文/中国河北省の大法弟子・徳治
私が同修の家に入ったとき、同修は驚いて「あなたはどなたですか?」と聞きました。部屋の照明をつけてから私を見てさらに驚きました。「おじいさん、庭は毎晩夜11時に鍵を掛けていますし、建物の入り口と内のドアも鍵を掛けています。すでに深夜3時過ぎですが、おじいさんはどうやって入って来たのですか?」と聞きました。私は「どうやって入ったか私にもよく分かりません」と答えました。話が終わったら、私は床に倒れてしまい動けなくなりました。同修は急いで私にご飯を食べさせ、発正念をし、私に法を読んでくれました。同修は私に少し睡眠をとらせたあと付き添って煉功し、それから私をさらに安全な所に送ってくれました。
今回不思議にも洗脳班から脱出できたことを通じて、私はさらに師父と大法を固く信じるようになりました。
こういうこともありました。私はある刑務所に不法に監禁されて、7カ月間ずっと断食で中共邪党の迫害に抗議していました。この間、警官は常に私の両手を体の後ろで手錠を掛けるか、あるいは「死人ベッド」に縛りつけました。毎回、灌食が行われると、私は意識を失いました。もし師父の慈悲なるご加護がなければ、60歳を過ぎた私がこのような残酷な拷問に耐えることができるわけがありません。当時、私は意識が戻ってきたら「宇宙の真理に対する堅固で破壊できない正念は、善良な大法弟子の、磐石のごとく堅固な金剛の体を構成しています。すべての邪悪は驚き恐れて、放たれた真理の光は、あらゆる生命の正しくない考えの要素を解体します」(『精進要旨二』「同じく二言三言」)を暗誦しました。
私は心理状態が純粋であるとき、死人ベッドに縛られていても体はかえって静功のときの「似空非空 動静如意」の感覚を覚え、体は楽で美しい境地に入っていました。後になって私は体に多くの膿包ができ、膿が流れ出しました。大きな床擦れが二つでき、腐って骨まで見えました。両足は浮腫んで蒸しパンみたいになり、体重はたった30キロしかなく、息も絶え絶えで今にも死にそうな状態に陥っていました。刑務所側は私が三日以上生きられないと思い、責任を取ることを恐れ、慌てて私を家に返しました。当時の私はベッドに寝たきりで、寝返り一つにも人の助けが必要でした。同修たちはみな私を助けて発正念し、私が学法できるように助けてくれ、私と切磋琢磨しました。私は絶え間なく師父の説法録音を聞きました。一週間後、私は、ベッドやテーブルやあるいは椅子を頼りに立ち上がることができ、半月後には自分で身の周りのことができるようになりました。三カ月後には師父の慈悲なるご加護の下で、なんと奇跡的に正常な状態にまで回復しました。そして私はまた、法を正す広大なる流れに身を投じることができました。
十数年の修煉の中、年寄りの私は多くの不思議なことを体験しました。今日はただその中の二つの例を書き出して、同修と交流したいと思いました。師父の慈悲なる救い済度に感謝し、師父の広々とした佛恩に感謝します。
(完)