(明慧日本)しばらくの間、住民委員会、派出所、610弁公室の人たちが家にきて騒ぎ立てました。どのようにこの問題を対処すべきか、私は同修と交流しました。同修は「ドアをあけず、入らせません。彼らに一切協力しません」と言いました。道理があると思いましたが、何か足りない気がしました。ある日、学法の時「真相を伝えることは万能のかぎ」(『二〇〇三年アトランタ法会での説法』)を学んだとき、師父がこの万能のかぎを私たちに下さりましたが、私は使わないわけには行かないと思いました。彼らが家に来ることを悪いことと考えずに、彼らに真相を伝え、救われたらそれはもっといいことではないでしょうか。突然、「衆生を済度し、観念転ず」(『洪吟』「新生」)の一行が頭に浮かんできました。長い間、観念を変えることの内包が何か分かりませんでしたが、今日はっと分かり、心から師父に「ありがとうございます」と、何度も心の中で言いました。それ以降、私の家に来る住民委員会、派出所、610弁公室の人たちにお茶を入れながら、真相を伝えました。何回も話す中で、二人の委員会の主任、二人の警官が三退しました。
ある日、50歳くらいの農村のおばさんに真相を伝えました。彼女も真剣に聞き、大法を認め、私に従って「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」と唱えました。共産党の組織に加入したことがあるかと聞いたら、少先隊も入ったことがなく、そもそも学校に通っていないと言いました。この話を聞いて、ちょっとがっかりしました。その人と離れて人に真相を伝えましたが、なぜ不快を感覚じるのかと細かく探してみました。他人に真相を伝え、分かってもらいましたが、三退リストには相手の名前を載せないことで、自分が損していると思うこの心は、名を求める心ではありませんか。私はすぐ警醒し、恥ずかしく思いました。この点を分かってから、再びこのような状況になった時、私は平然としていられました。衆生が真相を知り、救われたらよいのであって、名簿リストに載せるかどうかは関係ありません。
友達の集まりで、私は一気に30人を脱退させました。後で同修と体験交流するとき、非常に興に乗って話しました。ある同修は小さい声で「歓喜心が生じないように」と言ってくれました。同修の話はハンマーのように私の頭を叩きました。私はすぐ警醒し、自分の言行を振り返ってみると、本当に歓喜心、顕示心が生じましたが、すでに自然になってしまって、気づきませんでした。『転法輪』の顕示心、歓喜心の方面の法を改めて学びました。「この顕示心理もいろいろなところに現われており、良いことをする時にさえ現われてきます」、「歓喜心が生じないように気をつけてください。この心は非常に魔に利用されやすいのです」この一言一言は自分に対して言っているようでした。それで私は発正念をして、それらを解体し、日ごろから歓喜心と顕示心を修めることに注意しました。
ある同修に、一緒に真相を伝えることを頼まれ、私は嬉しくなってすぐに、いいよと言いました。私たちは一緒に外に出て、彼女が発正念し、私が真相を伝えました。二人とも協力して、一部の人を三退させ、効果が良かったのです。帰るとき、明日も一緒に伝えようと言うと、彼女はいろいろな理由を出しながら断りました。私はちょっとがっかりし、何も言いませんでした。後で、彼女がまた一緒に真相を伝えることを提案してきたとき、私は爽快に応じませんでした。「前回はあんなにいいチャンスだったのに、あなたは断りました。今は忙しくて丸きり時間がなくて、自分も空いている時間帯にやっているのに」と思いました。私はすぐ、このような考えは良くないと分かり、師父のお話を思い出しました。「これらのことに大法弟子の寛容、善良と和やかさを表すべきです。相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」(『二〇〇二年ワシントンDC法会での説法』)私は望まない、これは後天に形成された私(し)ではありませんか。だから無条件で協力し、円融せず、全体を形成しませんでした。これらのことが分かって、私は時間はよく按配して、同修と協調しようと思いました。全体の作用を発揮して、人を多く救うことが正しい理なのです。
いろいろ書きましたが、次元が限られており、同修たちの慈悲なるご指摘をお願いします。
師父ありがとうございます。同修の皆さんありがとうございます。合掌。
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)