法の光が吉林大学を照らす(一)

文/中国長春の大法弟子

 (明慧日本2011年12月5日)『転法輪』を掲げて、第三講に書かれている「この前吉林大学で講習会を開いた時も」という段落の法を読む度に、吉林大学の大法弟子として私達はみな格別な幸運と栄耀を感じています。1992年9月から1994年9月、師父は吉林大学に自ら7回来られて法を伝えられ、2期に渡って3つの「法輪功学習講座」を開き、自ら学習者達のために煉功点を選び、吉林大学の学習者達と座談会を2回設け、2回自ら煉功点に学習者達に会いに来られ、吉林大学で長春市の法輪大法の輔導員達のため法を説いて下さいました。長春は師父の故郷であり、最初に大法の洪恩と溢れんばかりの福を得た場所です。

 師父は『転法輪』の中で、吉林大学で講座を開かれた時に起きた物語を書かれており、未来の宇宙の中にこの部分の歴史を永遠に残してくださいました。この貴重な記憶は、大法の中で絶えず精進して自分の責任と歴史的使命を圓満に完成し、師父の慈悲、大きな期待に背かないように、吉林大学の大法弟子達をずっと励ましています。

 師父が法を伝えられてからすでに19年目となりましたが、当時師父が吉林大学で法を伝えられた情景を思い浮かべると、あたかも昨日の出来事のように今でもありありと目に浮かびます。今日、私達はこの貴重な記憶を記録して同修達と分かち合い、私達の願いをかなえ、「世界法輪大法デー」への特別な贈り物にしたいと思います。

師父が自ら選んでくださった煉功点

 1992年9月17日、長春の第4期「法輪功学習講座」が終わり、師父はその晩に北京へ行く予定で、チケットはすでに買われていました。師父の講座に参加したことがある吉林大学のある学習者が師父に、長春を出発する前に吉林大学に来てほしいと切実にお願いしました。師父は同意して下さいました。

 9月17日の夜明け、師父は古い自転車に乗って「理化学棟」の後ろにある小さい林に来られました。数人の学習者達がそこで師父を待っていました。師父は「科学技術棟」の前を指しながら「そこへ行きましょう。あなた達のために場を清めます」とおっしゃいました。これで、吉林大学の一番目の煉功点、「科学技術棟の煉功点」を決めて下さいました。ここは師父が自ら選び、場を清めてくださった煉功点です。

 ここは閑静な小さい花園で、花壇と築山、小道と屋根つきの長い通路があり、他の場所と比べてみるといっそう広く、明るかったのです。その後、ここに来て煉功する人がとても増え、すぐいっぱいになりました。1995年以降、ここから派生した吉林大学の煉功点は少なくとも6個あります。「外国語棟」「文系学科棟」「東朝陽路」「体育館」「市規画院」「吉林大学南区」等、各煉功点ごとに70人から80人がいました。当初、1つの煉功点に数人しかいませんでしたが、3年が経たないうちに7つの煉功点で合わせて500人以上になりました。


科学技術棟の煉功点


科学技術棟の煉功点

 1999年7.20以前、毎朝「科学技術棟の煉功点」は静かに立って煉功する学習者達でいっぱいでした。ゆったりとした煉功音楽に合わせて、皆の動作は整然としており、静かで穏やかでした。皆ここのエネルギー場が特に強く、特に良いと言いました。多くの人がとても遠い距離を歩いて来て、いつも続けてここに来て煉功しました。吉林大学のある部長はひどい関節炎にかかっており、歩くことさえ非常に大変でした。その部長は法輪功を学んでから、毎日早い内に家を出て、煉功点まで歩いて来て煉功し、冬はいくら寒くても続けて来ました。その部長はとても早い内に正常に歩けるようになりました。1995年、他の地区と国外の学習者達が長春に来て学法と修煉の体験を交流する時、煉功点の上空が赤い光で覆われているのを見ました。とても多くの学習者達がここで写真を撮り、写真には極彩色の法輪と美しい光の環が現れていました。

 9月17日の早朝、師父は場を清められた後、学習者の体の調整にも応じてくださいました。師父は「あなた達が整列すれば一人ずつ、一つの病気を取り除きます」とおっしゃいました。数人の学習者は一列になりました。当時、その付近と「鳴放宮」の前で体を鍛える人がとても多く、様々な功派の人がいました。その人達はここで、無料で病気を治してくれるのを見て、皆一斉に走って来て長い列を作りました。百人近くはいたでしょう。師父は順番に一人ひとり治してくださいました。病名を言い、師父が診てくださった後、その病気はなくなり、すぐ効果が表れました。しかし物足りなく思い、師父に診てもらった後、また列に並ぶ人もいました。師父は「一回診たのに、また来ましたか?」とおっしゃいました。その人は照れてしまいましたが、師父は何も言わず、また診てくださいました。師父が慈悲であるからです! 早朝から一人ずつ、師父は2時間以上をかけて百人近くの病気を治してくださいました。師父が離れが時は、8時を過ぎていました。その日は長春第4期「法輪功学習講座」の最後の日で、師父にはまだ最後の講義が残っていました。その晩、師父はまた列車に乗って北京へ行き、翌日からは「北京法輪功学習講座」が始まるのでした。

 師父が最初に法を伝えられる時は本当に、あまりにも苦労されたのです。しかしその時、皆はまだ師父の伝えられる大法の真正な意味を知らず、あまり大切にしていませんでした。師父は煩わしさをいとわず、よくわかるように繰り返し説法され、繰り返しの煩わしさをいとわずに、いろいろと初歩的な質問に答えてくださいました。師父の苦労や辛さを誰が分かるのでしょうか?

