文/中国遼寧省の大法弟子
私は農村部の大法弟子で、知識レベルは高くありません。邪悪がますます少なくなる形勢の下、私たちの地区では集団学法の環境を回復しました。集団学法をする中で、同修たちは皆、とてもすばやく向上できるようになりました。しかし、私は常に自分が衆生を救い済度する中で威徳がないと感じ、まるで何かに阻まれていると感じました。今のところ、私はただ多く学法することにより、この難を突破できると認識しています。しかし、学法しても心に入らず、一部のものはまるで、根が下ろされたかのように、どうしても取り除くことができません。師父は、私が自分が前進する道に置かれている障碍を早く見つけられるように、同修と私の間にトラブルが生じさせ、トラブルを通じて、私を悟らせ、早く向上するようにさせてくださいました。
トラブルの経緯は以下のとおりです。
今年の端午節(訳者注:旧暦5月5日)に、わが地区の20数名の大法弟子は、修煉心得交流会を開催しました。交流会で補導員は私に発表するように言いました。そして、私は少しも遠慮せず、話し始めました。私は自分の修煉体験を語るのではなく、口から出任せにまくしたて、同修たちが法を読むとき必ず師父を尊敬し、大法を尊敬し、ものを食べたり、むやみに話したりしてはいけない、また学法を常人の理論を学ぶようにしてはならず、着実に修めるべきである、と語り、そこで例まで上げました。『明慧週刊』に掲載されている弟子の交流文章の中に、こういう文章が一篇あります。ある老道士は彼の弟子に中指の血でヒョウタンを植えるように要求しました。着実に修めてない人はみなを騙して、赤土の水でヒョウタンを育てましたが、ヒョウタンはほかの人のより大きく育ちました。しかし、功能を利用するときになると、彼はどうしても功能を運用できなくなりました。最後に老道士は着実に修めた弟子を連れて天に上がりましたが、彼は塀に頭をぶつけて自殺しました。私たちはこのような人になってはいけません……、と私は語りました。私の話がまだ終わってないうちに、隣に住んでいる同修Aは機嫌が悪くなりました。彼女と私の間には長い間、隔たりがありましたが、彼女は皆の前で私を非難しました。家に帰る道で私は、このことはどうして発生したのか、自分の何の心が彼女をこれほど理知を失うほど刺激したのか、と考えました。しかし、このことは私の心性を向上させるためにやってきたのだから、必ず心性を守るべきである、ということしか認識でませんでした。
数日後、集団学法の際、『ヨーロッパ法会での説法』を学びましたが、1998年に師父は質疑応答のなかで、「どうして現れたのでしょうか? それはみんなに彼を注意させるためであるか、或いはわたし達の誰かに同じような心があるからです。そして二人の間にいざこざが起ります。目的は彼らの各自の執着心を取り除くためです」、と説かれました。師父の応答は私を悟らせました。なるほど、私に漏れがありました。そして、私はただちに同修Aに、「私たちは二人とも必ず自分を探さないといけませんね」と言いました。集団煉功のとき、同修Aは涙を流していました。私は、「おそらく彼女は自分が間違ったと認識できたのだろう」と理解しました。帰宅してから、内に向けて探してみたら、びっくりしました。そもそも自分の内心の深いところに、とても強い嫉妬心、恨む心、警戒心、恐怖心がありました。今日、私はこれらの心の根を掘り出します。
嫉妬心と恨む心を取り除く
26年前、夫の家に嫁にきて1年経たないある夜、夫が不在の時、我が家の後ろに住んでいる好色の男性が深夜に我が家にやってきました。私は彼と話したことがなく、またうちでは100匹以上の雛を養っていましたので、色の方面は考慮せず、彼が鶏を盗みに着たと思い込み、すぐに彼を追い出しました。夜が明けたとき、夫が帰宅し、私はこのことを夫に告げました。夫は話を聞いて、舅と相談し、私に教えず、派出所に密告しました。警官が我が家に訪れて状況を調査したとき、私はその男性の悪口を言わず、また彼のために弁解しました。その結果、同じ区域に住んでいる人達は、私が彼と不倫をしていると誤解しました。夫の兄弟の妻は、このことを私の兄嫁に教えました。