李さんは、1995年に法輪功の修煉を始め、心身ともに健康になった。
しかし、1999年7.20、中共(中国共産党)当局は法輪功弾圧を開始した。その後、李さんは数回にわたって、当局に連行・拘禁の迫害を受けた。
2011年11月7日、李さんは自宅で昼寝をしていたとき、突然、10数人の警官が不法に侵入してきた。警官らは何の令状も提示しないまま、家宅捜索を行い、李さんの身柄を不当に拘束した。その後、警官は李さんをどこに拘禁したのかさえ、家族に通告しなかった。
3日後の11月10日、三門巡査特別警部大隊から突然、李さんの末娘に「お父さんを迎えに来い」という電話がかかってきた。それで、家族は李さんを迎えに行き、帰宅したのは夕方の6時だった。
李さんは帰宅後「警官に連行され、三門県(李さんの住む隣の県)に移送された。羅という大隊長と10数人の巡査特別警官らによって拷問され、自白を強要さ れた。鉄の椅子に固く縛られ、身動きが取れない状態で、警官らは交代で、私を連続して3日間暴行した。私は意識がもうろうとして、瀕死状態に陥ったため、 警官らは慌てて、あなたたちに電話をしたのだ」と家族に話した。
拷問を受けた李さん
帰宅した李さんは、衰弱して起き上がれず、頭部、背中、腹部、太もも等が黒紫色になっており、とても悲惨な状況だった。家族が「何を食べたいか?」と聞く と、李さんは「何も食べたくない。眠たい」と言って、眠ってしまった。夜10時に、李さんは少しお粥を食べ、また眠ってしまった。そして、夜中の2時ご ろ、李さんは妹を呼んで、「全身が痛くて耐えられない。特にお腹が痛い」と訴えた。その後、李さんは排尿できず、血が少し出ただけだった。
李さんは痛みに苦しみながら、翌日の夜8時に死亡した。
李さんの娘が、父の死に関わった者を提訴しようとすると、警官から7万元の賠償金を出すという示談話があった。
その後、警官らは犯した罪を隠蔽するため、家族に李さんの火葬を強要したという。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者の情報は、中国語のページを参照)