――文字が読めなくても師を手伝うことができる
文/遼寧省の大法弟子の口述 同修による代筆
(明慧日本)
大法の素晴らしさ
私が修煉を始めて20日前後のころ、五つの法輪が見えました。赤、黄、青、緑、紫の5色でした。2、3カ月目には、大きな月が私の目の前できらきらと輝いているのが見えました。またある時、第二式を煉功していると、目の前に大きな目玉が現れ、私は驚いて手を下ろしてしまいました。その後すぐに、師父がこのことを説法の中でおっしゃっていたのを思い出し、私は恐くなくなりました。引き続いて再び煉功しても、もう二度とその目は出てこなくなりました。修煉して1カ月前後の夜、眠っていると、自分が宙に浮き、掛け布団も一緒に浮いているのを感じました。あの時、法をまだよく学んでいなかったので、私は何が起きているのか分かりませんでした。今年も一度浮き上がりました。
1995年、自宅を強制的に撤去された時、屋根のレンガが3個落ちてきて、私の頭を直撃しました。その場にいた人たちは皆とても驚きましたが、以外にも、私には何事もありませんでした。
私はある日、歩いていて転倒し、起き上がってみると、足首から先が後方を向いているではありませんか。私は気にせず、それを前向きにねじって直すと元通りになりました。その後、法輪が私の足首の所で回転して、調整しているのが見えました。
ある日の夜、私は同修と一緒に真相を伝えに行き、気づいたらとても遠くへ来ていました。すでに夜11時半で、帰る道が分かりません。そこで2人は目を閉じて合掌し、「師父、私たちは家に帰る道が見つかりません。助けてください」と師父にお願いしました。次の瞬間目を開くと、私たちは家から遠くない大通りに立っていました。本当に信じられませんでした。私たちはとても嬉しくなり、師父に感謝の言葉もありません。
ある日、私は弁護士の事務所に行って真相を伝えました。私は『共産党についての九つの論評』をたくさん持って行きました。オフィスには多くの人がいて、仕事の最中でした。私は全ての机に『九評』を1冊ずつ置いて回りましたが、誰も私のことに気付きませんでした。最後の一冊を入り口に立っていた警備員に渡しました。これは貴重な本だと説明すると、相手は脱党に応じてくれました。私がドアから出てしばらくしてからやっと、建物の中から2人が出て来て私を探しているのが見えました。一瞬の間に、私は素早くとても遠い所の橋のたもとに着いていました。そこには同修もまた同じように立っていました。
私は以前、当局に身柄を拘束されたことがあり、450元を没収されました。いくら返すように要求しても相手は返そうとしませんでした。その後、これらのお金と『転法輪』がある日、忽然として自宅に現れ、戻ってきたのです。
修煉の道は人それぞれに違います。私は天目が開いていて、他の空間の不思議な現象をとてもたくさん見ることができます。他の空間の異なる現象はまだまだたくさんありますが、法の自分に対する要求は非常に高く、少しでも正しくなければ、他の空間からの妨害と邪魔がやってきます。何度も体に病業の状態が現れたことがあります。ある日、天目で私の他の空間の体を見ると、めちゃめちゃにされ、腸がお腹からすべて出てしまっているのが見えました。人間のこの空間では、体中が痛くて私は起き上がることもできませんでした。「師父、助けてください」とお願いすると、直ちに3人の医師がやって来て、手術を行い、全てが直ちに良くなりました。
真相を伝え 衆生を救い済度する
1999年7.20以降、私は同修と共に北京ヘ陳情に行き、途中警官らに阻まれて家へ戻りました。それからは家で修煉し、時間があれば学法し煉功していました。ある時、地元の派出所の警官らが私の身柄を拘束しようとしましたが、私は断固として「行きません」と言いました。それを聞いた警官らはただちに帰って行きました。その時、不当に拘禁された2、30人の大法弟子がいて、いずれも食事を与えられず、日中の炎天下に外に立たされ続け、さらには暴力を加えられたりしていました。そこで私は、揚げパンをたくさん買い、自宅のきゅうりをとってきて、彼らに届けに行きました。警官らは阻止しましたが、私は「なぜ私を行かせないのですか? 受刑者ですら食事を与えられているのに、ましてや大法弟子は法を犯してもいないのに、食事を与えないでどうしますか?」と厳しく言うと、誰も私を止めようとしなくなりました。私は大法弟子たちにそれを分け与え、決して恐れたりはしませんでした。
その後、私は至る所で真相を伝え、多くの人が私と煉功し修煉を始めました。今まで私の勧めで修煉を始めた人は30人を超えたと思います。これらの人の多くは今も三つのことをしっかり行っています。
