文/中国の大法弟子 如真
(明慧日本)
三、真相を伝える中での体験
大学に入ってから私は、自分の身の回りの衆生に対して真相を伝えられないことに悩んでいました。大学生活の中で親しくなった同級生や先生に真相を伝えましたが、しかし昔のように努力していませんでした。
大学に入ってから私は、知らない人、もしくは大都会の人間は悪い人が多いと感じていましたので、あまり真相を伝えていませんでした。しかし半年後、私はまず同じ寝室の同級生と話そうと思いました。ある日、外出してご飯を食べに行った時、私は事前に考えていた真相をなかなか言うことができませんでした。時間がなければ伝えるのをやめようとさえ思いました。食事の後、誰も寝室に戻ろうと言わないので、皆で雑談を始めました話題が何も無いのに、皆その場を去ろうとしませんでした。まさに私が真相を伝えるのを待っているかのようでした。私は勇気を振り絞って真相を伝えました。話した後私は、同級生たちはどうせ態度を表明しないだろうと思いました。これも良くない考え方でした。しかし、かえって私が話した直後、皆が拍手をして「安心しなさい。皆あなたのことを支持しますよ。あなたは本当に善良ですから」と言ってくれました。この話を聞いた私は恥ずかしくなりました。なぜ真相を伝えることをここまで怠けていたのでしょうか。救いを待っている衆生があまりにも多いのですが、私の無責任のために皆を待たせてしまいました。私は法を正す時期の大法弟子です。修煉も個人の修煉ではありません。法を正す修煉です。私が自分の行ったことはいずれも真相を伝えるためのものであり、生活でも仕事でも、世人に真相を伝えなければならないと思いました。
終わりの言葉
一年間の修煉の中で、私はどんな環境にいようと、自分が影響されるのを心配するべきではないと思いました。なぜならば、大法弟子さえいれば全てが正されます。私たちこそが、もっとも世の中心的な人物です。人類が救われる唯一の希望です。私たちの心のなかに法さえあれば、どんな魔難も家に帰る事の妨害にはなりえません。今、法を正す修煉の道は最後の最後に来ています。要求はさらに厳しくなっています。私たちはいずれも法のためにやってきています。特に大法小弟子、私たちのような大法の小弟子たちは、青年であっても未成年であっても、必ず怠惰にしてはならず、最後は一緒に精進して行きましょう。
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)