私は、善の力はとても大きく、威厳が慈悲と共にあることが分かりました。
この数年、ずっと私に、迫害を受けていた期間どのように法を実証したのか、その経歴を書き出すように勧める人がいました。しかし、自我に執着する人心が邪魔をし、修煉中また自分が意識できない執着があったので、ずっとペンを取りませんでした。去年、第6回大陸大法弟子達ネット法会の時、私は書き始めましたが、真剣に取り組まなかったので、最後の日になってやっと1つの文章を書き、送り出しました。しかしすでに間に合いませんでした。今回、第7回大陸大法弟子ネット法会の場を借りて、この数年間修煉してきた体験を書き出し、師父に報告し、皆さんと共に交流したいと思いました。師父への感激の心は表現しきれません。自分をしっかり修め、もっと多くの衆生を救い済度することで、師父からの恩をお返しするしかありません。
個人の認識で、足りない所はご指摘ください。
(完)
(明慧ネット 第7回大陸大法弟子ネット法会)