真相資料が手に入ってから、私は面と向かって真相を伝え始めました。心の中で、師と法に対する固い信念があり、常に念じていれば、神が何かをしようとしても、人には見えません。何かがあれば直ちに師父に助けを求めます。真相を伝え、三退を勧める資料を配ります。午後は家で学法し、正念を発します。普段、発正念の時間になると、正念を発し、何かあればまず30分間、1時間発正念をします。発正念をすればするほど、自分の他の空間場が明るくなり、体が宙にあるように軽くなります。しかしながら、人心が多く病業状態に陥っている同修の空間場には黒い物質が多すぎて、怪物もたくさんいます。
私は地元の県政府(村役場)に10数回行きました。そして、公安局にも何度も行き、警察署、裁判所、司法局、学校、駅などあらゆる所に行きました。いずれも師父が見守って下さり、恐怖心はありませんでした。師父のご加護のもとで、いずれも乗り越えてきました。ある日、県政府に行った時、私はスカーフをかぶり、たくさんの『九評』を持って行きました。ドアが開いている部屋では、机の上に『九評』を置きます。県知事が戻ってきた時、私は師父に「まだ配り終えていませんので、彼が中に入らないようにしてください」と発正念すると、ちょうど県長が外に立って人と話しているのが見えました。全て配り終えた後、県知事も中に入って来ました。私は危ないと思い、直ちに服を着替えて、近くの曲がり角で野菜売りを装いました。直後に三台のパトカーがやって来ました。ある警官は、本当に昼間に超常現象を見てしまったかのようなことを言っていました。警官らはおかしいと言いながら帰って行きました。
ある時、監視されているように感じたので、資料を配りませんでした。またある日、朝の市場で資料を配っていた時、私の腕をつかんで「公安局に行け」と脅してきた人がいました。私はその資料を早く人に配らなければと思い、歩きながら資料を全て配りました。後ろの人はまだ私の腕を掴んでいましたが、私が資料を配っていることに気づいていません。そして、私が資料を配っている最中に、周りの人が「このおばあさんから手を離しなさい」と彼に言いました。彼は手を緩めました。私は彼が救われるように大法のお守りをプレゼントし、また、多くの人にも渡してその場を立ち去りました。
2008年オリンピック前に、一緒に真相資料を配っていた同修が不当に身柄を拘束されました。その同修が私の名前を挙げたため、私も拘束されました。私は正念が強く、何もされませんでした。2回目の時、正念が弱かったので拘束され、家財を没収されそうになりました。警官らが私の家の本棚を壊そうとした時、私は「誰かがこれに触れたら、腕が折れます」と言いました。その数日後、その警官は階段から落ちて腕を骨折しました。警官に資料の出所を聞かれたら、私は絶対に同修を裏切らないと決意し、その日私を殴ったら手が痛くなると発正念しました。するとこの警官が私を殴ろうとした時、突然痙攣し始め、殴るのをやめました。留置場の中で私は毎日発正念、煉功をして真相を伝え、9日目にして家に帰ることができました。
大きな難関
私が修煉して2年後、夫が亡くなりました。私はとても辛く、生活も極めて困難になりました。私はその1カ月前に息子も突然亡くしていました。これは旧勢力がもたらした大きな難関です。息子はよく行えなかったので、隙に乗じられ、師父も救ってくださる方法がありませんでした。しかし師父は、弟子に最も良いものを与えて下さったのです。息子が亡くなった翌日、たくさんの不思議な現象が現われ、常人でさえそれを目にしました。雲がたなびき、法輪、龍、鳳凰、鶴、蓮の花、天への架け橋がはっきりと現われ、仙女などたくさんの神々がやって来ました。これを見た常人は、いずれも息子が成仏したのだと言いました。これを見た私の今の夫も大法を信じ始めました。家に帰ると、私に煉功と発正念をするようにと言ってくれます。どんな状況でも私は精進し、師父に従って最後まで歩んで行きます。
私が今日この文章を書いたのは、自分自身を顕示するためではなく、師父に対する感謝の念だけであり、師父と大法の威徳を実証します。全ては師父が行っており、大法弟子の師父に対するご恩はあまりにも重く、どのようにしても師父に報いることはできません。
この場で、偉大な師父に感謝申し上げます。私を助けて下さった同修の皆さんにも感謝申し上げます。
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)