――仕事に立脚して衆生を救い済度する
文/華北の大法弟子
(明慧日本)私のような状況について、師父は何度も説法の中でおっしゃいました。「修煉はほかでもなく修煉であり、修煉はつまり執着を取り除くことであり、人間の良くない行為と、あれこれを恐れる人心を含む、各種の恐れの心を取り除くことです。」 「恐れの心は、人々に間違ったことをさせることができ、人々に機縁を失わせることもできます。恐れの心は、人間が神に向かっていくときの至難の関です。」(『至難の関から抜け出す』)
「衆生は皆、救われるのを待っており、このことに関して、私は非常に明確に皆さんに教えますが、大法弟子が彼らを救わなければ、世界のどの隅にいても、皆さんが救わなければ、彼らには希望がありません。」(『新唐人テレビ討論会での説法』)
「大法弟子はなおさらそうです。衆生を救い済度する使命を持っているため、範囲がもっと広くなったのです。全世界の大法弟子は世の中を全部包容しており、それぞれ一つの範囲を受け持っています。あなたがぶつかったこと、接触したことはいずれもあなたの範囲の中の要素です。あなたの正念が強ければ、あなたは自分の範囲で強くて高くなり、中にある良くないものを抑制することができます。すべての大法弟子がこのようにすることができれば、全世界が変わります。なぜなら、皆さんはそれぞれこの世界で大きな範囲を受け持ち、その部分の衆生を代表しているからです。」(『大紀元会議での説法』)
私は天目が開いていませんが師父の説法の中から、法を正す時期の大法弟子としての責任の重大さを感じ取ることができます。私たち法を正す時期の大法弟子は誓約があり重責を背負っています。しかし後天的に形成された観念である、恐れる心、安逸を求める心が私を妨害してしまいました。私は必ず外に出て、衆生を救わなければいけないと悟りました。
私のコンビニを中心として半径数km内に、一定の常連客がいます。もし私が彼らに真相を伝えず、最後に人間界で法を正す時が来て、彼らが淘汰されてしまったら、「なぜ私たちは常にあなたの側にいたのに、あなたは救ってくれなかったのか」と彼らから問われても、私はこれらの衆生に顔向けできません。
そこで私は、店で小冊子『共産党についての九つの論評』を配布したり、真相を伝え脱党を勧め始めました。今年の夏のある日の夜、私は店を閉めようとしたとき、ある若者が乾電池を買いに来ました。私はレジ打ちの合間に発正念をし、若者の背後にある邪悪生命の要素を取り除き、若者に対して「あなたは私の同級生と非常に似ています」と言いました。その若者は「そうですか」とフレンドリーに言いました。私は「私の同級生は何某という名前です。あなたの名前は何ですか?」と質問し、若者が答えた後に私は続けて脱党などを勧めました。最後に必ず「法輪大法はすばらしい」、「真・善・忍はすばらしい」という言葉を覚えて下さいと言いました。するとこの若者は嬉しそうに「わかりました。ありがとうございました」と言いました。たった三分間で、一人の衆生が救われました。時間が短く急いでいたので、小冊子を渡したかどうかは覚えていませんが、この若者は、私がこれまで脱党を勧めた中で唯一、私に感謝をしてくれた人です。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)