 1992年の冬、師父は北京から帰られ、2つの「法輪旗」を持って来られました。1つは「勝利公園」煉功点に下さり、1つは「吉林大学」煉功点に下さいました。「勝利公園」は長春の1番目の煉功点で、師父は法を伝えられる前に、そこで煉功をなさったことがあります。「吉林大学」煉功点は師父が自ら下さった「法輪旗」を得ることができ、これは師父の私達に対する愛護と配慮であり、私達に託された師父からの無限な希望でもあります!


師父が自ら授けてくださった「法輪旗」

 半年が過ぎた1993年6月25日、やはり夜明け頃、師父は再び吉林大学「科学技術棟」の煉功点に来られて、ここで煉功していた学習者達とお会いになり、喜んで皆と一緒に写真を撮って下さいました。多くの人がこの写真を大切にしています。毎回見る度に、いつも親切さと光栄をいっそう感じます。この年の、師父が法を伝えられた時の慈悲と艱難辛苦を思うと、私達は大法を更に大切にし、この上ない機縁を大切にするようになります。

師父が自ら開かれた「伝法講座」

 吉林大学の礼堂は唐の時代の建築風格を保った日本式の建築で、白い壁に青い瓦、屋根は飛ぶように丸く跳ね上がっています。1600席あり、文化大革命の時は「鳴放宮」と呼ばれました。師父はまさに吉林大学の礼堂で、長春の最後の2期に渡る3つの「法輪功学習講座」を開かれたのです。


吉林大学の礼堂(鳴放宮)

 1993年6月26日、第6期の講座が始まる前日、師父は吉林大学の礼堂で報告会を開かれました。当時、社会では「帯功報告」と呼びました。記憶によると、当時のチケットは1枚2元でした。その日の午前、礼堂は人でいっぱいでした。即ち1600人がいたということです。皆が理解できるように、師父は初期、最も分かり易い言葉で、気功の形式で要点を押さえて説法してくださり、法輪佛法の修煉は縁のある人であれば一人も落とさないことを教えてくださいました。報告が終わった後、師父は吉林大学の法輪功学習者達と科学技術棟の門前で一緒に写真を撮られました。

 1993年6月27日、長春第6期「法輪功学習講座」が開かれました。師父は2回目に吉林大学の礼堂に来られました。この講座で説法なさる度、師父は比較的レベルの高い法を説かれました。師父は天目と他の空間についておっしゃる時、皆に実演もして下さいました。師父は机の上にある透明なコップを持ち上げて右手の上に置き、みんなに注意して見るように促しました。天目が開いたかどうかを問わず、誰でも見ることができました。師父は左手の中指と親指を使い、コップの中からそのコップにそっくりの小さいコップをゆっくりと引っ張り出しました。しかし大きさは元のコップの4分の1程度でした。師父はみんなに「よく見ましたか?」と尋ねました。皆「よく見ました」と感激して答えました。その後、師父はまたゆっくりと小さいコップを元のコップに戻しました。この時、小さいコップが元のコップにだんだん重なっていくことがはっきり見えました。師父は皆に他の空間のものを確実に見せてくださいました。これは現代科学の研究では突破できないのです。

 今期の講座に70歳を超えた劉お婆さんがいました。劉お婆さんは脳血栓で十数年間半身不随になり、歩けず、手も伸ばせず、箸でご飯を食べられませんでした。家族は吉林大学の礼堂で「法輪功学習講座」が開かれるということを聞き、劉お婆さんを支えて来ました。3日目になって、法輪を抱える動作をしている時、劉お婆さんは1筋の熱流が「フヮー」と一気に頭から入り、全身を貫いたのを感じました。それから、お婆さんは自分で歩き、箸でご飯も食べられるようになりました。誰が見ても皆、法輪功はすごいと話しました。後で、劉お婆さんに業力を消す反応が表れましたが、心の中で大法を固く信じていたのですぐ乗り越えました。劉お婆さんは天目が開き、同修にその過程を次のように描写しました。師父の法身が輪になって立っておられ、ずっと看護して下さり、またお婆さんに6つの金色の大文字を顕現してくださいました。「汝真修、我真管(あなたが真に修煉すれば、私は真に責任を持つ)」

 7月4日、第6期の講座が終わり、師父はまた黒竜江省のチチハルへ法を伝えるために行かれました。

師父が自ら吉林大学に来られて学習者達と座談

 1994年4月28日、長春第7期「法輪功学習講座」が開かれる前日、師父は吉林大学に来られ、図書館のそばにある「白楼」で、吉林大学の人体科学研究会のメンバーと一部の法輪功学習者達と座談会を設けられました。師父が来られて座談会に参加された主要な目的は、場を清めるためでした。翌日の「法輪功学習講座」のために場を清くされるのです。

 吉林大学の学校新聞はこの座談会の状況を報道し、写真も掲載し、さらに多くの人に法輪功を紹介しました。吉林大学の「馬列(マルクス・レーニン)部」に類リューマチにかかっている教授がおり、手さえ変形してとても苦しんでいました。類リューマチは頑固な病気で、ほぼ治せないのです。その教授は師父の第2期の講座に参加して、病気が完全に治りました。その教授はとても感激し、夫を連れて師父の家に行きました。教授の夫は萎縮性胃炎にかかっており医学的に言えば、それは即ち早期の胃癌でした。師父が診てくださった後、やはり完全によくなりました。このことはとても速く広がり、皆自分の目で法輪功の奇跡を目撃しました。師父の法力と威徳で、皆相次いで法輪功を学びました。吉林大学にはこのような事例がとても多いのです。

(続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/5/10/240152.html)     更新日付:2011年12月5日