文/雲南省の大法弟子
(明慧日本)私は去年、都市部で中古の家を買いました。新居に入ると私は自分の家で学法チームを作り上げました。この学法チームは学習者たちを鍛えることができ、私にとって、さまざまな場面でとても役に立っています。
学法をしに家に来る学習者はどんどん増えていき、修煉していない夫は私に意見を言いました。来る人が多すぎて、時には座ったばかりなのに、すぐドアをノックする音がして、ドアを開けるのに疲れたのだそうです。学法をする以外の時間でも、私と一緒に長時間の発正念をしようと誘いに来る学習者もいます。このように一週間を通して夜に、お客さんがいないのは一晩か二晩だけでした。昼は仕事があるため、私は学法チームをいくつかの小さなチームに分けようと考えました。しかし、自分の執着心がまだ残っているため、チームを分けている最中に人心が働き、学習者にも伝染してしまい、邪悪に隙を突かれてしまいました。
数日後に、元々一緒に学法していた学習者たちが夫と私を見かけても無視し始めました。私の人心は一気に掘り起こされ、私は怒り出してしまいました。私は他の学習者を見かけると彼らに自分の苦しみを訴え、何人かの学習者に影響してしまいました。自分の状態が法に基づいていないと分かっていながらも、人心を捨てられずとても悩みました。
この時、慈悲なる師父は二度も私に啓示してくださいました。当日の夜、私は夢を見ました。自分が他空間でシングルベッドの上で寝ていて、師父の法身が私のベッドの前に立ち、両手を私の小腹から三十センチほど離れた場所におき、瞬間に私は小腹にある法輪が急速に回転し始め、巨大な力が私を包んでいるのを見ました。次の日、私は夢のことを理解できず、なんと学習者たちに夢の中で師父を見たと、楽しそうに話しました。夜になり、私は自分が故郷に帰るバスに乗っている夢を見ました。故郷から60キロ近く離れた所で私は突然バスを下りて、バスはそのまま走り去っていきました。この時、以前の同僚(真相を受け入れなかった者)が私の前にやってきて、60元を出せば私を故郷に送り返してやると言いましたが、私はそれに応じず、自分には自転車がある、自転車に乗って帰ると言いました。わき道が多く、日がもうすぐ暮れるので、道を間違えると彼は言いましたが、私は頑なに自分で道を聞きながら帰ると言い張りました。するとすぐに指も見えないほど暗くなり、私一人になりました。呆然とその場に立ち尽くし、少し怖くなり、それからすぐに夢が覚めたのです。夢の中での経験がとてもはっきりとしていて、まるでこの身で体験したかのようでした。私はすぐに顔を洗い、師父の法像の前に跪き、いったいどこが間違っているのかを内に向けて探し、ここ何日間での出来事を整理しました。二晩続きで師父が私の体を調節してくださり、再び私に家に帰ることを啓示してくださいました。慈悲な師父のご加護の元で、私はとうとう自分を証明したいと言う心理を見つけることが出来ました。この心理はとても大きく、自分の考えに執着し、学習者を善心を持って助けることもなく、学習者たちの苦難も理解せず、強烈に他人を見ていました。
これらの人心を見つけたとき、私はすぐに正念を発して解体しました。しかしそれらは中々諦めきれず、時々脳の中に反映してきて私に学習者が間違っていると告げてきました。私はそれらを気にせず解体し、そしてかつて苦しみを訴えた学習者を探し出して、誠心誠意、彼女たちに謝罪しました。自分が正しく行えなかったため、これからはきちんとし、二度と他人の陰口を叩かず、学習者たちの良いところだけを見て人心に隙を与えず、邪悪に隙を与えません。学習者が私を無視しても大丈夫です。私が彼女を探しにいけば良いことです。彼女は私の善心がまだ足りないと、口を修める所も良くはないと言いますが、私がこれらの悪い所を頑張ってきちんと修めていけば良いので、これからは頑張ります。
次の日、私たちは集団で学法し、皆で師父の『マンハッタンでの説法』を読むとき、師父は説法の中で我々にこう教えてくださいました。「皆さんは今からも同じことになりますが、あなたが正しいかどうかに関係なく、この問題は一人の修煉者にとってまったく重要ではありません。言い争わないでください。誰が正しいか、誰が間違っているのかを強調しないでください。いつも自分が正しいと強調する人がおり、あなたが正しいのであって、間違っていませんが、それはどういう意味があるのでしょうか?法に対する認識が高まったのでしょうか?人心をもって正しいかどうかを強調すること自体が間違っています。なぜなら、あなたは常人のあの理で自分を量っており、常人のあの理で相手に要求しているのです。神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中でどのように人心の執着を取り除くかが重要なのです。」
また、師父の『ヨーロッパ法会へ』の「同時に、意気地のない学習者に対してお話します。」を呼んだとき、皆驚きました。自分のことを言っていると感じたのです。皆一斉に早く真相を伝えて衆生を救わなければならない、こうしなければ、自分たちの有史以前の大願を果たせないのだと言いました。学法後、我々一人一人は自分の不足な点を探し出し、自分を見ずに他人を見るという習慣を取り除くこと、そして、自分を修めることを決心しました。状態が良くないときは、仕事を中断して何日間か学法をして自分を調節するのか、それとも学法しながら真相を伝える中で交流を高めるのか、どちらがよいかを話し合った結果皆、学法、発正念、真相を伝えるというこの三つ全部やりながら精進することに賛成しました。
以上が我々チームの全体が精進するに至った過程です。
(続く)